写真展会場のすぐ近くにある廃は競馬場跡

元競馬場交差点付近にある目黒競馬場の碑。蹄がいくつもぶら下がっている。銅像の馬は「トウルヌソル」。英国で大活躍したあと種牝馬として日本へ輸入されて優勝馬を輩出した。
元競馬場交差点付近にある目黒競馬場の碑。蹄がいくつもぶら下がっている。銅像の馬は「トウルヌソル」。英国で大活躍したあと種牝馬として日本へ輸入されて優勝馬を輩出した。

目黒競馬場は明治40(1907)年〜昭和8(1933)年まで存在し、その後は現在の府中市にある東京競馬場へと受け継がれています。私は競馬をやらないのでイマイチ分かりませんが、頼もしいウィキペディアや目黒区のウェブサイトによると、農地ばかりであった土地を借りて開設された目黒競馬場は、1周1マイルのコースがあって、日本競馬会という団体が設立したとのこと。初の日本ダービーが開催された競馬場でしたが、昭和初期になると宅地化の波が迫って現在地の府中へ移転しました。

戦前にはすでに宅地化の波が迫ってきたので、目黒競馬場の跡地はとうに消えて久しいです。地名とモニュメントが残っているだけでも、競馬場のあった歴史を今に伝えるのでありがたい。

ですが、それ以外にも歴史は残っています。道路です。

東方向へ向かう道路は、地形図を照らし合わせると観覧席前の直線となる。
東方向へ向かう道路は、地形図を照らし合わせると観覧席前の直線となる。

元競馬場交差点から南側の住宅地へ入る道路を進みます。次の交差点で左折して東方向へ向くと前方には細い道路が分岐してあって、右へと緩やかにカーブする道が目に入ります。細い道路が入り組み、迷ったら出て来れなさそうな細い生活道路。車での運転はしたくない道ですね。なんだろうこの廃線跡感。緩い曲線はいかにも鉄道の線路だ。むむむ…… と足が勝手に進んでいく。

直線の先に分岐道が現れた。自然と右の怪しいカーブへと歩み始めたら、あなたは立派な廃なるもの好き(笑) さておき、右側がコーナーの始まりの地点であった。
直線の先に分岐道が現れた。自然と右の怪しいカーブへと歩み始めたら、あなたは立派な廃なるもの好き(笑) さておき、右側がコーナーの始まりの地点であった。

どこまでも緩く曲がっていく曲線。このままでは半円になるんじゃないか?と思うころ、ちょっと道がずれて直線となります。いよいよ廃線跡っぽい小道。20m級の車体では急なカーブだから、半円の廃線跡は軽便規格か? 工場専用線か試験線? いえ、これが競馬場の痕跡です。

コーナーの道路は半円なので、歩きながらどこまでも右へ曲がっているかのよう。終わりがないのではと思ってしまう。この狭い幅の道と緩やかな曲線が廃線跡と見間違える。
コーナーの道路は半円なので、歩きながらどこまでも右へ曲がっているかのよう。終わりがないのではと思ってしまう。この狭い幅の道と緩やかな曲線が廃線跡と見間違える。

コースのコーナーが半円の生活道路として残されたのです。では全てのコースが残されているのかというと、この半円と一部の直線部分だけです。西側の曲線は住宅と学校などの施設で消えています。

目黒競馬場は当時のものこそ残されていませんが、一部の形状が継承されているのが嬉しいですね。住宅地となるうんと前に、ここをお馬さんが競争しながら駆けていったのかと思うと、なんだかワクワクします。

半円の曲線が終わると、今度は細い道がずっとまっすぐに伸びている。いやぁ、これは廃線跡っぽいなぁ。でも、コースのバックストレートであった。
半円の曲線が終わると、今度は細い道がずっとまっすぐに伸びている。いやぁ、これは廃線跡っぽいなぁ。でも、コースのバックストレートであった。

唯一の遺構?は倒木から復活した桜の老木

直線を進むと、小さな公園に出会しました。枝葉が低く垂れ込むように伸びる老木があって、立て看板によると、目黒競馬場が現役だった当時から残る桜とのこと。相当な老木であり、腰が曲がったご老人のような出立ちです。平成9(1997)年の台風によって倒木してしまったが、競馬場跡を伝えるものだからと地元住民の要望によって復旧したものです。

