音楽の記事一覧

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まだ見ぬ宝物は見つかるか?わざわざ行きたいマイナー駅
ターミナル駅では1日数十万人が乗降する東京。一方で利用客が極端に少ない“マイナー駅”も存在する。そこにはいったい何があるのだろう?普段はわざわざ降りぬ3つの駅を探索してみた!
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野口五郎『私鉄沿線』いきものがかり『SAKURA』の面影を求めて小田急線を歩く【街の歌が聴こえる/本厚木~千歳船橋編】
厚木駅を発車した列車は、まもなく相模川に架かる鉄橋を渡る。右手には相模大橋が見えてきた。いきものがかりの『SAKURA』で唄われた情景だが……あいにく、訪れた時はまだ秋。桜の花はない。川畔には見えるのは枯れ木だけ、寂しい眺めだった。
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番組終了から8年……ああ忘れまじ、『 笑っていいとも!』脳内傑作選
ふと思い出したんですけど『笑っていいとも!』が終了して今年で8年になるんですね。時の流れは速い。今から僕の記憶の中から『いいとも!』傑作選をお蔵出ししていきます。すっかり忘却されて誰もネットには記していないでしょう。ひょっとしたら僕の記憶違いかもしれない。でもどうか好意的に受け止めて下さい。これはテレビが大好きだった(過去完了形)元男の子によるメモリー開陳です。それではランダムにしたためていきます。 「テレフォンショッキング」ってあったじゃないですか?  ゲストがお友達に電話をかけて翌日の同トークコーナーに出演してもらう。あれって途中から番宣とかパブメインで使われていきますけど、そのきっかけとなった番組は何か覚えていますか? もったいぶらずに答えを言います。『ふぞろいの林檎たちII』なんですよ。そう、TBSのドラマ。あれで中井貴一、時任三郎、石原真理子、手塚理美といったメインどころが週をまたいであのコーナーを活用したんです。よく覚えているのが、タモリが石原か手塚に「いつ最終回なの?」と訊いて、「来週です(再来週だったかな)」と答えると、客席からやらせではない「えーっ!」って声が上がりました。『いいとも!』の観覧客=一般人は自分が気になるドラマがいつ最終回か知らないのがわりと当たり前でした。今みたいにネットで検索できないし。大方の視聴者も、えっ、『ふぞろいII』そろそろ終わっちゃうんだ⁉︎ って同じ気持ちだったんです。誰が仕掛けたのかは謎ですが、『ふぞろい』キャストによるテレフォンショッキングジャックは予想以上の反響を招きます。その証拠に全13回中、11回目の視聴率が17.5%だったのに、12回目は20.4%。最終回は20.0%。見事に有終の美を飾りました。今調べたら『ふぞろいII』の最終回は1985年の6月7日。ようやく家庭にVTRが導入されつつあったとはいえ見逃したら終わりの時代。もちろん『ふぞろい』以前、フジテレビの番宣のためにゲスト出演したケースもあったでしょうが、あそこまでひとつの番組の出演者が連続して登場し、数字に結び付く活用の仕方をしたことはそれまではなかった。フジテレビの誰よりも、他局のスタッフのほうが「いいともは番宣に使えるぞ」と見抜いていた。そして『ふぞろい』の後、ようやくフジテレビも『いいとも!』の影響力を認識します。テレフォンショッキング以外のコーナーにも番宣ゲストを登場させるなどして。一方、テレフォンショッキングの間違った使い方と言えばA・Y。女性週刊誌に表紙からデカデカと「真っ昼間男の家に行って髪型が変わって出てきた」と書かれた。いくら週刊誌が売れている時代とはいえ、世間のほとんどがそんなことは知らない。なのにAさん、当該週刊誌を取り出して「噓ばっかり!」と反論した。しかしこれが逆宣伝となり、売り上げ急増に貢献してしまったそうです。
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青山通りはアビーロードに似ているだろうか~かぐや姫『アビーロードの街』『マキシーのために』、尾崎豊『十七歳の地図』の舞台を歩く【街の歌が聴こえる/青山通り編】
