エッセイの記事一覧

21〜40件(全90件)
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我らが「名古屋おもてなし武将隊」15周年である。前田利家、改めて名乗ろうぞ!
皆々、息災であるか。前田又左衛門利家である。これよりは前田利家の戦国がたりの時である!「さんたつ」にて現世を生きる皆々に、我らが生きた戦国時代の蘊蓄(うんちく)やおもしろき逸話を伝えておるこの戦国がたり、うれしき事にまもなく開始から2年となるわな!この連載を訪れてくれておる者たちのなかに、儂(わし)の記事は幾度か読んだことあるが、そもそもこの武士は誰なんじゃと思うとる者はおらぬか?ということで此度は久々に儂の自己紹介と、我らに関する案内をいたそうではないか!それでは、いざ参らん!!
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「昭和の武勇伝付き合うか」問題から見えてくる、盛り場へ行く目的
突然ですが、賛否分かれるお話です。スナックなど夜の店で隣り合う年配のお客さん、じいちゃんたちの「武勇伝に付き合うか、付き合わぬか」問題です。
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寝そうで寝ない薫と大君のすったもんだを楽しむ~『源氏物語』宇治十帖の楽しみ方 前編~
大河ドラマ『光る君へ』において、『源氏物語』の「宇治十帖」執筆パートが始まった。とうとう、と『源氏物語』ファンは息をのんだ人も多いかもしれない。
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初めての母とのふたり旅で長野・浅間温泉へ。一本のエッセイに書ききれない私たちの関係
生まれて初めて、母とふたりで旅行をした。母についてはこの連載で何度か書いたが、母について書ききれたとは言えない。私と母は今でこそ仲のいい親子だが、関係が落ち着いたのはここ10年ほどのことで、幼少期からそれまでは関係が複雑に変化しつづけた。とてもじゃないけれど、一本のエッセイに書ききれるような関係ではないのだ。だから今回も書ききれるとは思えないが、この連載が続いているうちに、母との思い出を綴る回を設けたかった。それで母に「『さんたつ』の連載で書きたいから旅行に行かない?」とLINEをしたところ、快諾してくれた。私がエッセイを発表するようになった5年前から「ママのことはいくらでもネタにしていいから」と言ってくれている。そうして10月のある日、札幌に住む母が東京にやってきた。
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躁とうつを行ったり来たり。一体どれが本当のわたしなのだろう【尾崎ムギ子の 転んでも、笑いたい】
8月下旬、月一回通院している精神科の主治医に「気分はどうですか?」と聞かれ、「毎日が楽しくてしかたないです」と答えると、主治医はわたしの顔をジロジロと観察して、こう言った。「躁(そう)転しているかもしれない」——。躁転とは、うつ状態から躁状態に転じること。わたしは双極性障害(俗に言う躁うつ病)を患っており、何年かに一度、躁転するのだ。
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過ごしやすい秋におすすめしたい川さんぽの魅力と、大雨が降ったら意識したい増水対策
さわやかな秋がやってきました。日差しはやわらかに降り注ぐようになり、風が心地良く体を吹き抜ける、一年の中で最も過ごしやすい季節です。そんな秋におすすめしたいのが、川沿いを歩くお散歩です。暑くも寒くもなく、ちょうど良い体感のこの時季。季節の変化を楽しみながら川散歩をするのはいかがでしょうか?
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ハロウィンで仮装するのは人間だけではない⁉ 仮装した街の店頭人形を追う
昭和の時代にほとんど注目されてこなかったハロウィンは、今ではすっかり日本でもおなじみの行事となった。10月末のハロウィンは、七夕からクリスマスまでの行事閑散期を補うイベントでもあるし、お菓子を配ったり仮装したりという内容が日本人好みでもあったのだろう。
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漫画●ゆるりのお散歩びより● 第24話「乾燥する季節の、ガサガサ喉に優しいレシピ」
感想する季節はどうも喉の調子が悪い!薬膳的な効果があるゆり根のホイル焼きや、もっとお手軽な長芋で粘膜を守ろう!漫画=ヤゼ
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戦国大名たちの起源をひもとく! 源氏・平氏・藤原氏と戦国武将の関係
皆々、息災であるか。前田又左衛門利家である。令和6年の大河ドラマ『光る君へ』では紫式部が『源氏物語』を記す過程が描かれるとともに、藤原道長様を中心に繰り広げられる権力争いも見どころの一つであるわな。大河ドラマで描かれておるとおり、藤原家は道長様の時代に最盛期を迎えたのじゃが、始まりは飛鳥時代まで遡る。現世の皆が「虫殺す(645年)」の語呂合わせで覚えたと聞く“大化の改新”にて活躍した中臣鎌足が天智天皇より藤原姓を賜ったのじゃ。ちなみに、645年は天智天皇(当時は中大兄皇子)や中臣鎌足が時の権力者、曽我氏を滅ぼした乙巳の変(いっしのへん)が起きた年。政治体制の刷新は翌年の646年に始まったとされるで、近年は大化の改新とは645年ではなく646年で教えられることが増えてきたようじゃな。
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清少納言と書の名人・藤原行成。『枕草子』に描かれた、ふたりの恋愛的やりとり
藤原道長を支えた貴族のひとりとしてよく知られる、藤原行成(ゆきなり)。達筆であり、その書状がいまも『東京国立博物館』に収められている。そんな書の達人で、政治家としても真面目に道長を支え続けた行成。彼の姿は、実は『枕草子』に描かれている。今回は『枕草子』に登場する行成のエピソードを眺めてみたい。
