市井の人々と歩んできた酒場の道

最初の洗礼は立石だった。先輩ライターに連れていかれた『鳥房』の隣席の近さに驚き、「江戸ッ子」の凛とした空気に背筋が伸びた。四半世紀前のあの頃、床がたばこポイ捨て仕様だった三和土(たたき)の店もまだあり、今よりもっと毅然とした空気が流れていたように思う。「大衆酒場」という言葉をよく耳にするようになったのも、その頃だ。

「先代女将は、いきなり安いあら煮を頼むお客に『刺し身を頼みなよ!』という強面でした」と『魚三酒場』の鈴木三則さん。鈴木さんにとって大衆酒場とはみんなでワイワイより、仕事上がりに一杯ひっかける場所。「働く人がひと息つくのが酒場。定年退職の日に飲みに来てくれた常連が、『魚三があったから働いてこれた』と言ってくれたこともあったね」

2、3階もあるが、『魚三酒場』を全力で堪能するなら1階のWコの字へ。紺地白抜きののれんは、門前仲町の街の景色だ。
2、3階もあるが、『魚三酒場』を全力で堪能するなら1階のWコの字へ。紺地白抜きののれんは、門前仲町の街の景色だ。

“せんべろ”という言葉がうねるように一般名詞化したのも同時期の2000年代。肴3品、酒2杯で2000円に収まる店も多かった。『兵六』の柴山雅都さんは「当時の焼酎は650円で、3杯飲んでも1950円。酒肴は頼まず、お酒をたくさん飲まれる人が多かった」と振り返る。40年前の店の写真を見ると、提灯には“民衆酒場”の文字。

「大勢や流行におもねらないからこそ、80年近く続いているのだと思う。これからも、名もなき市井の方々と一緒に歩んでいきたいです」

初代のときから巨大な提灯が『兵六』の目印。
初代のときから巨大な提灯が『兵六』の目印。

安くサクッと飲める立ち飲みもまた、大衆の味方。2010年代以降、割烹や寿司、洋風のバルまで立ち飲みの在り方は百花繚乱となった。渋谷の大箱立ち飲み、『富士屋本店』は再開発に飲み込まれて8年前に閉業。しかし、コロナ禍で立ち飲みでのひとり酒が再度脚光を浴びる中、2022年に復活を遂げる。『富士屋本店』のベテラン社員でソムリエの加藤雄三さんいわく「混んできたら身を斜めにして譲り合う。でも、そうすることでお客さん同士の距離感が縮まり会話も生まれる。お客さんから『今日は楽しかった』と言われるのが、一番うれしいです」。

『富士屋本店』にはL字とコの字カウンターが並ぶ。
『富士屋本店』にはL字とコの字カウンターが並ぶ。

古典へのリスペクトが光る新世代たちの台頭

2010年代中盤からは、古典や大衆酒場に影響を受けた若き店主も増えてきた。『かど鈴』の代表・村田良介さんはコの字カウンターにあえて昭和のチープ感が出るラワン材を使うなど、古きよき酒場への愛が深い。「半世紀以上続く酒場って一歩踏み入れたときの空気がすごい。それに少しでも近づきたいんです。QRコード注文の方が絶対に便利なんですけど、取り入れないのは昔の酒場の雰囲気を大事にしたいから」。

『かど鈴』ではコの字カウンターが2つ連なる。
『かど鈴』ではコの字カウンターが2つ連なる。

コロナ禍の5年前、大衆酒場の文化を途絶えさせたくないと、中目黒で『初場所』を開いた吉利雄太さん。

「メニュー構成や盛り付けなど、地に足を付けて常連に愛されている店にこそ、ヒントが隠されています。一枚板のカウンターがズーンと奥に延び、手前にテーブル、奥に小上がりという配置も、伊勢のとある名酒場を参考にしました」

