基地跡は立入禁止であるが道路沿いから廃墟が望める
ここは戦時中、旧陸軍燃料廠でした。終戦後に米軍が接収して「府中基地」となります。その後は航空自衛隊基地用地として一部を返還、昭和50(1975)年には、さらに約60ヘクタール分が日本側へ返還され、府中の森公園や府中市美術館となりました。
残存区画は米軍基地のまま推移していき、残りの14.9ヘクタールが全面返還となったのは令和3(2021)年9月と、つい最近の出来事です。まだ返還されたばかりのため、これから土地活用が検討されていくことになります。
ここは長らく在日米軍施設が廃墟状態で残され、とくに目立つのは北側にあった蔦だらけの3棟の団地と、2基の大型パラボラアンテナでした。団地群は数年前に解体されて更地となりましたが、パラボラアンテナはまだ残されたままです。このアンテナは1960年代に設置されたそうで、昭和時代の怪獣映画に出てくる、怪光線を出すような出立ちが特徴です。基地跡周囲の住宅地からチラッと望む巨大なパラボラアンテナは、異質な存在ともいえましょう。ここが米軍基地だったと知らなければ、それこそ怪獣映画のロケのために造られて、そのまま残されてしまっていると信じそうです。
前述したように、基地跡は全面返還されたとはいえ、立入禁止の場所です。周囲も住宅地ゆえに、生活道路をうろうろするものではありません。美術館通りのフェンスから見える廃墟を、少し観察できるくらいです。遺構に触れられることはほとんど叶いませんが、美術館通りから小金井街道に沿って歩くと、ずっと基地跡の森が続いているので、東京都内にまだこれだけの規模の廃墟群が残されていることに驚きます。
建物は旧陸軍のものではなく、おそらく米軍基地の時代に建設されたものと推測します。根拠はありませんが、建物の壁面がモルタル風で、窓枠が「なんか昭和30年代っぽいな」と感じるのです。建物は冬場以外すっかりと木々に覆われて全容が掴めず、あと10数年もしたら植物に飲まれる勢いです。このフェンスの内側は、昭和時代の米軍基地の空間を残したまま、時が止まっているのです。
府中基地跡は間近に触れられないものばかりで、「廃なるもの」として紹介するには少々物足りないのですが、上空から空撮した写真があるので、それらを紹介します。ちょうど調布飛行場が近く、私のメイン業務である空撮の行き帰りで、米軍基地跡上空を通過します。あの特徴的な2基のパラボラアンテナは上空から眺めても異様な姿であり、骨組みのような風貌が「ビビビーっという音とともに怪光線を出して、攻めてくる怪獣を一時的に怯ませるのか」と連想してしまいます。
府中基地跡はなかなか上空から見る機会はないですが、調布飛行場を発着する旅客機から見えるかもしれません。航空自衛隊府中基地や公園などが隣接し、旧陸軍と在日米軍の施設はいかに広かったのかと考えさせられます。やがて基地跡は再活用されていくことでしょう。そのとき、パラボラアンテナなどの遺構はどうなるか、気になるところです。
取材・文・撮影=吉永陽一