ハンガリーから贈られた「街の音楽」という像が青山通りにある。道化師のような紳士が気持ちよさそうにバイオリンを弾いている像だ。今回の舞台は青山通り。かぐや姫と尾崎豊の名曲の時代を想像しながら歩くことにしよう。
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8月6日が来るたびに思い出す。 浜田省吾と名盤『J.BOY』。 ハマショーはなぜ怒っていたのか。
1986年――。それは日本のミュージシャンのアルバム当たり年だった。3月、BOØWYの『JUST A HERO』。4月、山下達郎の『POCKET MUSIC』。6月、松田聖子自身最大のセールスを記録する『SUPREME』。7月、渡辺美里が大ブレイクする2枚組『Lovin’ you』と、KUWATA BAND唯一のオリジナルアルバム『NIPPON NO ROCK BAND』。10月、バービーボーイズの『3rd BREAK』。11月、大江千里の『AVEC』と、BOØWYの『BEAT EMOTION』。12月、オフコースに在籍しながら小田和正のファーストソロアルバム『K.ODA』と、佐野元春の『Café Bohemia』。何これ。書き連ねていくうち怖くなってきた。大半がオリコン1位。全部持ってた。1986年は世代も性別も音楽性も異なるミュージシャンがキャリア最高傑作と呼ぶにふさわしいアルバムが発表された。そしてその中でも9月に発売された、浜田省吾の『J.BOY』は圧巻だった。オリジナルアルバム2枚組。当時33歳の浜省が半生を振り返り、余すところなくすべてを詰め込んだ集大成が『J.BOY』だった。メッセージ性の強い歌詞で綴られる、珠玉の物語集。これは読んでもらわないとわからないので「AMERICA」、「八月の歌」、「J.BOY」の歌詞を見てください。
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YouTubeで成功した後輩たちに会って感じた、青春の光と影
私が通っていた早稲田大学には当時数十もの音楽サークルがあったが、私がいたサークルは“オリジナル曲中心”を標榜していた点で他とは少し違った。ヒップホップ、ブラック・ミュージック、レゲエなどジャンルによって区別されているサークルが大半の中、実力はさておき、とにかく自分の音楽を作り、ひいてはその音楽で世に打って出たいという野心を持つ者が数多く属していたように思う。とはいえ、ごく一部の例外を除きその活動が世間に評価されることはない。サークル員たちはバンドを組み下北沢や新宿のライブハウスに毎月出演していたが、全く芽の出る気配のない数年を経た後も音楽を諦めきれず、またはサークル内の退廃的な空気に流され1年か2年留年した後、結局は普通に就職してそのうちバンドをやめてしまうパターンが大半だ。就活に力を入れて来たわけではないため有名な大企業に入社できるような者はほとんどおらず、大体は適当な中小企業に就職する。私も音楽で世に出るという野望を隠し持ってサークルに入ったクチではあるが、やはり1年留年して卒業する時期になっても音楽で食っていく道は全く開けていなかった。才能はなくともバンドを諦めて実家に帰るのはどうしても受け入れがたく、東京に残る口実として仕方なく小さなIT企業に就職したものの、全く適性がなく1年半で離職。その後、バイトを転々としながらのらりくらりとバンド活動を続け、今に至る。あの頃はバンドをやめて就職することが人生の敗北を意味するようにさえ感じていたものだが、30代も半ばになるとそんな熱っぽい考えも消えた。音楽家として生きていくことと、会社に就職して生きていくことの間にそこまで大きな隔たりがあるようにも今は思えない。もっとも、それは私が人一倍長い時間バンドにしがみつき、こうして媒体で時々自分の思うところを書かせてもらったりしているおかげで、表現欲や承認欲求といったものが多少は満たされているせいかもしれない。だが収入面でいえば、あの頃サークルにいた面々の中で現在の私は最下層になるのだろう。私の知る限り最も経済的に成功しているのは、「SUSURU TV.」というYouTubeチャンネルの運営会社の代表をつとめる矢崎という男だ。
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葉山の海岸に毎夏現れる『海の家OASIS』。こつこつ造って40ウン年、この夏も待ってる!
