散歩の記事一覧

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1985~86年、私が子供だった頃。家業に明け暮れた年末年始。
阪神タイガースが日本一になった年の12月、父が倒れた。ある朝、布団から出られず、「水が飲みたい」と言うので、14歳の樋口毅宏くんがコップを持って行ったところ、父親の顔半分が曲がっていた。口に含んだはずの水が歪んだ唇の端から零れた。毅宏の中で父親の威厳が崩壊した瞬間だった。父親は関係各所の忘年会に漏れなく出席して朝まで痛飲し、ほとんど寝ないで自らが経営する肉屋「肉のひぐち」で働き続けたため、体がギブアップしてしまった。セブンスターの量も多かった。44歳の体を過信したツケが来たのだ。近所に住む父方の祖母が自宅に駆けつけ、「病院で診てくれ」と懇願した。医者嫌いの父親は「たいひたことないから」と返すのだが、涙ながらの説得に根負けして病院に行ったところ、脳梗塞の診断が下った。即日入院となった。樋口家は大騒ぎになった。師走といえば商人にとって書き入れ時である。雑司谷中学校2年生の毅宏は学期末テストを目前に控えていたが、それどころではなくなった。毅宏は隣に住む母方の祖父母に、当分の間夕食はともにできないと話した。都電雑司ヶ谷停留場から歩いて数分、あずま通り商店街の端に、肉のひぐちはあった。それまでも時給100 円で、ハンバーグをこねるといった惣菜の下ごしらえを手伝ったり、お客の注文を受けて量り売りをする接客をやってきたりしてきた。しかし連日、学校が終わるとその足で肉屋に直行するのは初めてだった。駄菓子屋の遠藤やしらかたの前を素通りする。中学生になると自然と足は遠のいていた。遠藤は最近、店の引き戸が閉まったままだった。「肉のひぐち」は父親、母親、社員の石垣さん、昼はパートのおばさんで回していた。2歳上の兄は早稲田にある支店へ。商業高校に通う兄もまたテストどころではなくなったが、もともと勉強は大の苦手だった。妹もいたが、5歳ではまだ手伝いはできなかった。
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源頼朝が鎌倉に作った御所。その大きさはどれくらいだったのか? 大倉幕府跡と若宮大路幕府跡を巡り、鎌倉の歴史に触れる
源頼朝により日本史上初の武家政権が樹立され、鎌倉がその中枢の地として選ばれた。なぜ鎌倉が選ばれたかについては、この散歩シリーズの第1回目で触れているので、ぜひ参照してほしい。現在も鎌倉に足を運べば、過去の歴史を伝える遺構や遺物とともに、人々が暮らしている光景と触れ合える。それだけに、街中のいたる所で当時の姿を思い起こさせてくれるのだ。同じように市中に多くの史跡が点在する京都と比べると、鎌倉は見どころが集約されているのもうれしい。今回は、そんな鎌倉らしいコンパクトな史跡巡りを、堪能してみることにしよう。
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『ドライブ・マイ・カー』に描かれた東京・竹橋、銀座さんぽ【村上春樹の東京を歩く】
「自分以外のものになれると嬉しいですか」「また元に戻れるとわかっていればね」「元に戻りたくないと思ったことってないですか?」家福はそれについて考えた。そんな質問をされたのは初めてだ。道路は渋滞していた。彼らは首都高速道路で竹橋の出口に向かっているところだった。「だって他に戻るところもないだろう」と家福は言った。みさきはそれについて意見を述べなかった。(村上春樹『ドライブ・マイ・カー』より)この原稿を書いているのは2022年3月半ばのため、映画『ドライブ・マイ・カー』が米アカデミー賞でどのように評価されるかはまだ分からない。ただ、この作品がこれまでカンヌ映画祭のほか多くの映画賞を獲得した、実に優れた作品であることは間違いない。そうして、もうひとつ紛れもない事実がある。この映画の原作『ドライブ・マイ・カー』もまた、文句なしの傑作ということ。以前は『ノルウェイの森』などの長編で村上春樹さんぽをしてきたが、今回は短編集『男のいない女たち』の冒頭を飾った、この傑作短編の道程を散歩してみたい。
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【町田って、どんな街?】神奈川県じゃないよ! 繁華街の楽しさと郊外の美しさを兼ね備えた多面的な街
はじめてこの街を歩くと、「なんだか地方都市みたいだな」と感じるかもしれない。筆者もそう思ったことのある一人だが、これは悪口ではない。いい意味で、あらゆる要素がそろう“完結した街”なのだ。昭和な商店街もあれば、おしゃれなカフェや古着屋もあり、町田独自のカルチャーも息づいている。そして、すこし駅から離れるだけで、目に眩しいほどの緑あふれる多摩丘陵の里山風景……。繁華街の楽しさと郊外の美しさを兼ね備えたこの街を、じっくりと見ていこう。
