「地域と何かしら関わりを持ちたい」

当初、ここまで大森にのめり込むとは思わなかった。大森山王ブルワリーの代表・町田佳路(けいじ)さんが、2009年前にこの街へ引っ越した理由は「親が戸越銀座に住んでて近いし、そこそこ住みよい街なのかな」という程度だったそう。

ここが『アキナイ山王亭』。
ここが『アキナイ山王亭』。

大森と町田さんが接近した最初の一歩は、フリーでWeb制作の仕事をしていた町田さんが、とあるきっかけで大森柳本通り商店街のHPをリニューアルしたときから。
「その縁があって、商店街にある地域のお休み処『アキナイ山王亭』の2階を事務所として使わないか、という打診をいただいたんです」
もともと、拠点となる場所を探していた町田さんは『アキナイ山王亭』に腰を据え、活動することに。

「この駐輪場スペースを借りられるよう取り計らっていただくなど、商店会理事長の佐藤さん(左)にはお世話になりっぱなしです」と町田さん。
「この駐輪場スペースを借りられるよう取り計らっていただくなど、商店会理事長の佐藤さん(左)にはお世話になりっぱなしです」と町田さん。

「ここで働くことにより、街の人の顔が見えてきた。地獄谷の個性的な店主、福島復興支援のため日帰り弾丸ツアーを企画する人など、とにかく面白い人が多かったんです」
深まる大森への愛着や地域と何かしら関わりを持ちたいとの思いから、町田さんは子供向けイベント・リトルアキナイ(いわゆるキッザニアの商店街版)を主催。子供を持つ親が中心となって街のこれからを話し合う「大森コレカラカイギ」を開催するなど、積極的に地元へ溶け込んでいく。

谷崎潤一郎の名作が導いた新ビール

しかし、2016年ごろから活動がスローダウン。本人いわく「ボランティア活動が増えるにつれ、本業の仕事に時間を回せなくなった。メンバーが固定化され、コミュニティが狭くなってるようにも感じました」。
活動資金を生み出し、かつ新たなメンバーも参入しやすい仕組みを考えねば──。その突破口となったのが、クラフトビールの醸造だった。
「当時、某ビール会社の仕事をしていて、気軽に飲めるビールを入り口にすれば、地域おこしのハードルを下げられる! とひらめいたんです」

何度も使える写真のエコカップ350円や、通常のプラカップ50円を買い、生ビールを注いでもらう。
何度も使える写真のエコカップ350円や、通常のプラカップ50円を買い、生ビールを注いでもらう。

2018年には大森山王ビールの前身、SunNo.808が完成。ミュージシャンとのコラボビールも生まれるなど道のりは順調に見えた。
「でも、地域にビールが広がっていかなくて。どんな食事にも合うビールを目指していたのですが『これのどの部分が大森のビールなの?』という指摘も受けました」
大森からビールを発信する意義とは。町田さんは大森を勉強し直そうと、NPOが営む「大森まちづくりカフェ」の夜学で、街の歴史を学ぶことに。そこで、大森にはかつて外国人が多く住み、馬込文士村もあったハイカラな町だったことを知る。

「谷崎潤一郎の小説 『痴人の愛』 も大森をハイカラな場所として描いていることを知りました。ここがハイカラな街だったことを知ってほしく、同作の登場人物のナオミ、河合譲治の名を冠したビールを造ったんです」
新たに大森山王ビールと銘打ち、「NAOMI」と「GEORGE」が完成したのは2019年。アトレ大森でのリリースパーティーを皮切りに、『Bar tendary』など地元の名店でも扱ってもらえるようになった。2020年は、会員たちで経営の方針などを月2回話し合うサンデーカンパニーをスタート。ビールを入り口に、大きな輪が生まれていく。

約2坪の極小店舗に、地元っ子が続々来店。平常時はその場で無料試飲もOK !
約2坪の極小店舗に、地元っ子が続々来店。平常時はその場で無料試飲もOK !

実店舗の『Hi‒Time』は、まさにその議論をカタチにしたもの。この日、シャッターを開けると、ずっとお店が気になっていたという母娘から地元信用組合の職員、コレカラカイギのメンバーなどが、三々五々とやってきたのが印象的だった。
「今後は、かつて大森にアサヒビールの工場があった歴史を踏まえ、自社の醸造所も作ってみたい。大森で楽しめる場・大森を楽しむ人が、どんどん増えていったら!」

Hi-Time

レトロ商店街の新たな社交場に

大森柳本通り商店街にあった元スーパーの駐輪場スペースを利用し、開店。ブルワリーで現在扱う4種のビールを、瓶や缶、タップから注ぐ生で購入できる。「店名は”Hi!”と町の人たちが挨拶できる場、”it is high time”=『今を大事にする場』などの意味を込めました。カウンター代わりのリヤカーは、大森の『サイクルショップオギヤマ』に発注したものです」と町田さん。2021年10月には西蒲田に2号店も出店!

生を注いで持ち帰れる容器 ・グラウラーも販売。
生を注いで持ち帰れる容器 ・グラウラーも販売。

NAOMI(2019年)

ナオミのように妖艶な味が酔いを誘う

『痴人の愛』のナオミがカフェーの店員だったことにちなみ、コーヒーチェリーを使ったペールエール。香り、コク、甘みが豊かで飲みごたえのある一本。800円
『痴人の愛』のナオミがカフェーの店員だったことにちなみ、コーヒーチェリーを使ったペールエール。香り、コク、甘みが豊かで飲みごたえのある一本。800円

GEORGE(2019年)

残暑を忘れる爽やかな後味

愛媛県中島産の伊予柑を使い、甘酸っぱくてキレのある味わいに。『痴人の愛』の譲治が抱く恋心から味を着想した。喉越しが良く暑い日に飲みたくなるヴァイツェン。800円
愛媛県中島産の伊予柑を使い、甘酸っぱくてキレのある味わいに。『痴人の愛』の譲治が抱く恋心から味を着想した。喉越しが良く暑い日に飲みたくなるヴァイツェン。800円

KAORU(2020年)

明治・大正の名大臣から名前を拝借

塩と米を用い、かつて海苔の養殖が盛んだった大森の海の香りを表現。純米酒のような後味があり、和食にも合う。ビール名は別荘地を山王小学校に提供した井上馨から。750円
塩と米を用い、かつて海苔の養殖が盛んだった大森の海の香りを表現。純米酒のような後味があり、和食にも合う。ビール名は別荘地を山王小学校に提供した井上馨から。750円

CHIYO(2021年)

ジャケ買いしたくなる箔押しラベル

馬込文士村に居住した宇野千代の名を冠した、インディアペールラガー。3種のホップを使うことで、ジューシーさと鮮烈な苦みを併せ持った奥行きある味わいに。800円
馬込文士村に居住した宇野千代の名を冠した、インディアペールラガー。3種のホップを使うことで、ジューシーさと鮮烈な苦みを併せ持った奥行きある味わいに。800円

『Hi-Time』店舗詳細

住所:東京都大田区山王3-1-2/営業時間:15:00〜20:00(土・日・祝は12:00〜19:00)/定休日:火/アクセス:JR京浜東北線大森駅より徒歩6分

取材・文=鈴木健太 撮影=逢坂 聡
『散歩の達人』2021年10月号より