音楽の記事一覧

61〜80件(全190件)
noimage
赤羽にあふれる音楽。あたらしい「音」を探しに行こう。
赤羽駅のホームに降り立つと、何やら聞き覚えのある発車メロディが。駅前には老舗のCDショップ、街角には年季の入ったストリートピアノ……。今や音楽は配信で、イヤホンを使って聴くことが増えたけれど、この街には生き生きした「音」があふれている。さあ、ちょっぴり懐かしくって、新しい「音」を探す散歩に出かけてみよう。
noimage
すでに堤防は決壊しそうだったが、私は一気に液体を飲み干した
子供の頃は大食いがかっこいいことだと本気で思っていたがあれは何だったのだろう。テレビの大食い番組を食い入るように観ては自分もいつか絶対あの舞台に立ちたいと思っていた。回転寿司へ連れて行ってもらえば自己記録を一皿でも伸ばそうと、食べたくもない寿司を食べた。クラスにも、誰よりも多く給食をおかわりしようとするライバルが必ず数人はいた。大食いがかっこいいという感覚がどこで植え付けられたのかは分からないが、少なくとも大食いに憧れていたのは私だけではなかったようだ。小3の頃、あきひろおっちゃんと呼ばれる友達の叔父がバイキングへ連れて行ってくれる機会があった。将来フードファイターを志す者としては腕を試される場所だ。友達に圧倒的な大食いの実力差を見せつけ、あわよくば初対面のあきひろおっちゃんにも「こんなに食う子がいるのか」と驚いてもらいたい。ただ、あきひろおっちゃんは怖い人だと常々聞かされていたので少し不安だった。何の前触れもなくブチ切れ、友達のいとこはよく泣かされているらしい。何が逆鱗に触れるのか分からず怖かったが、とりあえず「いただきます」と「ごちそうさま」を忘れないように言おうと決意した。おっちゃんは車の中でほとんど喋らず、友達もいつになく無口だった。車内の静けさが不安を搔き立てたが、店に着いてしまえばそんなことを気にしてはいられない。制限時間は90分。友達と競い合うように肉を取り、我先にと網へ乗せていく。あきひろおっちゃんは私たちを気にするでもなく、ただ自分のペースで肉を焼いていた。昼飯を抜いて可能な限り腹をすかせて臨んだのに一時間も経たないうちに満腹になった。時間はまだまだ余っている。ここからが勝負だ。鶏肉など比較的あっさりめの肉に切り替え、強引に咀嚼し飲み込んでいく。腹がいっぱいでも感覚を無視して口に入れていけばなんとか食べられるものだ。そう感じた瞬間もあったが、しばらく経つともう満腹感どうこうの問題ではない、今までに経験したことのないレベルの限界を感じた。これ以上は何一つ食べたくない。いや食べられない。
noimage
中高生の頃、死ぬほど聴いていたアルバムを聴き直してみました
最近(注:2018年)はヒップホップばかり聴いている。そして反動なのか、10代の頃に聴いていたアルバムを引っ張り出している。懐かしかったり、あまりの音の古さに驚愕したり、よくこんな文学的とはほど遠い、幼稚な歌詞の歌を聴いていたなとしみじみしたり。中島みゆきや泉谷しげるも入れようかと思ったのですが、このふたりに限って30年間ご無沙汰ということはありえませんでした。というわけで、我ながら恥ずかしい企画だなと思いますが、いってみますか。
noimage
朝ドラ『カムカム』ロスのあなたに捧ぐ! 歴史的傑作の舞台、岡山・大阪・京都を3人のヒロインと歩こう【朝ドラ妄想散歩】
朝ドラ『カムカムエヴリバディ』がついに完結。朝ドラは半年間も放送するから毎回「ついに完結」という思いがあるが、今回は親子3代、100年の物語という、まさにNHKの“ファミリーヒストリー”を具現化する作品で、「ついに」という感慨は普段より大きい。大正から令和まで続く家族の物語を最後まで見終わり、達成感を感じた人も多いだろう。安子(上白石萌音)、るい(深津絵里)、ひなた(川栄李奈)と朝ドラ初の親子3代の物語に胸を熱くさせられた。ヒロインたちは戦前、戦後、そして平成を懸命に生きる女性として描かれ三者三様に美しく、まぶしかった。
