1981年夏、少年サンデーであだち充の『タッチ』が連載を開始した。ジャンプとサンデーを毎週愛読していた10歳の僕は、第1回から『タッチ』にハマり、コミックス第1巻を発売初日に買った。

あだち充の作品が大好きになり、ビッグコミックで連載中の『みゆき』の単行本を揃え、フラワーコミックスの『陽あたり良好!』も買い集めた。これは当時の小中高生は男女を問わず、あるあるなことだった。もう、本当にあだち充は大変な人気だった。読んでいない10 代などいなかったと思う。

マンガが大ヒットして、すぐにアニメ化されたと思っていたが、調べてみたらサンデーで連載して3年半も経ってからだったんですね。今でこそ『タッチ』はマンガもアニメも歴史にその名を刻んでいるが、おっさんになった今振り返ってみると、よく成功したなと思う。

だって原作からして登場人物のセリフが少ない、思わせぶりな間が長い、主人公が「好き」って言わない、ヤラない(当時は初体験の低年齢化が進んでいた)、背景画が多い(しかもそれが登場人物の心理描写という、受け手のリテラシーの高さを求められた)。

アニメでは、当然これらを動く画で見せなければいけない。岩崎良美による主題歌、日高のり子による浅倉南の声といった勝因をあげられるが、あの独特すぎる世界観をアニメというフォルムに見事に落とし込んだ杉井ギサブロー演出の凄さよ。

話は逸れるけどマンガがヒットしたのにアニメが失敗したせいで、もう一段上の全国区に上がれなかった作品として真っ先に思い浮かぶのは『ゲームセンターあらし』と『行け!稲中卓球部』じゃないでしょうか。アニメ化って難しい。

ちなみに『ドラえもん』は1973年に日テレで一度アニメになっている。79年テレ朝でスタートした第1回はもちろんオンタイムで観ている。のび太と仲間たちがガリバートンネルを使って小さくなり、家の箱庭に自分たちの街を作り、指を鳴らして踊る。原作にはない。7歳の僕にはそれが『ウエストサイド物語』のオマージュだとはわからなかった。

あれ、何の話をしてたっけ? とにかくあだち充にどっぷりと浸かり、『ドラえもん』をガキっぽいと見向きもしなくなった。

で、僕が小6ぐらいか、『タッチ』最大の事件が起こる。主人公双子の弟、上杉和也の死だ。あれには度肝を抜かれた。30年経っても電グルの石野卓球が「きれいな顔してるだろ。死んでるんだぜ。それで…」と何度となくパロディにするほどインパクトは強大なものだった。

上杉和也と力石徹の死が、日本マンガ史上、衝撃の急逝ベスト2ではないだろうか。先日出版されたばかりの『あだち充本』(小学館)によると、編集部は和也を殺すことに大反対で、「和也を海外に行かせろ」などと主張したらしい。しかしあだち充と当時の担当は強行する。

一応作家になった今の僕にはわかる。あだち充は恐ろしく冷徹な視線で『タッチ』を描いていたと。連載スタート時から和也を殺し、読者を裏切ることでブレイクする計算を立てていたと(本人もインタビューで認めている)。編集部には怒りと涙のクレーム電話が殺到したらしいが、ネット全盛の現代だったらさらなる大騒ぎに発展していただろう。ツイッターには「♯和也死んだ」のタグができ、トレンドが関連ワードで埋め尽くしたのではないか(カインとアベルに喩える人がいるけど、『タッチ』を神棚に上げたいのだと思う)。

僕はてっきり『あしたのジョー』(補足として書いておくと少年マガジンで1968~73年に連載)の影響かと思っていたら、『あだち充本』にそのことは触れていなかった。

あだち充は1970年に『消えた爆音』でデビューしたが、今とはまったく違う劇画調で、鳴かず飛ばずの時代が10年続いた。本人も「熱血マンガは好き」と発言している。皮肉なことに、梶原一騎、川崎のぼるといった熱血マンガの時代の終焉とともにラブコメのあだち充は頭角を現していった。

「度肝を抜かれた」と書いたばかりだが、『タッチ』で僕が和也の急逝より驚いたのは最終回だ。

双子のダメ兄上杉達也は和也に代わり、南の夢を叶えようと甲子園を目指す。高3の夏、ライバルの新田に勝ち、遂に悲願を果たす。甲子園球場には地方大会を勝ち抜いた猛者たちが開幕前から達也をマークし、次々と名乗りを上げていく。さあこれから『タッチ』史上最高の盛り上がりになるぞ! と思ったら、次回はいきなり最終回。達也たちの淡々とした日常が描かれる。そしてラストシーンは甲子園優勝を記念した皿が写る。ちなみにその皿には歴代担当編集者の名前が連なっている。

こうして5年間に及ぶ連載、全26巻のストーリーは唐突に終わりを告げる。超省略の技術。まさに「高校野球マンガを終わらせたラスト」だった。

あんなエンディング、ジャンプだったら絶対に許されなかっただろう。本宮ひろ志の『男一匹ガキ大将』のように、作者が「完」を入れた後で編集者がホワイトで消したはずだ。でもあれって今考えるとあだち充なりの批評なんですよね、それまでの高校野球マンガに対する。

「和也が死んでから面白くなくなった」と読者に言わせないため、あだち充は粉骨砕身した。これも『あしたのジョー』と同じ。寺山修司と東由多加が音頭をとった力石の葬儀の後、原作者の高森朝雄(梶原一騎)が作画のちばてつやに「これからが大変だぞ」と覚悟を決めた。その後カーロス・リベラやホセ・メンドーサといったライバルと戦い、ラストの真っ白な灰になることで「力石の死」超えを果たす(ご存じの方も多いように、梶原一騎の原作と違い、ちばてつやが考案した)。

ジョーのように永遠に語り継がれるラストシーンにするため、あだち充はあの優勝皿を描いた。やっぱり『タッチ』は80年代の『あしたのジョー』なんですよ。はあー、30年以上思い続けていたことを書いてすっきりしたわ。

最後に。あだち充は和也の死についてこう語っている。

「実際に和也が死んでしまった後は悩みました。彼が死んだ後に暗くなってしまうのは絶対に嫌で、とにかく日常に戻したかったんです。だって、リアルな現実だって、どんなに哀しいことがあっても日常は続いていくものでしょ? だから、一刻も早くギャグのできる日常に戻したくて、悩んだ記憶はありますね」

ギャグのできる日常――。実はこれ、『タッチ』に限らず、あだち充作品に通底するテーマではないだろうか。

『散歩の達人』2018年11月号

『ノルウェイの森』がミリオンセラーになって社会現象を巻き起こしたのが僕が17歳のとき、1988年だった。前年から赤と緑の装丁の上下巻が書店でやたら目立っていたが、当時から流行っているものに対して斜に構えていた僕はしばらく静観していた。
ラジオの深夜放送を聴き始めるのが思春期の入り口だと思う。ということは僕の思春期は中学生のときに始まったことになる。早くもなく遅くもなく、ちょうどいい感じだ。