基地跡は立入禁止であるが道路沿いから廃墟が望める

夜の美術館通りから望む基地内の建物。冬場になると草木が枯れて建物がより見えてくる。この建物は一部が高く、倉庫であったのだろうか。
夜の美術館通りから望む基地内の建物。冬場になると草木が枯れて建物がより見えてくる。この建物は一部が高く、倉庫であったのだろうか。

ここは戦時中、旧陸軍燃料廠でした。終戦後に米軍が接収して「府中基地」となります。その後は航空自衛隊基地用地として一部を返還、昭和50(1975)年には、さらに約60ヘクタール分が日本側へ返還され、府中の森公園や府中市美術館となりました。

残存区画は米軍基地のまま推移していき、残りの14.9ヘクタールが全面返還となったのは令和3(2021)年9月と、つい最近の出来事です。まだ返還されたばかりのため、これから土地活用が検討されていくことになります。

上空南側から見る。手前右が航空自衛隊府中基地で左が学校。終戦後はこのいびつな台形の土地が米軍府中基地となっていた。2021/5/11撮影
上空南側から見る。手前右が航空自衛隊府中基地で左が学校。終戦後はこのいびつな台形の土地が米軍府中基地となっていた。2021/5/11撮影

ここは長らく在日米軍施設が廃墟状態で残され、とくに目立つのは北側にあった蔦だらけの3棟の団地と、2基の大型パラボラアンテナでした。団地群は数年前に解体されて更地となりましたが、パラボラアンテナはまだ残されたままです。このアンテナは1960年代に設置されたそうで、昭和時代の怪獣映画に出てくる、怪光線を出すような出立ちが特徴です。基地跡周囲の住宅地からチラッと望む巨大なパラボラアンテナは、異質な存在ともいえましょう。ここが米軍基地だったと知らなければ、それこそ怪獣映画のロケのために造られて、そのまま残されてしまっていると信じそうです。

上空南西側から。基地跡に沿う道路は小金井街道で、歩道からちらちらと敷地内の廃墟がみえる。写真左側に2基のパラボラアンテナがある。完全に廃墟化しているがまだ残存している。2021/5/11撮影
上空南西側から。基地跡に沿う道路は小金井街道で、歩道からちらちらと敷地内の廃墟がみえる。写真左側に2基のパラボラアンテナがある。完全に廃墟化しているがまだ残存している。2021/5/11撮影

前述したように、基地跡は全面返還されたとはいえ、立入禁止の場所です。周囲も住宅地ゆえに、生活道路をうろうろするものではありません。美術館通りのフェンスから見える廃墟を、少し観察できるくらいです。遺構に触れられることはほとんど叶いませんが、美術館通りから小金井街道に沿って歩くと、ずっと基地跡の森が続いているので、東京都内にまだこれだけの規模の廃墟群が残されていることに驚きます。

建物は旧陸軍のものではなく、おそらく米軍基地の時代に建設されたものと推測します。根拠はありませんが、建物の壁面がモルタル風で、窓枠が「なんか昭和30年代っぽいな」と感じるのです。建物は冬場以外すっかりと木々に覆われて全容が掴めず、あと10数年もしたら植物に飲まれる勢いです。このフェンスの内側は、昭和時代の米軍基地の空間を残したまま、時が止まっているのです。

美術館通りの歩道を歩いているとこうして廃墟に出くわす。フェンスが建物ギリギリにあって、昭和の時代からストップしている空間と令和の現代空間とが隔てられていた。
美術館通りの歩道を歩いているとこうして廃墟に出くわす。フェンスが建物ギリギリにあって、昭和の時代からストップしている空間と令和の現代空間とが隔てられていた。
13年前に空撮した廃墟群。手前は米軍通信施設の塔で、撮影時点ではまだ使用されていたようだ。奥の赤い屋根は完全に廃墟化しており、建物が一段高い部分は先に挙げた夜の写真の部分である。2010/6/4撮影
13年前に空撮した廃墟群。手前は米軍通信施設の塔で、撮影時点ではまだ使用されていたようだ。奥の赤い屋根は完全に廃墟化しており、建物が一段高い部分は先に挙げた夜の写真の部分である。2010/6/4撮影

府中基地跡は間近に触れられないものばかりで、「廃なるもの」として紹介するには少々物足りないのですが、上空から空撮した写真があるので、それらを紹介します。ちょうど調布飛行場が近く、私のメイン業務である空撮の行き帰りで、米軍基地跡上空を通過します。あの特徴的な2基のパラボラアンテナは上空から眺めても異様な姿であり、骨組みのような風貌が「ビビビーっという音とともに怪光線を出して、攻めてくる怪獣を一時的に怯ませるのか」と連想してしまいます。

北西方向から。最後まで米軍基地として残されたのは手前の森となった箇所。2基のパラボラアンテナが異様であるが、その近くの細長い痕跡には団地が建っていた。2021/5/11撮影
北西方向から。最後まで米軍基地として残されたのは手前の森となった箇所。2基のパラボラアンテナが異様であるが、その近くの細長い痕跡には団地が建っていた。2021/5/11撮影
骨組みの状態となっているパラボラアンテナ。他の米軍施設を結ぶ重要な電波設備であったが、その形状から特撮や怪獣映画に出てくる兵器のように思えてしまう。2011/5/16撮影
骨組みの状態となっているパラボラアンテナ。他の米軍施設を結ぶ重要な電波設備であったが、その形状から特撮や怪獣映画に出てくる兵器のように思えてしまう。2011/5/16撮影
基地跡の建物群を上からチェックする。屋根は崩れ落ち、既に使用されなくなってから数十年経過しているのではと感じた。2011/5/16撮影
基地跡の建物群を上からチェックする。屋根は崩れ落ち、既に使用されなくなってから数十年経過しているのではと感じた。2011/5/16撮影

府中基地跡はなかなか上空から見る機会はないですが、調布飛行場を発着する旅客機から見えるかもしれません。航空自衛隊府中基地や公園などが隣接し、旧陸軍と在日米軍の施設はいかに広かったのかと考えさせられます。やがて基地跡は再活用されていくことでしょう。そのとき、パラボラアンテナなどの遺構はどうなるか、気になるところです。

取材・文・撮影=吉永陽一