noimage
池袋PARCOの屋上でフェス開催!4月16日・17日は「ChillCity2022 Spring in Ikebukuro PARCO」
音楽、映像、アート、ファッション、フード……さまざまなカルチャーが入り混じり、「チル」をぎゅっと詰め込んだ空間を提供するフェス『ChillCity』。池袋PARCOの屋上を舞台に圧巻の映像投影で魅せるイベントが、2022年4月16日・17日に開催される。
noimage
神社の息子パワーは、小泉進次郎似の若者の前に全く無力であった
実家が神社をやっている影響で、子供の頃の私は近所の人たちから割と丁寧に扱ってもらっていた。道を歩いて老人とすれ違うと「あんた神社のとこの子やんな。はよお父さんやおじいちゃんみたいに立派な神主にならんといかんで」と声をかけてもらうことが多々あった。親の命令により毎日学校に行く前に神社の階段を掃除させられていたことも近所で知られており、「あんたは偉いなあ」とよく知らない人から褒められたりもした。半面、私は古典的なマンガに出てくる悪ガキ的ないたずらをして、近所の雷親父から「コラー!!」と追いかけまわされるようなキャラクターにちょっと憧れていた。しかし、もしいたずらをした相手が私を神社の息子だと認識していたら、過去に「立派な息子さんやなあ」と神主の父にお世辞を言ったことなどを思い出し、𠮟りつけるのを躊躇して気まずい空気になるのではないか。そんな心配のせいであまり大胆にピンポンダッシュもできず、サザエさんのカツオのような天真爛漫なやんちゃ坊主とはかけ離れた自分のキャラ設定を歯がゆく思った。年に一度、神社が主催する恒例のバスツアーがあった。30人程度でバスを貸し切り、ほかの地方の有名な神社を回る。神主である父親はそのバスツアーの先導役であった。私はあまり神社を巡りたくはなかったが、毎年3日ほどは小学校を休み、バスツアーに参加させられた。神社の跡継ぎとして期待され、高齢者ばかりの旅に参加する唯一の子供であった私は、みんなに可愛いがられた。人見知りで無口な子供だったため小学生としてはあまり可愛げがなかったように思うが、他に比較対象がいないおかげでツアーのマスコットキャラクター的な注目を一身に集め、ことあるごとに「これ食べな」とおやつを貰ったり、「学校は楽しいか」と話しかけられた。私はイメージを壊さないようできるだけ努力して振る舞いながらも、学校でのキャラクターとは違う丁寧な扱われ方を息苦しく思った。大学2年の時、上京していた私のもとに父親から電話がかかってきた。昔私が参加していたバスツアーで、新橋のちょっといいホテルに来ているらしい。「美味いもん食わせてやるから仲がええ友達何人でも連れてこい」と父親は言った。今や典型的ダメ大学生と化した自分が、信心深い氏子さんたちの集まる場に顔を出すのは多少抵抗もあったが、その頃金欠であまりいいものを食べていなかったせいもあり、「美味いもん食わせてやる」という父親の誘いは魅力的だった。サークルのたまり場で友人たちに話してみるとみんな「面白そうじゃん、行ってみようぜ」と乗り気な様子だったので、そのまま友人たち3人を引き連れ新橋へ向かったのである。
noimage
海辺の町だからこそ味わえる房総半島のグルメ&カフェ12選。海と海の恵みを堪能しよう!
どこへ行ってもおさかな天国の房総。モノもよければ値段もリーズナブル! そして、開放感がたまらない海が見えるカフェも外せない。わざわざ食べに行きたくなる房総半島の地元めし11選をピックアップしました。お昼と夜とで、ハシゴするのもアリかも!