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早稲田〜面影橋にはどんなマンションがある? アートの香り漂う桜と都電の名所をぶらり散策してみた
「東京さくらトラム」こと都電荒川線の終点早稲田駅から、ひとつ手前の面影橋エリアのマンションめぐり。新目白通りを挟んで南は早稲田大学のキャンパスが並ぶ文教地区、北側は神田川が流れる閑静な住宅地だ。チンチン電車をはじめ、古き良き風情を残す新宿区の一角を、住んだ人の気持ちになって歩いてみた。キーワードは「アート」だ。
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「ソフトクリームのあの子」に会いに行こう~日本全国の行楽地でがんばるニックン&セイチャン~
子どもの頃、夏になるとアイスクリームの移動販売車が家の近所に来ていた。母はそこでバニラアイスとコーンを買い求め、しばらくはそれがおやつになるというのが我が家の定番だった。そのコーンの箱には、巨大なソフトクリームを舐める金髪の男の子の絵が描かれていたことを覚えている。
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「桜」は「咲く」ものの代表選手!? 潔く散るさまも人の心をつかむ日本の花、その名前の秘密
「桜」はもう咲いたか? 見ごろはいつか? 本格的な春とともに、ウキウキそわそわする日々がやってきた。なぜ、「桜」はこれほど私たちの心を動かすのか? ことばの成り立ちから、国語学者の小野正弘先生が解説してくれた。
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あらかわ満点メニューを食べてあら坊あらみぃトートバッグをもらってきた!
2022年3月5日より開催中の「あらかわ満点メニュー及びおうちde満点開発記念キャンペーン」であら坊あらみぃのトートバッグをもらってきました!
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上を向いてまちを歩こう、〈高所無言板〉と空を見上げて
建物の屋上などに掲げられた大型広告看板のことをビルボードと言いますが、これビルの上にあるからじゃないんです。Billboardのbillは公に示された正式な文書のことで、何かを公衆の面前に掲示するからビルボード。もともとは建物外壁に取り付けられたポスター掲示板だったのが、19世紀に印刷技術の進歩とともに自立式の広告看板に進化して現在に至ったというわけです。ただ、そんなビルボードもここのところあまり元気がありません。それは広告不況というより広告媒体のデジタル化の波の影響です。スマートフォンが普及した今、まちなかにどんなに大きく派手な広告を掲げても人びとが手元のスマホばかり覗き込んでいては意味がありません。広告クライアントもデジタル媒体にどんどん乗り換えていきます。ビルの屋上の広告看板に空きが目立ち始めたのも当然のなりゆきなのかもしれません。昭和のアド・バルーンのようにビルボードもいずれなくなってしまうのでしょうか。遠くからも目立つ高い場所にあった看板がどんどん白くなっていく。天空に近い場所から地上を見守るこうした「無」の看板を〈高所無言板〉と名付けて探してみましょう。そのためにまず必要なのはスマホから目を上げて、上を向いて歩くこと。無言のビルボードはどうやらその存在に気付いた人たちをポジティブな気持ちにさせてくれる存在のようです。
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大山詣と富士山目当てに、ヤビツ峠から大山へ【東京発日帰り山さんぽ】
『散歩の達人 日帰り山さんぽ』より、旅先で気軽に楽しめる散歩コースを紹介。歩行時間や歩行距離も明記しておりますので、週末のお出かけにご活用ください。 江戸時代には庶民の間で大山詣が人気を呼んだ。今も麓には宿坊が残る。その大山に手軽に登れるのが、このヤビツ峠までバスで上がる現代版大山詣。<神奈川県 秦野市・伊勢原市>
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余白が街並みを引き立てる。残余氏さんに聞く「残余地」鑑賞の楽しみ方
隅々まで区画整理されているように見える街なかでも、土地開発のはざまで余白が発生してしまうことがある。それが「残余地」だ。20年以上に渡り、街の残余地を観察・記録し続けている残余氏(ざんよし)さんに、残余地の見どころを伺った。
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デジタル化が進む イマドキ商店街さんぽ~都内5つの商店街と1エリアを紹介!
