永井荷風・薄田泣菫・堀辰雄の随筆に見る「どうかすると」の散歩【文学をポケットに散歩する/スケザネ】
文学作品の表現の一節に“散歩”的要素を見出せば、日々の街歩きのちょっとしたアクセントになったり、あるいは、見慣れた街の見え方が少し変わったりする。そんな表現の一節を、作家・書評家・YouTuberの渡辺祐真/スケザネが紹介していく、文学×散歩シリーズ【文学をポケットに散歩する】。今回は、永井荷風、薄田泣菫(すすきだきゅうきん)、堀辰雄の随筆をご紹介します。日常のふとした瞬間を記した文章を読んでいると、よく出会うのは「どうかすると」の一語。昔、アメリカ人の友人に、これってどういう意味と訊かれて、答えに困りました。なんで説明しづらいのかをよく考えると、言葉にし難い一瞬を表現した言葉だからだとふと気がついたのです。そしてその感覚は散歩に必須なのではないか。そんな思いを文章にしています。浅草、奈良、パリと、場所は全く違うのですが、「どうかすると」が導く一瞬を、ぜひ味わってください。