noimage
俺たちは「東京の人」になった。ただそれだけでうれしかった。
3月にしては暖かい日だった。第一志望の早稲田大学文学部に合格した私は、姉に付き添ってもらい不動産屋を回っていた。高田馬場駅近くには不動産屋がいくつもあり、おすすめの物件情報がペタペタ貼られた看板がずらりと並んでいる。とりあえず名前を聞いたことのある綺麗な不動産屋に入ったが、話を聞いている合間に姉から「やす、もうここ出るで」と促された。店を出て「何がいかんかったん?」とたずねると、こちらが指定した値段よりちょっと高い物件ばかり出してくる不動産屋はダメだ、とのこと。「不動産屋って基本こっちの言うことごまかして、できるだけ高い部屋借りさそうとしてくるもんやから、気つけんといかんで」と姉は言った。いい人そうな店員だったが、確かに私の希望より数千円高い物件ばかり紹介してきた。でもちゃんとした不動産屋がそんなずるい事をするものだろうか。次は「早稲田の学生向け物件多数」と看板に掲げていた店に入ってみた。さっきは「高田馬場周辺で3万円代」という条件を伝えると非常識なことを言っているような反応をされたが、そこの若い男性従業員は「風呂無しでかなり古いアパートになりますよ?」と牽制しながらも、条件を満たす物件を最初から出してきた。なるほど。姉の言う通り、いい不動産屋と悪い不動産屋があるのかもしれない。その不動産屋の従業員の多くは早稲田の卒業生らしい。私が当たった男も法学部だったという。物件の紙を見せながら、「ここ友達が住んでたんですけど居心地よかったですよ」などと現場感のある情報をくれる。この不動産屋いいじゃん、と思った。いくつか紹介された中から2つに絞り、流れのまま内覧をすることに。歩いて向かっている途中、「何で文学部にしたんですか?」とたずねられた。自分なりに細かい理由はあったが、話せば長くなる。「まあ本とか好きなので……」と曖昧に答えると、「へえ、どんな作家読むんですか?」と掘り下げてきた。好きな本はたくさんあったが、好きな作家は誰かと聞かれたらなかなか難しい。国語の教科書に紹介されているような有名な文学作品はそれなりに読んだものの、掘り下げて何冊も読んでいる作家はほとんどいなかった。悩んだ末に、思いついたのが重松清だ。直木賞を受賞したタイミングで名前を知り、図書館で借りて読んでみたら面白かったので5冊くらい読んだ。どれも面白かった。確か、あの人も早稲田出身だったしその辺でも話が広がるかもしれない。そんなことを思いながら「重松清とか読みますね」と答えた私に対し、不動産屋は苦笑しながら「ああ……、あんま本読まないんですね」と言った。イラッとした。どうして売れてる作家だと読んだことにならないんだよ。咄嗟に「え、じゃあ誰の本読むんですか?」と聞き返すと、彼は表情に余裕を浮かべ「三島とか谷崎とかですかね」と言った。卑怯な男だ。歴史が才能を証明した、否定しようのない作家ばかり挙げてきて。三島由紀夫が天才だったとしても、それを読んでるお前がすごいことにはならない。ていうか俺も『痴人の愛』ぐらい読んだことあるし。地元では好きな本の話をできる友達が少なく不満だったが、東京ではふらっと入った不動産屋の店員が好きな作家で人を見定めてくる。いや、早稲田にそういう奴が多いだけかもしれない。そういえばこの店員は文学部より若干偏差値が高い法学部の卒業生であることを、聞いてもいないのに節々でアピールしてきた。大学で音楽サークルに入るつもりだった私は、サークルを回って好きなミュージシャンをたずねられた際は、人から絶対にマウントを取られない名前を挙げようと、そのとき深く心に刻み込んだ。
noimage
ハンズにZepp、大江戸温泉物語……2021年下期に姿を消した平成の風景
日々、街の表情が大きく変化する東京。2006年、私はふと思い立って、消えていく風景を写真に納めることにしました。「消えたものはもう戻らない。みんながこれを見て懐かしく感じてくれたらうれしいな」とそれぐらいの気持ちで始めた趣味でした。そんな、東京から消えていった風景を集めた「東京さよならアルバム」。今回は第17弾として、2021年8~12月に消えていった風景を紹介します。 写真・文=齋藤 薫
noimage
純烈リーダー・酒井一圭に聞く、思い出のスーパー銭湯~館内着で育んだ“純子”と”烈男”とのメモリアル~
ある時は、大江戸温泉物語の幕間舞台で。またある時は健康センターの大広間で。お風呂屋さんからブレイクしたスーパー銭湯アイドル「純烈」。館内着で育んだ“純子”と”烈男”とのメモリアル。
noimage
かぐや姫『神田川』に歌われた「小さな下宿」や「横町の風呂屋」は今もあるのか?【街の歌が聴こえる/早稲田・高田馬場編】
今回の舞台は「早稲田、高田馬場」界隈。NHKの朝ドラにも登場した『紺碧の空』と四畳半フォークの金字塔『神田川』がテーマである。あの歌に出てくる「三畳一間の小さな下宿」は、今もどこかにあるのだろうか?
