軽便規格なのに1067mm軌間の井川線は電源開発の専用鉄道であった

井川線のアプト区間(アプトいちしろ駅〜長島ダム間)は90‰勾配。この区間は電化されていて、専用のED90形電気機関車を連結する。ED90形は通常の車両とほぼ同じ高さ。井川線車両がいかに小さいかよく分かる。この日は多客時で増結していた。2020年7月19日
井川線のアプト区間(アプトいちしろ駅〜長島ダム間)は90‰勾配。この区間は電化されていて、専用のED90形電気機関車を連結する。ED90形は通常の車両とほぼ同じ高さ。井川線車両がいかに小さいかよく分かる。この日は多客時で増結していた。2020年7月19日

井川線は大井川の電源開発のため、昭和初期から敷設されていきました。当初より大井川鐵道ではなく、戦前は大井川電力、戦後は中部電力といった電力会社が独自に敷設する専用鉄道であって、昭和29年に井川まで延伸し、発電所やダム建設資材輸送を行っていました。

線路幅は大井川鐵道本線と同じ1067mmなのは、木材輸送や資材輸送の貨車を直通させるためで、軽便鉄道規格は開通時に軌間762mmの軽便規格であったためです。

昭和34年。中部電力が大井川鐵道へ運営を委託して井川線となり、旅客営業を始めました。現在も線路施設などの所有者は中部電力で、運営は大井川鐵道が委託という形です。

井川駅の構内はずれから見ることができた西山沢橋梁と第二西山トンネル。トンネル入り口には扉があった。2019年12月26日
井川駅の構内はずれから見ることができた西山沢橋梁と第二西山トンネル。トンネル入り口には扉があった。2019年12月26日

さて今回紹介する「廃もの」は、1067mmの線路が残されたまま廃線となって散策道として余生を送る区間です。

場所は終点の井川駅の先、井川ダムのほとりです。井川線は電力会社の専用鉄道という出自から、旅客鉄道としての記録は運営委託された昭和34年からです。井川駅の先の線路は県道を跨ぐ西山沢橋梁があり、すぐに第2西山トンネルへ入って、1.1km先の堂平駅まで井川ダム湖沿いをなぞっていました。

訪れたのはコロナ禍となる前の2019年12月です。列車に揺られて井川駅へ到着。駅舎前で分岐した支線が堂平までの線路で、西山沢橋梁と第2西山トンネルが口を開けています。今にでも列車が出てきそうな雰囲気ですがレールは錆びていて、もう随分と列車が走っていないことを示していました。

井川駅の先に続く廃線跡は散策路として整備されていた

井川駅舎前の坂を下り、井川ダムへ出ます。ダム事務所の脇を歩くとシャッターの閉まった第2西山トンネルの反対側が現れました。進入防止か結露防止か、あるいは非常時の機関車格納場所のためか、シャッターの閉まったトンネルは珍しいなと思って足元を見ると、散策路が始まる地点なのに線路が無い。既に撤去されていました。ここは廃線なのだという事実が目に飛び込んできます。

堂平までの区間は2013年に「廃線小径」の名称で静岡県が整備し、散策できる道となりました。整備といっても線路はそのままで最低限の柵を設けた程度で、たしかに線路があるはずなのだが……とトンネルの反対側を覗くと、あったあった! プツッと途切れていた線路が続いています。よかった。

線路を歩きたい気持ちでいっぱいだった心を、どう鎮めたらよいのかと思っていましたが、錆びた2本のレールが出迎えてくれていて、心が落ち着いてきました。ああ、よかった。

廃線小径となって始まる散策道とレール。1067mm幅の細いレールが続いていく。廃線跡好きにとってはテンションの上がる瞬間だ。2019年12月26日
廃線小径となって始まる散策道とレール。1067mm幅の細いレールが続いていく。廃線跡好きにとってはテンションの上がる瞬間だ。2019年12月26日

向かって右側は斜面なので柵がしてありますが、線路は放置状態です。辺りはしんとした冬の曇り空で、今にも降り出しそうな天気であるけれども、その静まり返った空気とどんよりとした空が土に埋もれかけた線路の雰囲気と融合し、廃線跡のわびさび感が引き立って、じんわりと心に沁みてきます。

廃線小径は散策道らしく、木製のベンチとテーブルが線路脇に配置されていました。オリエンテーションとかハイキングの休憩場所に使えます。線路は赤錆てというよりすっかり黒ずんでいます。枕木も草臥れていて、何十年も列車が来ないことを表しています。

やがて右へとカーブ。車輪逸脱防止のガイドレールも残っていて、列車の車輪が軋み音を立てたんだろうなと、しばし物思いにふけっていました。

しばらく歩くとカーブする。右側のレールは曲線で車輪が逸脱しないよう防止するガイドレール。落ち葉が堆積し、枕木が埋もれかかっていて、素敵な廃線空間を演出していた。そのさきに見えるのは島和合トンネル。2019年12月26日
しばらく歩くとカーブする。右側のレールは曲線で車輪が逸脱しないよう防止するガイドレール。落ち葉が堆積し、枕木が埋もれかかっていて、素敵な廃線空間を演出していた。そのさきに見えるのは島和合トンネル。2019年12月26日

そしてその先に待ち構えるのは10数メートルほどの短い島和合トンネル。散策道でトンネルも残されているのは正直うれしいです。よく崩落防止のために封鎖されて迂回路になっているケースもあるので……。

