街で出合う「発祥の地」を見てみよう

街を歩いていると、何かが生まれた場所である「発祥の地」の記念碑に出合うことがある。そこで何が生まれ、なぜその発祥を記念するに至ったのか。その傾向を見てみよう(「誕生の地」「日本初の〇〇の地」などと表記されている場合もあるが、ここでは「発祥の地」のみを取り上げたい)。

「何かが生まれた」と言ったが、何かが発見されたことにより、そこが「発祥の地」とされる場合がある。大垣(岐阜)にある「掘抜井戸発祥の地」は、江戸時代に「こんにゃく屋文七」という人物が、初めて湧水井戸を作ったことに由来して建立された。当時の人たちはさぞかし助かったことであろう。

碑の前には現在も水が湧き出ている。
碑の前には現在も水が湧き出ている。

JR大森駅構内にある「日本考古学発祥の地」もまた、明治10年(1877)にモース博士が大森貝塚を発見したことを記念して建立された。なぜ駅構内にあるかと言えば、モース博士が電車の車窓から貝塚を見つけたからである。

上にのっている土器は、大森貝塚から出土したものをモチーフとしているらしい。
上にのっている土器は、大森貝塚から出土したものをモチーフとしているらしい。

学校に関する「発祥の地」

一方、その地から何かが生まれた系の「発祥の地」を見ていくと、意外と学校に関するものが多いことに気付かされる。有楽町の路上に設置されている「明治大学発祥の地」碑は、かつてこの地にあった旧島原藩上屋敷跡に、明治大学の前身である明治法律学校が開校したことから建立された。

路上にあるためか、足を止めて碑を見る人は少ない。
路上にあるためか、足を止めて碑を見る人は少ない。

他の学校の発祥の地にも共通することだが、移転したり廃校になったりと、現在その地に学校が存在しない場合に碑が建てられることが多いようだ。

浦和第一女子高等学校の前身、埼玉縣高等女學校が設立されたのがこの地とのこと。
浦和第一女子高等学校の前身、埼玉縣高等女學校が設立されたのがこの地とのこと。
現在ではプレートのみが残る、旧渋谷小学校の跡地。
現在ではプレートのみが残る、旧渋谷小学校の跡地。

本当のボウリング発祥の地はどこか

スポーツに関する「発祥の地」も多い。神保町の学士会館敷地内にある「日本野球発祥の地」は、ボールを握る巨大な手の彫像が印象的だ。

明治5年(1872)、東大の前身である開成学校で初めて野球が行われたことに由来する。ボールには世界地図が描かれており、縫い目でアメリカと日本がつながっているそう。
明治5年(1872)、東大の前身である開成学校で初めて野球が行われたことに由来する。ボールには世界地図が描かれており、縫い目でアメリカと日本がつながっているそう。

館林市文化会館(群馬)近くに設置されている「群馬県蹴球協会発祥の地」記念碑もまた、ボールが印象的なモニュメントである。

ボールの縫い目がバレーボールっぽいのは、設立当初のサッカーボールをモチーフとしているからか。
ボールの縫い目がバレーボールっぽいのは、設立当初のサッカーボールをモチーフとしているからか。

スポーツ発祥の地記念碑の中でも特に気になるのが、ボウリング発祥の地だ。神宮球場近くには「近代ボウリング発祥の地」碑がある。

神宮球場に向かう道で発見することができる。近代っぽいおしゃれなデザイン。
神宮球場に向かう道で発見することができる。近代っぽいおしゃれなデザイン。

碑文を見ると、ここに昭和27年(1952)、テンピン・ボウリング手動設備をそなえた東京ボウリングセンターが建てられたことに基づいて建立されたという。ところが、横浜・港の見える丘公園のフランス山地区にも「横浜ボウリング発祥の碑」が設置されているのである。

一方こちらは一目でボウリングとわかるデザイン。
一方こちらは一目でボウリングとわかるデザイン。

こちらは歴史も古く、元治元年(1868)、長崎に次いで外国人居留地にボウリングサロンが開場したことに由来しているとのことだ。となると当然長崎にも「わが国ボウリング発祥の地」碑がある(長崎にはもう1つ、「ボウリング日本発祥地」という碑もある)し、更には神戸にも「ボウリング発祥の地」碑が存在する(読売新聞の記事

https://www.yomiuri.co.jp/sports/etc/20210307-OYT1T50109/ によれば、日本人が初めてプレーしたのが神戸であることに由来するようだ)。一体どこが本当のボウリング発祥の地なのか。まるで「元祖」「本家」の競い合いのようである。

もちろん「発祥の地」は学校やスポーツのみに留まらない。他にはどのような発祥の地があるのだろう(次回に続く)。

イラスト・文・写真=オギリマサホ

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