noimage
赤坂の繁華街で上司は言った。「マックでいいんじゃね?」
五反田の本社から品川に派遣され、できもしないシステムエンジニアの真似事をやっていた時期、とにかく仕事に行くのが嫌で仕方なかった。職場のビルに火災が発生したり、爆破予告が行われたりして休みになればいいのに、と不謹慎なことを毎晩夢想していた。“公園やパチンコ屋でサボっている営業職の話”を仕事中にこっそりネットで読み、心から羨ましく思った。派遣先に常駐させられている私にできる精一杯のサボりは、そうしたネットのくだらない記事を小さなウインドウで盗み見したり、喫煙所に行く回数を増やすことくらいだった。しかし稀に、公然と社外に出て上司からの監視を逃れられるイベントがある。その一つが健康診断だ。溜池山王にある健診センターに出向き、小一時間ほどの健診を受ける。年に一度の大イベントだ。数日前から待ち望んでいた健康診断。午後からの健診ならそのまま直帰できる可能性も高かったが、午前の健診に振り分けられた私は、終了後再び品川に戻ることを命じられ落胆した。それでも、数時間職場から離れられるのはありがたかった。昼メシや帰り道にできるだけ時間をかけて帰社時間を遅らせれば、ほとんど働かずに家に帰れるかもしれない。小学校の遠足より楽しみにしていた健康診断当日。出社していくつかメールを返したりプログラムのコードを眺めたりしているうちに溜池山王へ向かう時間が来た。仲が良かった同期も同じ午前の健診だった。席まで迎えに来てくれた同期と一緒に、浮き足立ったテンションで会社を出て駅へ向かう。しかし健康診断は、流れ作業のように、あっという間に終わった。始まってまだ30分しか経っていない。効率化が徹底されている。もっと無駄に並ばせたり、ダラダラやってくれてもよかったのに……。さて、ここからが私の技術の見せどころ。できるだけゆっくりとランチをし、できるだけチンタラ歩いて品川へ戻ることにしよう。
noimage
ハウンドドッグを笑う奴は誰だ
あれは高1のときだった。頭の悪い学校に通い、担任の小井戸がいる社会科の教員室に呼ばれた。小井戸は朝日新聞を読んでいた。番組表の横にハウンドドッグのライブの広告がデカデカと載っていた。そこにはこんなキャッチコピーがあった。“ハウンドドッグ日本武道館10DAYS”その下には長いセリフキャッチ。“武道館10daysオレはかりたてられる武道館10daysあきらめない大友康平“小井戸の前ではおくびにも出さなかったが、軽く面食らった。だってロックミュージシャンの夢である武道館を10日間もやるっていうんですよ? しかもこの後1日追加され、その日はファンに無料で開放したと知ってグッときた。小井戸が何を話したかまるっきり覚えていないけど、ハウンドドッグのその広告は脳裏にはっきりと焼き付いている。ハウンドドッグはこの前年、日清カップヌードルのCMに「ff(フォルティシモ)」が起用されてブレイクした。“愛がすべてさ 今こそ誓うよ 愛を込めて 強く強く”わかりやすい歌詞ですね。ちなみにこの頃カップヌードルのCMに使われた主題歌はすべて大ヒットしていた。大沢誉志幸の「そして僕は途方に暮れる」、中村あゆみの「翼の折れたエンジェル」、鈴木雅之の「ガラス越しに消えた夏」(作曲とプロデュースが大沢誉志幸)。みんなブレイクした。ハウンドドッグはこれより前に一応売れていたのだけれど、全国区になって「夜のヒットスタジオ」など歌番組に頻繁に出るようになったのはここから。ハウンドドッグは売れた。売れた。まあ売れた。ハウンドドッグを仕掛けた事務所はMOTHER。MOTHERは所謂「ギョーカイ」に興味がなかった素人の僕でさえ「あそこは他と一線を画す」という認識を持たせた。なんせハウンドドッグの他に尾崎豊、ストリート・スライダーズ、レッド・ウォリアーズ、LOOK(!)、泉谷しげるなど。みんな男臭い。みんな大好物。栄華を極めていた。