葉山の森戸海岸に毎夏現れる『海の家OASIS』。竹でできたゆる~い空間から漏れてくるレゲエサウンド、ジャークチキンの匂いに誘われ、地元から、遠方からOASIS好きが集いだす。代表の朝山さんが、OASIS誕生の物語や葉山愛を語ってくれた。
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都電荒川線・王子~大塚さんぽコース! 五感を磨いて探せ曲者物件たち
あれも無くなった、これも消えた……いくら再開発の手が入ろうと、屈指の底力を持つ王子と大塚に挟まれた都電沿線は、歴史も文化も風景も多様なごった煮ルート。持てる感覚を総動員し、アンテナ張って歩こう。
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老舗飲み屋に行って「おすすめ」を聞くと大変なことになった。
以前、友人と2人でとある温泉地へ旅行したときのこと。夕食後、せっかくなので地方のスナックに行ってみたいねという話になった。地元の同級生がいつもスナックで飲んでいるという話を聞き、私も大人の嗜みとしてスナックを経験しておきたいと思ったのだ。店前に着いた。が、重厚な木製の扉で中の様子は全く見えない。勇気を出して開くと、カウンターに二人組が座っている以外に客はいなかった。よかった、空いていたと胸を撫でおろし、店員に「今から2人いけますか?」と尋ねたところ、彼女はなぜか気まずそうな顔で「……ちょっと確認しますね」と言い、店の奥の女性と小声でやりとりした末、「すいません、今日予約でいっぱいなんです」と私に告げたのである。店員間の不自然なやりとりの様子から、嘘の理由をつけて断られたのだとわかった。本当に予約がいっぱいならば、尋ねる前から把握していたはずだ。なぜ入店を断られたのかわからず不満だったが、ともかく入れないのなら仕方ない。気を取り直して2軒、3軒とスナックをまわったが、どの店でも似たような態度で断られ、結局その日スナックに行くのは諦めた。帰り道、一体何が原因だったのかと話し合った。もしかしたら私たちが旅館の浴衣を着ていたのがいけなかったのかもしれない。店にいた客はみんな普段どおりの服装をしており、観光客ではない現地の人のように見えた。スナックにもそれなりのドレスコードがあるのか。それとも浮かれた観光客は鬱陶しいので入店させないようにしているのだろうか。はっきりした理由はわからずとも、私たちが知らぬ間に暗黙の了解を侵していたのは確かなようだった。そういった暗黙の了解は、スナック以外にも、ちょっと敷居の高い飲食店に行けばしばしば遭遇する。食べ終わったラーメンの器をカウンターの上段に上げるべきか否か。食べながらスマホをいじっていると怒られやしないか。注意書きでも書いておいてくれればいいが何の説明もない場合もある。やがて店員があからさまに愛想が悪くなったのを見て、何かやってしまったようだと察する。あとで店のしきたりをネットで調べ、確かに自分が知らず知らずのうちに無粋な行動をとっていたのだと反省することもあるが、何度思い返しても納得のいかないこともある。数年前のある日。左右というバンドをやっている友人の花池君、デイリーポータルZでライターをしている大北さんと千葉で取材した帰り、せっかくだから下町の老舗居酒屋に寄って帰ろうということになった。電車の中で大北さんが検索して見つけたその居酒屋は、決して高級店ではなく、値段は安いが味は確かで、いつも常連客で賑わっていると評判の、いかにも私たちが好きそうな店だった。暖簾をくぐると店内は老舗感にあふれていた。私は床が油でベトベトだとか天井が炭で真っ黒だとか、そういった古い店の汚さは気にならない質だ。ただ、奥の座敷へ通された時、観光みやげのペナントや将棋の駒の置物などが壁際に雑然と並んでおり、その「他人の家っぽさ」を少し苦手に感じた。
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赤羽にあふれる音楽。あたらしい「音」を探しに行こう。