競馬場の遺構はありませんでしたが、この老木が、唯一の語り部となりましょう。コース跡の直線はその後もしばらく続いて、小学校敷地へと消えていきました。

直線の道路をしばし進むと現れる小さな公園。枝葉を低く垂れこめるのが目黒競馬場から立つ桜だという。鳩の憩いの場となっていた。
直線の道路をしばし進むと現れる小さな公園。枝葉を低く垂れこめるのが目黒競馬場から立つ桜だという。鳩の憩いの場となっていた。
目黒区立不動小学校に立つ目黒競馬場の説明文。小学校は競馬場移転後にできた。
目黒区立不動小学校に立つ目黒競馬場の説明文。小学校は競馬場移転後にできた。
目黒通りにあるコンビニの傍らに道祖伸と周辺の観光マップがある。それによるとこのコンビニ辺りに競馬場のクラブハウスがあったらしい。
目黒通りにあるコンビニの傍らに道祖伸と周辺の観光マップがある。それによるとこのコンビニ辺りに競馬場のクラブハウスがあったらしい。

グルっとコース跡の道路を辿ってきて感じたのは、「ずいぶんと高台にあるな」です。道路から横を見るとストンと落ちる地形になっています。ということは今いる場所が台地の上、すなわち競馬場は高台にあったことになります。

目黒通りは目黒駅から権之助坂で下り、目黒川を境にして上り坂となります。南側は林試の森公園となっていて、その昔は目黒川へと注ぐ羅漢寺川が形成した谷でした。競馬場は台地の上にあると都合よいのか。少々疑問に思いながら、散策を終えて写真展会場へ在廊していると、その辺の事情にお詳しい方がたまたまいらっしゃり……

「台地は水脈が下がって土地が渇きやすくて硬く、整地がしやすくなる」

なるほど、明治時代の地形図では、台地の下側にある目黒川と羅漢寺川一帯は水田の記号で、台地上にある競馬場は草地などのマークです。ウェブサイトの「今昔マップ」で確認できます。

最後に空撮写真展繋がりで、目黒競馬場跡地を撮影した空撮をお見せします。どこにでもあるような住宅地の広域空撮写真ですが、右側をご覧いただくと、うっすらと半円状の生活道路が確認できます。これが先ほど訪れたコーナー部分となり、南側がバックストレートとなります。観覧席とクラブハウスは目黒通り付近にあったようです。

南側から空撮した。写真下側の先に羅漢寺川の谷と林試の森がある。台地の上にあった競馬場の名残りは右手の生活道路である。
南側から空撮した。写真下側の先に羅漢寺川の谷と林試の森がある。台地の上にあった競馬場の名残りは右手の生活道路である。
たぶん分からないと思うので、上の空撮写真に赤いラインを入れた。この道路がコースの右側部分であった。
たぶん分からないと思うので、上の空撮写真に赤いラインを入れた。この道路がコースの右側部分であった。
今度は東側から。写真下側の見切れているところが下り坂となって、やがて目黒川へ至る。写真左側が林試の森だ。
今度は東側から。写真下側の見切れているところが下り坂となって、やがて目黒川へ至る。写真左側が林試の森だ。
こちらも赤いラインを入れてみた。かなり適当なので若干ずれるのはご愛敬。右側の目黒通り沿いに観覧席とクラブハウスがあったそうだ。目黒通りは競馬場が開設したときから存在していたので、だいたいの位置関係の基準となる。
こちらも赤いラインを入れてみた。かなり適当なので若干ずれるのはご愛敬。右側の目黒通り沿いに観覧席とクラブハウスがあったそうだ。目黒通りは競馬場が開設したときから存在していたので、だいたいの位置関係の基準となる。

宅地化の波に押されて府中へと移転した目黒競馬場。今も府中の東京競馬場では目黒記念というG IIレースが5月末に実施されています。第一回目の日本ダービーを行った目黒競馬場の名を冠したレースです。目黒記念の前後に元競馬場を散策して往時のレースに想いを馳せてみると、レースもより楽しめることでしょう。

それにしても……道路ばかり巡る小さな旅であった。妄想を働かせながら現地へ訪れてくださいませ。

取材・文・撮影=吉永陽一