地元で愛される老舗から新しいコンセプトが話題のショップまで、いろんなお店が集まって、その街の個性をあらわすストリート。歴史ある商店街が、今、デジタルの力で進化している……。買い物や散歩の楽しみ方がバージョンアップ中なのです!
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【2022年4月】編集部おすすめ祭り&イベントinformation!
春本番を迎え、気持ちも新たにスタートする4月。そんな季節にぴったりのエネルギッシュな太鼓の祭典をはじめ、お釈迦様の誕生を祝うはなまつりや地元の歴史を題材にした祭りをご紹介。春風に誘われるがままに出掛けて、現地で祭りを体感しよう。
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大人こそ楽しい!造幣局さいたま支局の『造幣さいたま博物館』を見学してみた
日本の貨幣や勲章などの製造を行う造幣局。さいたま市にはその支局が2016年に開局。施設内の工場や併設の博物館は見学が可能で、大人でも驚きと発見が満載の場所だった!
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武蔵野を舞台に、読書体験を映像化。映画『たまらん坂』小谷忠典監督インタビュー
3月19日から新宿K’s cinemaほか全国で順次公開される映画『たまらん坂』は、フィクションやドキュメンタリーの境界にとらわれない意欲的な作品を製作している小谷忠典監督の最新作。⿊井千次さんの小説をもとに4年の撮影期間を費やして制作されたもので、監督が客員教授を務める武蔵野大学の実習の一環として撮影が始まったという、ちょっと変わった経緯をもつ。作品の制作過程や背景、そして舞台となる武蔵野エリアについて、小谷監督に話を聞いた。
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旅先で出会った友人が営む赤坂のモンゴル料理店。そこで過ごす夜は平和で、軽蔑や侮辱とは無縁の世界だった
私にとって、赤坂はモンゴルだ。何を言ってるんだと思われただろうが、なんてことはない。赤坂にあるモンゴル料理店によく行っていたのだ。そこは知り合いのスーホさんとタカシさんがやっていたお店で、こってりした羊料理をたんと振る舞ってくれる。宴が盛り上がってくるとスーホさんが音頭を取り、お客さん全員で歌いながら馬乳酒を回し飲みしたり、指名された客同士がモンゴル相撲をとったりもする。赤坂駅に降り立つときはいつもワクワクしていて、赤坂駅から帰りの電車に乗るときはいつもフワフワしていた。お腹いっぱいで、少しさみしい。いつだって、私にとって赤坂は異国の旅先だった。
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1980年、私が子供だった頃。池袋駅から歩いて5分の、精肉店の家に生まれた子供の一日
郵便番号171、東京都豊島区南池袋2-9-4にお住まいのひぐちたけひろくん(9)はお寝坊さんだ。雑司谷小学校は家から歩いて約10分、墓場を抜けて緩やかな坂道の先にある。登校時間は朝の8時半までだが、たいてい8時過ぎまで寝ている。早起きが大の苦手だ。「たけひろー8時20分だよー!」1階から母親・都志子が叫ぶ。先ほどから何度も呼んでいるが、聞こえないふりをしている。しかしいよいよ待ったなしの気配を感じ取り、布団から跳び起きた。後の行動は速い。黒のランドセルを手に1階へと駆け下りると、テーブルには新聞を読みながら、タバコとコーヒーを嗜む父親・正憲が座っていた。「おはよう」たけひろは返す。「ございます」正憲がズッコケる。