赤羽駅のホームに降り立つと、何やら聞き覚えのある発車メロディが。駅前には老舗のCDショップ、街角には年季の入ったストリートピアノ……。今や音楽は配信で、イヤホンを使って聴くことが増えたけれど、この街には生き生きした「音」があふれている。さあ、ちょっぴり懐かしくって、新しい「音」を探す散歩に出かけてみよう。
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すでに堤防は決壊しそうだったが、私は一気に液体を飲み干した
子供の頃は大食いがかっこいいことだと本気で思っていたがあれは何だったのだろう。テレビの大食い番組を食い入るように観ては自分もいつか絶対あの舞台に立ちたいと思っていた。回転寿司へ連れて行ってもらえば自己記録を一皿でも伸ばそうと、食べたくもない寿司を食べた。クラスにも、誰よりも多く給食をおかわりしようとするライバルが必ず数人はいた。大食いがかっこいいという感覚がどこで植え付けられたのかは分からないが、少なくとも大食いに憧れていたのは私だけではなかったようだ。小3の頃、あきひろおっちゃんと呼ばれる友達の叔父がバイキングへ連れて行ってくれる機会があった。将来フードファイターを志す者としては腕を試される場所だ。友達に圧倒的な大食いの実力差を見せつけ、あわよくば初対面のあきひろおっちゃんにも「こんなに食う子がいるのか」と驚いてもらいたい。ただ、あきひろおっちゃんは怖い人だと常々聞かされていたので少し不安だった。何の前触れもなくブチ切れ、友達のいとこはよく泣かされているらしい。何が逆鱗に触れるのか分からず怖かったが、とりあえず「いただきます」と「ごちそうさま」を忘れないように言おうと決意した。おっちゃんは車の中でほとんど喋らず、友達もいつになく無口だった。車内の静けさが不安を搔き立てたが、店に着いてしまえばそんなことを気にしてはいられない。制限時間は90分。友達と競い合うように肉を取り、我先にと網へ乗せていく。あきひろおっちゃんは私たちを気にするでもなく、ただ自分のペースで肉を焼いていた。昼飯を抜いて可能な限り腹をすかせて臨んだのに一時間も経たないうちに満腹になった。時間はまだまだ余っている。ここからが勝負だ。鶏肉など比較的あっさりめの肉に切り替え、強引に咀嚼し飲み込んでいく。腹がいっぱいでも感覚を無視して口に入れていけばなんとか食べられるものだ。そう感じた瞬間もあったが、しばらく経つともう満腹感どうこうの問題ではない、今までに経験したことのないレベルの限界を感じた。これ以上は何一つ食べたくない。いや食べられない。
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中高生の頃、死ぬほど聴いていたアルバムを聴き直してみました
最近(注:2018年)はヒップホップばかり聴いている。そして反動なのか、10代の頃に聴いていたアルバムを引っ張り出している。懐かしかったり、あまりの音の古さに驚愕したり、よくこんな文学的とはほど遠い、幼稚な歌詞の歌を聴いていたなとしみじみしたり。中島みゆきや泉谷しげるも入れようかと思ったのですが、このふたりに限って30年間ご無沙汰ということはありえませんでした。というわけで、我ながら恥ずかしい企画だなと思いますが、いってみますか。
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朝ドラ『カムカム』ロスのあなたに捧ぐ! 歴史的傑作の舞台、岡山・大阪・京都を3人のヒロインと歩こう【朝ドラ妄想散歩】
朝ドラ『カムカムエヴリバディ』がついに完結。朝ドラは半年間も放送するから毎回「ついに完結」という思いがあるが、今回は親子3代、100年の物語という、まさにNHKの“ファミリーヒストリー”を具現化する作品で、「ついに」という感慨は普段より大きい。大正から令和まで続く家族の物語を最後まで見終わり、達成感を感じた人も多いだろう。安子(上白石萌音)、るい(深津絵里)、ひなた(川栄李奈)と朝ドラ初の親子3代の物語に胸を熱くさせられた。ヒロインたちは戦前、戦後、そして平成を懸命に生きる女性として描かれ三者三様に美しく、まぶしかった。
