【王子・駒込・巣鴨の切絵図】
染井王子巣鴨辺絵図
「王子」の地名の由来となった「王子権現」から落語『王子の狐』の舞台となった「王子稲荷社」、さらに徳川8代将軍吉宗の命でカエデが植えられたことから「紅葉寺」と呼ばれた「金剛寺」へと歩く。「飛鳥山」も吉宗の命で桜が植えられ、庶民が花見を楽しんだところで、切絵図にも桜の木が描かれている。錦絵には滝野川の風景が描かれているが、渓谷の滝や紅葉などの景勝地として有名だったことがわかる。
飛鳥山の前の通りは日光御成道。「戸川播磨守」の屋敷跡は旧古河庭園、「松平時之助」の屋敷跡は六義園、「建部内匠頭」の屋敷跡は染井霊園になっている。切絵図の中央部を横断するのは中山道。街道口に立つ「真性寺」には旅人たちを見守った江戸六地蔵の一つが鎮座する。
※掲載の古地図は、江戸の町を32区画に分割して作った切絵図を使用。すべて、麹町にあった金鱗堂が出版したもので、屋号である尾張屋清七から「尾張屋板(版)」と呼ばれる。鮮やかな多色刷りが特徴。
※切絵図内の白色の部分は【大名屋敷などの武家地・御用地】、赤色は【神社仏閣】、灰色は【町屋】、黄色は【道】、青色は【海・川・池】、緑色は【山林・土手・馬場・田畑など】を示している。
【散歩コース】
スタート:王子駅はJR京浜東北線で赤羽駅から5分・200円、上野駅から13分・210円、地下鉄南北線で飯田橋駅から13分・210円。
JR京浜東北線・地下鉄南北線王子駅→(2分/0.1km)→王子神社→(7分/0.5km)→王子稲荷神社→(3分/0.2km)→名主の滝公園→(17分/1.1km)→金剛寺→(15分/1.0km)→飛鳥山公園→(21分/1.4km)→旧古河庭園→(20分/1.3km)→六義園→(19分/1.2km)→染井霊園→(17分/1.2km)→真性寺→(4分/0.3km)→JR山手線・地下鉄三田線巣鴨駅
ゴール:巣鴨駅からJR山手線で池袋駅まで5分・160円、上野駅まで12分・200円、地下鉄三田線で大手町駅まで12分・220円。
今回のコース◆約8.3km/約2時間10分/約1万1100歩
王子権現と呼ばれ江戸名所になる「王子神社」
元亨2年(1322)、領主・豊島氏が紀州熊野三社から王子大神を勧請したのが始まり。徳川家康は領地を寄進し、将軍家祈願所と定めた。以来、代々の将軍に崇敬された。
「王子神社」詳細
落語『王子の狐』に登場する古社「王子稲荷神社」
1000年以上の歴史があり、徳川将軍家代々の祈願所になっていた。華麗な装飾が施された社殿は徳川11代将軍家斉の寄進。境内最奥には落語『王子の狐』の舞台となった狐の穴跡がある。
「王子稲荷神社」詳細
滝が落ちる景観は深山幽谷の趣「名主の滝公園」
江戸時代後期に王子村の名主・畑野孫八が開いた園地。1960年に都立公園として公開された。落差8mの男滝が往時の景観を想像させる。
「名主の滝公園」詳細
江戸時代から紅葉の名所「金剛寺」
弘法大師の創建と伝えられ、大師自作の不動明王像が本尊。徳川吉宗はこの付近一帯にカエデの植樹を命じ、金剛寺も「紅葉寺」として親しまれた。
「金剛寺」詳細
江戸っ子たちの花見の名所「飛鳥山公園」
徳川吉宗が、江戸庶民の行楽の地にするため桜を植えたことから花見の名所となった。現在は約600本の桜をはじめ、約1万5000株のツツジ、約1300株のアジサイが咲く花の公園。
「飛鳥山公園」詳細
バラが香る庭園は国の名勝「旧古河庭園」
戸川播磨守の屋敷跡。英国人建築家・ジョサイア・コンドル設計の洋館とバラが咲くテラス花壇が美しい。低地には池泉回遊式の日本庭園が広がる。
「旧古河庭園」詳細
江戸の二大庭園の一つ「六義園」
徳川5代将軍綱吉の側用人・柳沢吉保(よしやす)が自ら設計した回遊式築山泉水庭園。和歌や中国の古典にちなんだ景観が随所に造られている。国の特別名勝。
「六義園」詳細
武家屋敷跡は公営墓地に「染井霊園」
江戸時代は播州林田藩・建部家と津藩・藤堂家の屋敷があったところ。墓地としての歴史は明治5年(1872)から。高村光太郎・智恵子、二葉亭四迷、岡倉天心など多くの著名人が眠る。
「染井霊園」詳細
旅人が見上げた大きなお地蔵様「真性寺」
創建は不明だが、行基菩薩の開山と伝えられる。本堂前に鎮座する地蔵は、江戸に通じる街道の出入り口を守った江戸六地蔵の一つで高さ2.68m。境内には松尾芭蕉の句碑もある。
「真性寺」詳細
【今昔こぼれ話】板橋宿を歩いてみよう
板橋宿は中山道69宿の中で、江戸側から数えて最初の宿場。上方側(京都側)から上宿、仲宿、平尾宿の3つの宿場に分かれていた。
上宿は環状7号線と国道17号が交差する板橋本町あたり。旧中山道を歩くとすぐに縁切榎が現れる。男女の悪縁を切るという言い伝えがあり、皇女和宮(かずのみや)が将軍家に嫁入りするとき、縁起が悪いので迂回したという話が伝わる。
地名の由来にもなった板橋を渡ると仲宿。板橋宿の中でも中心的な宿場だったところで、商店街のにぎわいが往時を想像させる。スーパーマーケット「ライフ」がある辺りが当時の中心部で、通り沿いに板橋宿中宿脇本陣跡や板橋宿本陣跡の石柱や解説板が立つ。近くの文殊院は板橋宿本陣を務めた飯田家の菩提寺。閻魔堂の閻魔像や、足腰の守り神という子(ね)の権現(ごんげん)にお参りしていこう。
JR板橋駅あたりが平尾宿。駅の北側には新撰組局長の近藤勇の墓がある。慶応4年(1868)に捕らえられた近藤勇は、板橋宿に置かれていた新政府軍の本陣に留置された後、板橋刑場で処刑された。
取材・⽂・撮影=アド・グリーン
『古地図であるく 大江戸散歩地図』より