ここまででワンセット。9坪しかない一戸建てのため、階段が居住スペースだ。たけひろは階段に座りパジャマから服に着替え、顔も洗わず歯も磨かずに家を出る。朝ごはんはめったに食べない。眠くて食欲がないからだ。のちに「勉強ができる子は朝食をきちんと摂る」というデータを知り、「無理をしてでも朝食を食べていたら、勉強ができたのかな」とちょっぴり後悔するが、ずっと先の話だ。「行ってきます!」家を出て、となりに住む母方の祖父・鈴木文次郎と祖母・フサにも声をかける。「行ってきます!」「行っといで」フサは満足そうな笑みを浮かべる。小学2年生までクラスのリレー選手に選ばれるほど足が速かったたけひろだが、3年生ともなると他の男の子たちも成長するし、何よりたけひろは肥満児になりかけていたので、以前よりスピードが落ちた。それでもたけひろは全速力で学校を目指した。通学路には緑のおばさんが旗を持って児童の安全を見守っているが、たけひろは遅刻しそうな日は近道を選んだ。道の向こうで緑のおばさんが怒っているが知ったことではない。たけひろはなんとかその日も遅刻から免れた。授業中はいつもボケっとしていた。休み時間に遊ぶほうが大事だった。担任の田子弘子先生は明るく、話が面白い女性だったが、勉強となるとたけひろの埒外だ。給食はパンばかりで、ごはんの日はおかわり争奪戦が繰り広げられる。カレーライスの日はそれこそ仁義なき戦いだ。けれども一度だけ、ワインごはんが出た日は、みんな残した。献立を考える栄養士の先生が張り切りすぎたのか、オトナの味は早かったようだ。5限の授業を終えて、そのままホームルームの時間に入る。あした必要なものを忘れずにと田子先生は注意を呼びかけるが、たけひろの耳には入らない。これからが一日でいちばん楽しい時間、友達と遊ぶことにすでに心を奪われている。「先生さようなら」の声を合図に、生徒たちは一目散に各々の家に帰る。
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街の片隅でハイホー、ハイホー~こびと達はなぜ花壇に置かれるのか~
以前、当コラムで動物の置物を取り上げた。庭や玄関先に置かれる動物の置物は、よりリアルな造形を目指して作られているように見える。一方、現実には存在しなさそうなモチーフの置物というのもある。その代表格が「こびと」ではないだろうか。ブカッとした帽子をかぶり、ヒゲをたくわえたこびと達。妖精の一種で、山や森に暮らすと言われている。確かに、草花の間から顔を覗かせるこびとの存在は、庭を一気に童話の世界に変えてくれる。置物のモチーフにこびとが多用されるのもわからない話ではない。
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散歩中にこそ挑戦したい「俳句的なものの見方」とは? 俳人・堀本裕樹さんといく大磯「しみじみ」散歩【後編】
自分の想像力を頼りに、日常のなかで感動を掘り起こす「しみじみ」散歩。前回に引き続き、俳人で『散歩が楽しくなる 俳句手帳』(東京書籍)著者の堀本裕樹さんと、大磯の街を歩いた。堀本さんが提唱する「俳句的なものの見方」「しみじみばえ」とは?
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『楽風』の趣味人・青山さんが作った超アナログ地図「あっおやまっぷ」がすごい!
浦和駅西口を歩くと、街角や店や施設で無料配布の絵地図を見かける。その名も「あっおやまっぷ」。地元生まれの青山正博さんが2014年から描き続けている。それはどんな浦和がのぞけるものなのか?
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