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池袋PARCOの屋上でフェス開催!4月16日・17日は「ChillCity2022 Spring in Ikebukuro PARCO」
音楽、映像、アート、ファッション、フード……さまざまなカルチャーが入り混じり、「チル」をぎゅっと詰め込んだ空間を提供するフェス『ChillCity』。池袋PARCOの屋上を舞台に圧巻の映像投影で魅せるイベントが、2022年4月16日・17日に開催される。
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神社の息子パワーは、小泉進次郎似の若者の前に全く無力であった
実家が神社をやっている影響で、子供の頃の私は近所の人たちから割と丁寧に扱ってもらっていた。道を歩いて老人とすれ違うと「あんた神社のとこの子やんな。はよお父さんやおじいちゃんみたいに立派な神主にならんといかんで」と声をかけてもらうことが多々あった。親の命令により毎日学校に行く前に神社の階段を掃除させられていたことも近所で知られており、「あんたは偉いなあ」とよく知らない人から褒められたりもした。半面、私は古典的なマンガに出てくる悪ガキ的ないたずらをして、近所の雷親父から「コラー!!」と追いかけまわされるようなキャラクターにちょっと憧れていた。しかし、もしいたずらをした相手が私を神社の息子だと認識していたら、過去に「立派な息子さんやなあ」と神主の父にお世辞を言ったことなどを思い出し、𠮟りつけるのを躊躇して気まずい空気になるのではないか。そんな心配のせいであまり大胆にピンポンダッシュもできず、サザエさんのカツオのような天真爛漫なやんちゃ坊主とはかけ離れた自分のキャラ設定を歯がゆく思った。年に一度、神社が主催する恒例のバスツアーがあった。30人程度でバスを貸し切り、ほかの地方の有名な神社を回る。神主である父親はそのバスツアーの先導役であった。私はあまり神社を巡りたくはなかったが、毎年3日ほどは小学校を休み、バスツアーに参加させられた。神社の跡継ぎとして期待され、高齢者ばかりの旅に参加する唯一の子供であった私は、みんなに可愛いがられた。人見知りで無口な子供だったため小学生としてはあまり可愛げがなかったように思うが、他に比較対象がいないおかげでツアーのマスコットキャラクター的な注目を一身に集め、ことあるごとに「これ食べな」とおやつを貰ったり、「学校は楽しいか」と話しかけられた。私はイメージを壊さないようできるだけ努力して振る舞いながらも、学校でのキャラクターとは違う丁寧な扱われ方を息苦しく思った。大学2年の時、上京していた私のもとに父親から電話がかかってきた。昔私が参加していたバスツアーで、新橋のちょっといいホテルに来ているらしい。「美味いもん食わせてやるから仲がええ友達何人でも連れてこい」と父親は言った。今や典型的ダメ大学生と化した自分が、信心深い氏子さんたちの集まる場に顔を出すのは多少抵抗もあったが、その頃金欠であまりいいものを食べていなかったせいもあり、「美味いもん食わせてやる」という父親の誘いは魅力的だった。サークルのたまり場で友人たちに話してみるとみんな「面白そうじゃん、行ってみようぜ」と乗り気な様子だったので、そのまま友人たち3人を引き連れ新橋へ向かったのである。
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海辺の町だからこそ味わえる房総半島のグルメ&カフェ12選。海と海の恵みを堪能しよう!
どこへ行ってもおさかな天国の房総。モノもよければ値段もリーズナブル! そして、開放感がたまらない海が見えるカフェも外せない。わざわざ食べに行きたくなる房総半島の地元めし11選をピックアップしました。お昼と夜とで、ハシゴするのもアリかも!