とはいえ、ここは右斜面が崖、左側も見上げるほどの崖といった場所だから、迂回路は無理そうですね。

短いトンネルがあり終点にはポイントの跡も残っている

島和合トンネルへ潜りました。照明はありません。距離は短いですが暗いです。心配ならばヘッドライトを持参しましょう。足元は枕木が隆起していているので注意です。

坑口はコンクリート造りで、内部は素掘りかなと思いましたが、全てコンクリート巻きとなっていました。上部はコンクリート片落下防止のネットが巻かれています。

トンネルは短いが真っ暗だ。足元に気をつけよう。上部は崩落防止のネットがかかり、散策道として整備されていた。2019年12月26日
トンネルは短いが真っ暗だ。足元に気をつけよう。上部は崩落防止のネットがかかり、散策道として整備されていた。2019年12月26日
レールは途中でぐにゃっと曲がっていて、もう列車が走ることは不可能だ。小規模な落石か土砂崩れか、何か自然の作用でレールが一部動いてしまったらしい。2019年12月26日
レールは途中でぐにゃっと曲がっていて、もう列車が走ることは不可能だ。小規模な落石か土砂崩れか、何か自然の作用でレールが一部動いてしまったらしい。2019年12月26日
トンネルを出た先も山の中を進んでいく。振り返って撮影したので左手が斜面になっている。谷積みの石垣は苔むしていて、建設された月日を物語っている。2019年12月26日
トンネルを出た先も山の中を進んでいく。振り返って撮影したので左手が斜面になっている。谷積みの石垣は苔むしていて、建設された月日を物語っている。2019年12月26日

そのさきのレールと枕木は落ち葉に埋もれつつ、しばらく直線が続きます。訪れた時は冬でしたが、少し前の紅葉時期だったら、あるいは新緑の季節だったらさぞかし目を楽しませてくれることでしょう。

この区間は昭和46年に使用休止となりました。休止のまま残され、昭和63年に大井川上流の赤石発電所建設による資材運搬のため、線路は復活します。

井川〜堂平間は約8年間使用されたようで、発電所が竣工した後に再び休線となり、そのまま廃線となりました。

堂平駅跡へ到着した。左手はちょっとした広場となっていて、散策道はこの先も井川地区へと続いている。前方を注視するとポイントを発見。既に分岐器の稼働部は撤去されているが、ここが駅であった証である。2019年12月26日
堂平駅跡へ到着した。左手はちょっとした広場となっていて、散策道はこの先も井川地区へと続いている。前方を注視するとポイントを発見。既に分岐器の稼働部は撤去されているが、ここが駅であった証である。2019年12月26日

左手が開けてきました。前方は堂平駅の跡です。線路はポイントが残されており、分岐したレールが土の中へとフェードアウトしています。その先は斜面となっていて、どうやら駅の廃止後に土砂で埋めた様子です。

うず高く積み重なった土砂を前にしてプツッと途切れる線路。廃線小径の線路歩きはここで突然の終了となりました。

ポイントへ近づく。この先は土砂の中に埋もれており構造は判別不能だ。おそらく2線か3線へ分岐する貨物駅であったのだろう。1988年の復活では発電所資材をここまで輸送したとのこと。その時代は生まれていたけれど存在を知らなかったので、ちょっと悔しい。2019年12月26日
ポイントへ近づく。この先は土砂の中に埋もれており構造は判別不能だ。おそらく2線か3線へ分岐する貨物駅であったのだろう。1988年の復活では発電所資材をここまで輸送したとのこと。その時代は生まれていたけれど存在を知らなかったので、ちょっと悔しい。2019年12月26日

このように土の中へ消えていくレールは哀愁があって、落ち葉や腐葉土に飲まれつつも健気に残されている感じが侘しく、22kgか30kgレールが、いまにも消えてしまいそうなほど細く、それが一層胸をきゅんとさせられます。

こうして約1kmの廃線散策は終了しました。散策道はこの後も続くようですが、線路と関係するのは堂平駅跡までです。来た道を帰り、井川発の列車に揺られて麓へと戻ったのでした。

ポイント部分を振り返ってみる。山中でプツッと途切れるレールが侘しくもあり、哀愁もあり、胸を締め付けられるような気分でもあるが、その儚さが愛おしいのである。2019年12月26日
ポイント部分を振り返ってみる。山中でプツッと途切れるレールが侘しくもあり、哀愁もあり、胸を締め付けられるような気分でもあるが、その儚さが愛おしいのである。2019年12月26日

それから約4年。廃線小径は変わらずですが、周囲の環境が少し変化しました。まだ再訪していないので情報のみですが、井川駅に架かっていた西山沢橋梁は2023年2月3日に撤去されました。県道が緊急輸送道路に指定され、安全上の理由のためとのことです。

さらに井川線の時刻表も変わり、井川行きは2往復となりました。井川11:06分着/12:30分発と、14:17着/15:30発です。廃線小径をじっくり観察するには丸一日かけた方が良さそうです。訪れる際は時刻表をよく見て計画してください。

2023年3月現在、大井川鐵道本線は一部区間が災害のため不通で、バス代行を行っています。東京や大阪方面を前日夜に発って、島田などで一泊すれば、翌朝JR東海道本線の電車から金谷発の本線に乗って家山へ、家山〜千頭間を代行バスで乗り継いで、井川線始発の千頭発9:20に間に合います。これからは桜や新緑の季節。土に埋もれそうな線路を歩きたい衝動に駆られたら、ここへ来ると楽しいですよ。

取材・文・撮影=吉永陽一