ハウンドドッグの戦略はカリスマ性を持つボーカリストの大友康平はもちろん、先述した煽りの広告と「●days」で、次々とライブの動員数を増やしていくもの。「応援したい」とファンを駆り立てるものだった。はい、僕もその動員にまんまと貢献しましたよ。あー小っ恥ずかしい。僕の初ハウンドドッグライブは、記憶が正しければ1988年8月26日。「西武球場5days」の中日だった。超満員。入場曲は「炎のランナー」。花火の代わりに巨大スポットライトで空を照らす大掛かりな演出。「ff」の最中ずっと腕を振り上げなければならないので右肩が疲れたことぐらいしか覚えていない。あ、もう一個思い出した。同じ日にチェッカーズが東京ドームでライブだったの。それで当日夜、とんねるずがフジテレビの番組(「プロ野球ニュース」の特別版?)で、見慣れないキャスター仕事を務めていた石橋と木梨が「西武球場まで野球を観に行ったらハウンドドッグがライブをしていました」「僕は東京ドームに行ったらチェッカーズがやってました」とニヤニヤしながらコメントしていた。なんでこんなくだらないことを覚えているのだろう。悲しくなってきた。翌年、ハウンドドッグは「首都圏30days」なるツアーを企画する。友達の椿くんに誘われて横須賀まで足を延ばした。あと1日は確か千葉。両方とも小さいハコで、大友康平が舞台袖までやってきたので見ていた2階から階段を駆け下りた。この頃だろうか、この連載に何度となく出てくるTBSラジオ「サーフ&スノー」に、女性リスナーから送られてきたハウンドドッグのライブ感想のハガキが読まれた。平たく言うと「みんなで一糸乱れず拳を振り上げる様子が、我にかえると怖い感じがした」。今よりずっとアホだった僕は「なんじゃそりゃ」と反感を抱いた。もちろん今はわかる。その後U2が敢行したワールドツアーで、ライブがいかにヒトラーの演説と同じ構造を持つか、観客を熱狂に駆り立て、ファシズムや全体主義を生み出すかをシニカルに実証した。それにしてもあのハガキを選び、読みあげたDJの松宮一彦はなんと賢者だったことか。
noimage
銭湯のサウナでワールドカップを見る日
これまで数えきれないほど銭湯に通ったのに、いまだに銭湯のルールが体になじみ切っていない。「タオルを湯船に浸けないでください」や「髪染め禁止」など注意書きに書かれているような基本的なルールは遵守しているつもりだが、はっきりと明文化されていない微妙なルールがそれぞれの銭湯にあって、自分は放っておくとすぐその暗黙の了解に抵触してしまいそうで危なっかしい。四国の実家近くには銭湯がなかった。銭湯というのは、ある程度の都会にしかないのかもしれない。いわゆる銭湯ではないが、食堂や休憩所などが備え付けられている健康ランドや町の温浴施設みたいなものはそこそこあったし、よく友達の親に連れて行ってもらったりもした。そこで公共の風呂のルールは覚えた気になっていた。18の時に上京し、初めて近所の銭湯に行ったらいきなり激しい洗礼を受けた。おい、体を洗ってから湯船に浸かれよ!  汚えだろ!  と常連っぽいおっさんに怒鳴られたのだ。決して服を脱いでそのまま湯船に飛び込んだわけではない。一応掛け湯で体を流し、股間をゴシゴシやってから入ったのだが、どうやらそれだけではダメだったようだ。地元ではそれで特に何も言われなかったし、健康ランドにも「掛け湯をしてから入ってください」としか掲示されていなかったのに、都会の銭湯はこんなに厳しいのか。確かに周りを見回すと、みんな最初に洗い場へ行ってシャワーで体や頭を洗ってから風呂に入っている。それからは毎回最初に洗い場へ行くようになった。怒られたくないので、はい、いま体洗いましたよ、という証拠作りのためにやっている部分もある。まあ、掛け湯だけするよりはシャワーで体を綺麗にしてから湯船に入るに越したことはないのは確かだ。ただ他にも、いまいち納得のいっていない銭湯のルールもある。まず、浴場の隅にプラスチックの椅子が重ねて置いてあり、使うたびいちいち取って来なくてはならないタイプの銭湯。あのシステムの意味がよくわからない。現に、各シャワーの前に椅子が常に並べられている銭湯もある。取って来たり片づけたりするのが面倒くさいので、どこの銭湯もそうやっていつも椅子を並べておいてくれたらいいのではないか。