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俺たちは「東京の人」になった。ただそれだけでうれしかった。
3月にしては暖かい日だった。第一志望の早稲田大学文学部に合格した私は、姉に付き添ってもらい不動産屋を回っていた。高田馬場駅近くには不動産屋がいくつもあり、おすすめの物件情報がペタペタ貼られた看板がずらりと並んでいる。とりあえず名前を聞いたことのある綺麗な不動産屋に入ったが、話を聞いている合間に姉から「やす、もうここ出るで」と促された。店を出て「何がいかんかったん?」とたずねると、こちらが指定した値段よりちょっと高い物件ばかり出してくる不動産屋はダメだ、とのこと。「不動産屋って基本こっちの言うことごまかして、できるだけ高い部屋借りさそうとしてくるもんやから、気つけんといかんで」と姉は言った。いい人そうな店員だったが、確かに私の希望より数千円高い物件ばかり紹介してきた。でもちゃんとした不動産屋がそんなずるい事をするものだろうか。次は「早稲田の学生向け物件多数」と看板に掲げていた店に入ってみた。さっきは「高田馬場周辺で3万円代」という条件を伝えると非常識なことを言っているような反応をされたが、そこの若い男性従業員は「風呂無しでかなり古いアパートになりますよ?」と牽制しながらも、条件を満たす物件を最初から出してきた。なるほど。姉の言う通り、いい不動産屋と悪い不動産屋があるのかもしれない。その不動産屋の従業員の多くは早稲田の卒業生らしい。私が当たった男も法学部だったという。物件の紙を見せながら、「ここ友達が住んでたんですけど居心地よかったですよ」などと現場感のある情報をくれる。この不動産屋いいじゃん、と思った。いくつか紹介された中から2つに絞り、流れのまま内覧をすることに。歩いて向かっている途中、「何で文学部にしたんですか?」とたずねられた。自分なりに細かい理由はあったが、話せば長くなる。「まあ本とか好きなので……」と曖昧に答えると、「へえ、どんな作家読むんですか?」と掘り下げてきた。好きな本はたくさんあったが、好きな作家は誰かと聞かれたらなかなか難しい。国語の教科書に紹介されているような有名な文学作品はそれなりに読んだものの、掘り下げて何冊も読んでいる作家はほとんどいなかった。悩んだ末に、思いついたのが重松清だ。直木賞を受賞したタイミングで名前を知り、図書館で借りて読んでみたら面白かったので5冊くらい読んだ。どれも面白かった。確か、あの人も早稲田出身だったしその辺でも話が広がるかもしれない。そんなことを思いながら「重松清とか読みますね」と答えた私に対し、不動産屋は苦笑しながら「ああ……、あんま本読まないんですね」と言った。イラッとした。どうして売れてる作家だと読んだことにならないんだよ。咄嗟に「え、じゃあ誰の本読むんですか?」と聞き返すと、彼は表情に余裕を浮かべ「三島とか谷崎とかですかね」と言った。卑怯な男だ。歴史が才能を証明した、否定しようのない作家ばかり挙げてきて。三島由紀夫が天才だったとしても、それを読んでるお前がすごいことにはならない。ていうか俺も『痴人の愛』ぐらい読んだことあるし。地元では好きな本の話をできる友達が少なく不満だったが、東京ではふらっと入った不動産屋の店員が好きな作家で人を見定めてくる。いや、早稲田にそういう奴が多いだけかもしれない。そういえばこの店員は文学部より若干偏差値が高い法学部の卒業生であることを、聞いてもいないのに節々でアピールしてきた。大学で音楽サークルに入るつもりだった私は、サークルを回って好きなミュージシャンをたずねられた際は、人から絶対にマウントを取られない名前を挙げようと、そのとき深く心に刻み込んだ。
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ハンズにZepp、大江戸温泉物語……2021年下期に姿を消した平成の風景
日々、街の表情が大きく変化する東京。2006年、私はふと思い立って、消えていく風景を写真に納めることにしました。「消えたものはもう戻らない。みんながこれを見て懐かしく感じてくれたらうれしいな」とそれぐらいの気持ちで始めた趣味でした。そんな、東京から消えていった風景を集めた「東京さよならアルバム」。今回は第17弾として、2021年8~12月に消えていった風景を紹介します。 写真・文=齋藤 薫
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純烈リーダー・酒井一圭に聞く、思い出のスーパー銭湯~館内着で育んだ“純子”と”烈男”とのメモリアル~
ある時は、大江戸温泉物語の幕間舞台で。またある時は健康センターの大広間で。お風呂屋さんからブレイクしたスーパー銭湯アイドル「純烈」。館内着で育んだ“純子”と”烈男”とのメモリアル。
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かぐや姫『神田川』に歌われた「小さな下宿」や「横町の風呂屋」は今もあるのか?【街の歌が聴こえる/早稲田・高田馬場編】
今回の舞台は「早稲田、高田馬場」界隈。NHKの朝ドラにも登場した『紺碧の空』と四畳半フォークの金字塔『神田川』がテーマである。あの歌に出てくる「三畳一間の小さな下宿」は、今もどこかにあるのだろうか?
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