『初場所』の店内。カウンターの右奥には小上がり席。
『初場所』の店内。カウンターの右奥には小上がり席。

『散歩の達人』の過去の掲載店を振り返ると、小岩のやきとんの名店「一力」をはじめ、店主の高齢化などで閉業した店もある。深川資料館通りの『だるま』も先代夫妻の引退で閉業予定だったが、もともとお客として来ていた現オーナーが「この酒場を失いたくない」と手を挙げた。若女将に任命された吉田吏甫(りほ)さんは、「もともとの常連さんに加え、若い方や外国人の方も増えました。もっと広い世代にこういう“古きよき”を知ってもらえたら」とほほえむ。

30年経って大衆酒場の在り方は自由になった。でも、コの字カウンターが庶民憩いの場なのは不変。30年後もコの字に肘付き、「ナカ、おかわり!」って言ってるんだろうな。

『だるま』にて。二冷のホッピーセット580円。
『だるま』にて。二冷のホッピーセット580円。

短冊と2つのコの字、酒場の黄金比『魚三酒場 富岡店』【門前仲町】

かつては男性客中心だった店内も、今では老若男女問わず訪れるように。
かつては男性客中心だった店内も、今では老若男女問わず訪れるように。
あら煮100円(手前)、ぶりつゆ120円、ぶりさし500円(中)など。日本酒は「金亀」で大徳利(5合)1850円。
あら煮100円(手前)、ぶりつゆ120円、ぶりさし500円(中)など。日本酒は「金亀」で大徳利(5合)1850円。

初代がリヤカーで魚の引き売りを始め、2代目が酒場を開業。今も4代目の鈴木三則さんが自転車で毎日豊洲に通う。「代々、名前に“三”が入っててさ。生まれたときから継ぐ定めだったね(笑)」。刺し身がどれも分厚いのは、元鮮魚店の矜持。強面で有名な先代女将の時代を経て、今や若い女性もカウンターで映える中とろをつまむ。客層は少し変わっても、大衆価格で味わえる新鮮な魚、胃の腑(ふ)にしみる締めのぶりつゆのうまさは変わらない。

住所:東京都江東区富岡1-5-4/営業時間:16:00~22:00/定休日:日/アクセス:地下鉄東西線・大江戸線門前仲町駅から徒歩1分

古典にして普遍の飴色空間『兵六』【神保町】

きびなご丸干し650円、ネギとチーズと納豆を挟んだ兵六あげ540円、壷漬460円。焼酎は基本1合。
きびなご丸干し650円、ネギとチーズと納豆を挟んだ兵六あげ540円、壷漬460円。焼酎は基本1合。
「電話も置いてない、俗世間と離れた空間で焼酎を楽しんでほしい」と3代目。
「電話も置いてない、俗世間と離れた空間で焼酎を楽しんでほしい」と3代目。

鹿児島出身で一刻者の初代が、大戦から引き揚げ後に創業。3代目の柴山さんが継承後も、半世紀を経た褐色の品書きとヒノキのカウンターから流れる、凛とした空気は変わらない。『兵六』といえば温かい芋焼酎・さつま無双も冷凍庫で冷やした米焼酎・峰の露各830円もストレートが定石。甘じょっぱい壺漬をポリポリ噛み、極濃焼酎をあおるだけで、なぜここまで豊かな気持ちになれるのだろう。

住所:東京都千代田区神田神保町1-3/営業時間:17:00~22:00/定休日:土・日・祝/アクセス:地下鉄神保町駅から徒歩2分

“ハムキャ別”は近未来シティの読点だ『立呑 富士屋本店』【渋谷】

ハムと千切りキャベツのハムキャ別450円、鰆レアフライ750円(左)、鰯ののり巻き850円。ホッピーセット大1150円。
ハムと千切りキャベツのハムキャ別450円、鰆レアフライ750円(左)、鰯ののり巻き850円。ホッピーセット大1150円。
店長の酒主涼介さん(右)と加藤さん(左)。
店長の酒主涼介さん(右)と加藤さん(左)。

55年前、地元酒販店の始めた立ち飲みが、2022年に復活。ボトルでドンと出てくる宝焼酎のナカやブラックニッカに、ルーツがチラリ。鰆レアフライや締めの麺類、日本酒の充実など復活後に品書きが増えつつも、ハムキャ別になす味噌と、あの地下の大箱でつまんだ名物つまみは健在。それを知る常連おじさんも知らない若者も、一緒に酔えるダイバーシティな立ち飲みが、令和の富士屋なのだ。