noimage
長渕剛をちゃんと語ろう~気さくなアンちゃんはどうしてあんなコワモテになったのか~
いったいどこから語りましょう。活動歴は40年以上、いまだ第一線でヒット曲多数、キャラ的にもぶっ飛びすぎたこの偉大なミュージシャンを客観的に、かつ正しく評価するのは正直難しい。まずは「順子」かなあ。生放送のザ・ベストテンで「順子」を歌い出すも手拍子する客を制していちから歌い直したのが僕の長渕初遭遇だった。あれが1980年かな。長渕は「巡恋歌」「順子」と「乾杯」ですぐに売れたけど、その後数年の低迷期があり、フォークからロックへと徐々に転向し、歌い方も変わった。当時もっとも革命的なギャグ漫画『コージ苑』で、登場人物に「あんなの忌野清志郎のマネじゃねーか」と描いてあったことを覚えている。歌手と俳優業は本来別物だが、長渕ほど二足の草鞋に成功した人はいない。83年にTBSドラマ「家族ゲーム」の家庭教師役で新たな側面を見せた。なんで長渕がいきなりドラマの主役に?と思うんだけど、「3年B組金八先生」で武田鉄矢を抜擢して大成功したTBSが、「フォーク歌手に教師役をやらせるといいぞ」って味をしめたからですね。「1年B組新八先生」は岸田智史、「2年B組仙八先生」はさとう宗幸とそれぞれパッとしなかったけど、長渕は花開いた。以後、「家族ゲーム」の続編に、「親子ゲーム」(これで共演した志穂美悦子と結婚)、「親子ジグザグ」(母親役の李麗仙との絡みが最高)。ここまでは、長渕は「気さくなアンちゃん」だった。確か同じ頃にライブ後に倒れて救急車。85年の復活武道館、円型ステージで「勇次」の観客大合唱の音源は今聴いても鳥肌。そしてキャリアナンバーワン候補の名曲「STAY DREAM」。で、なんと言っても次の「とんぼ」ですよ。長渕ドラマのひとつの到達点でありキャラ変転作。本作でヤクザを演じ、現在まで続くコワモテのイメージを続けることになる。愛しやすい形ではなくなった。少なくとも僕にとっては。弟分を演じたのはこれが初めてのドラマ出演になった哀川翔。当時一世風靡セピアが下火で特にやることがなかった哀川が同じ鹿児島県出身ということで長渕のライブの後楽屋を訪ねたら、長渕がブーツを脱ぎながら笑顔で「鹿児島のどこね?」って訊いてきて、哀川が「芸能界にこんな気さくな人がいるんだ……」って驚いたやつ。すぐに気に入られて長渕の推しで「とんぼ」に出ることが決まって、すでに役者として活躍していた同じ一世風靡セピアの柳葉敏郎に電話で相談。「ギバちゃん、俺セリフなんて覚えられるかなあ」「翔ちゃん、慣れよ、慣れ」ってエピソード大好き。結果、長渕が翔やんを誘ってなかったら、その後のVシネの隆盛も「木更津キャッツアイ」も三池崇史監督の出世作『DEADOR ALIVE』もなかったと思うと恐ろしいですね。話戻します。「とんぼ」を収録したアルバム『昭和』はイニシャル100万枚。わかります?  全国のレコード店に積まれた初回枚数がミリオン。いまの音楽業界では絶対ありえない。まあ売れた売れた。でも個人的な長渕ベストは87年の『LICENSE』。「長渕のアルバムは30枚以上あってどこから聴いたらいいのかわからない」って思っているあなた、絶対これ! 長渕の師匠格の吉田拓郎も絶賛していたなあ。一曲目の「泣いてチンピラ」から、長渕の人生遍歴が歌われる。前妻石野真子との別れを想起させる「PLEASE AGAIN」や、コードがふたつだけの「パークハウス701in1985」。先述した「親子ジグザグ」の主題歌「ろくなもんじゃねえ」。