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ビルの足元にある定礎板、そのバリエーションを楽しむ
街を歩いていると、ビルの足元に「定礎」と書かれたプレートを見ることがよくある。普通の住宅にはあまり見られないこの定礎板、何のために設置されているのだろうか。
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『ステーキ宮』の肉なんて飾りです。宮はたれなんです。【絶頂チェーン店】
栃木県足利市出身のツクイさんが好きなタレントは照英だ。埼玉県鴻巣市出身。熱くて、男らしくて、趣味がよい。出会いはとあるグルメ番組だ。「これまでの食レポで一番美味(おい)しかったグルメは?」という問いに、まっすぐな瞳で「宮のたれ」と答える彼の姿を見た瞬間「この人のことは一生信じられる」と、遺伝子レベルで解(わか)りあえてしまったそうだ。宮のたれ。
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「なに突っ立ってんの?」とすごんできた、仕事に厳しいバイトリーダー【吉田靖直/トリプルファイヤー】
政治家の裏金問題や賄賂、オリンピックに絡む中抜きのようなニュースを見るにつけ、世の中にはうまいこと仕組みを利用して楽にお金を得ている人たちがたくさんいるのだなあと思う。私だって楽にお金が欲しいが、そのための仕組みを作るのが面倒で、手っ取り早く小金を稼げるアルバイトなどをしてその場をしのいできた。そんな無計画な人間はいつの時代も搾取され続ける羽目になる。
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「秋日和」「豆名月」「星月夜」。秋のことばを感じながら、お散歩しませんか?
ようやく厳しい暑さがおさまり、涼しい風を感じられるようになってきました。過ごしやすい秋は、気持ち良く散歩を楽しむのにぴったりな季節です。本格的な冬が始まるまでの変わりゆく空や景色、体感を表現した日本語はたくさんあります。毎日忙しいと季節の変化に目を向けることは難しいですが、時には視点を変えて自然を体感してみるのはいかがでしょうか?雅で美しい秋のことばと散歩で楽しめる秋の景色を紹介します。
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乱世が始まったのは寒さが原因? 気温に左右された戦国時代の戦について
皆々、息災であるか。前田又左衛門利家である。長く苛烈であった2024年の夏も10月に入ってようやっと終わりを迎えようとしておる。現世では地球温暖化の影響で段々と暑くなっておるそうじゃな。 我ら名古屋おもてなし武将隊は週末に名古屋城にて演武を執り行っておるのじゃが、今年の夏は熱中症の危険のために中止になることが多かった。現世では暑さによって様々な問題が起こっておるが、我らが生きた戦国時代は寒さによって命が危ぶまれる時代であった。現世とは対極の問題を抱えておったわけじゃ。此度は我らの時代の気温について話してまいろうかのう。
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和泉式部は魔性の女だった? ドラマチックすぎる恋愛模様と『和泉式部日記』の魅力
紫式部とともに、藤原彰子のもとに仕えていた、和泉式部。彼女はこの連載でも一度紹介したように、敦道親王との恋愛模様を『和泉式部日記』に残したことで知られている。敦道親王が亡くなってから、その思い出を記すように、日記に綴ったのである。今回は『和泉式部日記』のさらなる魅力をお伝えしたい。
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菓子パンまわりのデザイン~レトロでかわいい各地の菓子パンたち~
子供の頃、健康志向の親の影響で、ほとんど菓子パンを食べたことがなかった。中学生になると学校の購買で菓子パンを買う機会に恵まれるようになったが、要領が悪かったため、買えるのは残った甘食ばかりであった(もちろん甘食に罪はない)。
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中華屋の五目焼きそばからたどる、料理そのものではなく、“食べ方”の戦後史
焼きそばが嫌いな日本人はあまりいないと思います。もちろん私も大好物で、特にお祭りや縁日に出かけると、腹が減っていなくても一パック、いや二パックくらい買ってしまいます。あのソースの香りにやられてしまうわけですが、もう一つ心奪われる焼きそばがあります。それは、
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大丈夫になったのだ、きっと。いまのわたしは完全に陽気なパリピ【尾崎ムギ子の 転んでも、笑いたい】
6月のある日、千住大橋駅前の立ち飲み屋『八ちゃん』で飲んでいると、けーた君とノノさんがやって来た。2人はかなえちゃんの友だちで、何度か一緒に飲んだことがある。ルームシェアをしているが、付き合っているわけではないらしい(2人ともゲイだ)。
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関ケ原月間である!北の関ケ原、上杉家と最上家、そして伊達家の慶長出羽合戦について語ろうぞ
皆々!今年もついに、関ケ原の時期がやって参ったわな!!天下分け目の戦として名が知られておるこの戦が起きたのは、慶長5年9月15日。新暦で申せば1600年10月21日である。現世では旧暦の9月15日から10月21日を関ケ原月間などと申すこともあるそうじゃが、戦いの舞台となった岐阜県関ケ原町ではこの時期えらくにぎわっておって、様々な催しも行われておる。この戦国がたりでも関ケ原に足を運び、陣跡や決戦地、『岐阜関ケ原古戦場記念館』を紹介致したわな。関ケ原の戦いの経緯や古戦場のくわしき話はその時の記事を読んでもらうとして、此度はもう一つの関ケ原、について話してまいろう。それではいざ参らん!!
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