武骨な昭和顔、実は平成生まれ『かど鈴』【新小岩】

刺し身はマグロ・ブリ各495円、イワシ385円。紅しょうがのかき揚げ385円、煮込みに肉豆腐を入れた重ネ550円。キイロ330円。
刺し身はマグロ・ブリ各495円、イワシ385円。紅しょうがのかき揚げ385円、煮込みに肉豆腐を入れた重ネ550円。キイロ330円。
煮込みは牛すじとハチノス。
煮込みは牛すじとハチノス。
紺のれんに赤提灯。
紺のれんに赤提灯。

のれんを潜れば、煮込み鍋が鎮座するコの字カウンターに手書きの短冊。2018年開業とは思えぬ昭和風情だ。つまみの多くは400円以下、お酒のメンツにはボールやバイスと大衆酒場への敬意が随所に。短冊の中にはキイロ(梅エキスを加えたチューハイ)やエレベーター(厚揚げと大根おろし)など一見「?」なものも。代表の村田さんいわく「お客さんが店員に尋ねることで会話が生まれるんです」。

住所:東京都葛飾区新小岩1-29-10/営業時間:14:00~23:00(日・祝は~21:30)/定休日:無/アクセス:JR総武線新小岩駅から徒歩2分

古典への愛を令和スタイルで『初場所 中目黒』【中目黒】

桜エビが入ったうの花と牛煮込各500円、とろたく900円。
桜エビが入ったうの花と牛煮込各500円、とろたく900円。
日本酒には「菊正宗」樽酒1合600円、かたや焼酎は「青鹿毛」600円など大衆酒場には珍しいものも。
日本酒には「菊正宗」樽酒1合600円、かたや焼酎は「青鹿毛」600円など大衆酒場には珍しいものも。
モダンな外観。
モダンな外観。

代表の吉利さんは、手洗い場前の縄のれんや丸イスなど古きよき酒場への愛を内装に注入。「昭和感のある蛍光灯色の灯(あか)りにもこだわりました」。昔ながらの酒肴も継承できるよう、うの花からふろふき大根、シメサバまで手作りを大切する。一方で、中央を貫く広い通路や瀟洒(しょうしゃ)なタイル壁、昔の酒場の品書きでは見かけなかったとろたくやイチゴ豆乳ハイなど、今ならではの視点も。バランス感が絶妙!

住所:東京都目黒区青葉台1-27-1 青葉台Aハウス101号/営業時間:11:30~24:00/定休日:無/アクセス:東急電鉄東横線・地下鉄日比谷線中目黒駅から徒歩10分

だるまは転ばず、若女将で第二章へ『だるま』【清澄白河】

ポパイベーコン485円、餃子 580円。新メニューのマカロニ チーズ650円、赤玉パンチ435円。
ポパイベーコン485円、餃子 580円。新メニューのマカロニ チーズ650円、赤玉パンチ435円。
コの字カウンターに向かって右の壁を短冊が埋めるのは、先代からと同じ風景。
コの字カウンターに向かって右の壁を短冊が埋めるのは、先代からと同じ風景。

「最初はお客さんとの距離の近さに圧倒されたけど、いまは実家のような心地良さを感じています」と老舗を継いだ吉田さんが言えば、すかさず常連から「4年目でもう空気になじんでる。吉田さんはこの街の有名人だよ(笑)」と合いの手が。壁面を埋める短冊に目をやると、ポパイベーコンや玉子焼きと先代からの名物は健在。なにより、先代大将や常連たちの「だるま会」の写真や大入り額に見守られながら飲むと、心からくつろげるのだ。

住所:東京都江東区三好2-17-9/営業時間:17:00~23:00/定休日:土/アクセス:地下鉄半蔵門線・大江戸線清澄白河駅から徒歩5分

取材・文=鈴木健太 撮影=丸毛 透
散歩の達人2026年4月号より