仲が良かった石倉三郎の夫人の店の名前から付けた「花菱にて」。タイトル曲「LICENSE」は子ども時代を回想し、粗暴な父と日常的に殴られていた母について歌う。この人マザコンだなあって思った。シメは「何の矛盾もない」。明らかにここで歌われる人は志穂美の悦ちゃんだって、リスナーはみんな思ってました。今回21世紀になって初めて長渕のアルバムを全作聴き直してみました。自分でも影響を受けているなあと感じた。乱暴なことは承知で長渕の作品性および人格をふたことでズバッと言い当ててみます。情緒メロディの天才。もうひとつ。根深い人間不信。それらを感じずにはいられなかった。特に後者は本来なら生きていく上でかなり致命的なはずが、シンガーソング・ライターとして日本屈指の才能を持つゆえに逆に生きた。また話逸れるけど清原和博が引退セレモニーで長渕に激唱してもらうほど熱烈なファンってほんと頷ける。清原ってあんなに体がデカいのにありえないほど気が小さいでしょう。PLの学生のときから人がたくさん寄ってきて利用されて、人間不信になって長渕に共鳴したのは必然かもしれない。
noimage
ビートたけし『浅草キッド』を聴きながら六区とフランス座周辺の路地を歩いてみた。【街の歌が聴こえる・浅草編】
映画『浅草キッド』が話題である。その舞台は浅草、中でも浅草エンターテインメントの中心地「六区」である。曲がりくねった路地に吹く「六区の風」を感じながら、歌とともに浅草の栄枯盛衰を辿ってみたい。
noimage
夢を追う若者が集まる下北沢に、なぜ私は苦手意識を感じるのか?
昔は下北沢へ行くとワクワクしたりもしたが、30歳を超えたあたりからは苦手になってきた。下北沢には夢を追うたくさんの若者たちが毎夜集っている。それは素敵なことかもしれないが、問題はそういう熱い若者たちの一部が私をひどく軽んじ、時によくわからない憤りを浴びせてくることだ。飲み屋で少し話しただけの若者から「お前みてえなヌルい奴が一番嫌いなんだよ」などと言われたこともあるし、軽いパンチや蹴りを食らったこともある。彼らからすると、私はおそらく社会のぬるま湯に浸かって目が死んでしまった、つまらない大人の一例で、パンク風鬱憤をぶつけるにはちょうどいい相手なのだろう。屈辱的な経験はいくらでもあるが、中でも決定的だったのは数年前、ある若手芸人の集団に出くわした夜の出来事だった。その日私は、知り合いの芸人が店長をやっている居酒屋でいい感じの女性と飲む約束をしていた。集合時間は24時と遅く、流れ次第では何かが起こるのではという下心もあった。
noimage
吉田拓郎『制服』を聴いて東京駅地下道を歩く~都会という名の病【街の歌が聴こえる・東京駅/丸ノ内編】
イヤフォンから流れる『制服』や『赤いハイヒール』を聴きながら考えた。少女たちが東京駅に着いたその日、どこを歩き、どこでハイヒールを買ったのだろうか……と。
noimage
『ハルノヒ』を聴きながら、野原ひろしがみさえにプロポーズした北千住を歩いてみた。【街の歌が聴こえる・北千住編】
最近はビールのCMでもよく流れている『ハルノヒ』って、じつは、2019年に公開されたクレヨンしんちゃんの映画の主題歌なのだな。歌詞の冒頭にでてくる北千住駅のプラットホームは、しんちゃんの父・野原ひろしが妻のみさえにプロポーズした場所だったという。
noimage
魂を揺さぶる東京のロック酒場10店をピックアップしました! ボヘミアンな夜を楽しもう。
日本でも社会現象を巻き起こした伝説のロックバンド・クイーンの伝記的映画『ボヘミアン・ ラプソディ』が公開されて早数年。気づけば60年代のロック黄金期から半世紀も経っているが名曲というのはいつまで経っても色褪せないものです。ロックからルーツをたどりブルーズまで、あなたの魂を躍らす東京の音楽酒場10店をご案内します!
PAGE TOP トップへ PAGE TOP 目次へ