お話を聞いたのは……倉方俊輔さん

『K5』最上階の廊下。色のついたすりガラスは、夜に窓の外の首都高の光が映る。
『K5』最上階の廊下。色のついたすりガラスは、夜に窓の外の首都高の光が映る。

1971年、東京都生まれ。建築史家。大阪公立大学教授。5月16~24日に開催される「東京建築祭2026」の実行委員長を務める。著書に『悪のル・コルビュジエ』『東京レトロ建築さんぽ』『東京モダン建築さんぽ』など。4月15日に『建築を旅する 歴史と地域を楽しむ「建築ツーリズム」のすすめ』(イカロス出版)が発売。

リノベーションやコンバージョンの捉え方、考え方が成熟してきた

「ピカピカな状態こそ正義という時代もありましたが、ありのままの味わいが受け入れられるようになってきました」と倉方さん。目線の先に立つのは、元銀行の建物をホテルに改装した『K5』。経年変化を生かし、歴史を尊重しながらも懐古主義には陥らないモダンで独創的なデザインが斬新だ。

リノベーションやコンバージョン(用途変更)はいつの時代にもあった手法だが、近年はその捉え方や考え方が成熟してきたと倉方さんは話す。「この建物の竣工時は、裏に川が流れていました。今はそこが埋め立てられて首都高が走っています。普通はそれをマイナスに捉えるし、川に戻すべきだと考えてしまいがちですが、現状を面白がって肯定的、発展的に楽しんでいるのも現代らしい」。

『K5』。楓川の跡を走る首都高のそば。堅牢な石造りの姿には「日本のウォール街」の一角としての矜持がにじむ。
『K5』。楓川の跡を走る首都高のそば。堅牢な石造りの姿には「日本のウォール街」の一角としての矜持がにじむ。

立地を生かした改修も最近の傾向。『マーチエキュート神田万世橋』はかつてあった駅の遺構を活用しているが、すぐ傍らを現役の列車が日々走り抜ける場所でもある。「鉄道は最も安全性を求められる場所の一つなので、コンバージョンが難しいのですが、最初にできたもの、昭和にできたもの、そして新しいものと、それぞれのよさが積み重なりうまく同居しています」。1990〜2000年代は新旧の対比を強調したデザインが世界的なトレンドだったが、近年はどこが古いか分からない面白さがある例も多いという。

『マーチエキュート神田万世橋』。神田川に架かる万世橋から見た高架橋の全景。
『マーチエキュート神田万世橋』。神田川に架かる万世橋から見た高架橋の全景。

明治初期創業の『花重(はなじゅう)』は、代々継いできた店主の「残したい」という思いが中心となってリノベーション。未来へとつながる建築にすべく調査した結果、敷地内にはさらに古い歴史が見えてきたという発見もあった。「そういうダイナミズムを、社会が面白いと捉えられるようになってきました。思いや物語も含めて、リノベーションやコンバージョンがなされた建築は豊かだなと思いますね」。

『花重』。4代目でフラワーアーティストの中瀬いくよさん(右)、5代目の麻鈴さん(左手前)。
『花重』。4代目でフラワーアーティストの中瀬いくよさん(右)、5代目の麻鈴さん(左手前)。

街の歩みを顧みる視点が建築を面白くする

武家屋敷が立ち並ぶ埋め立て地から金融の街へ発展した兜町、ターミナルとしてにぎわった万世橋駅と神田須田町、古刹(こさつ)・天王寺の門前町でもあった谷中霊園の茶屋街……。長年の歴史が積み重なり、数々の要素が絡み合う東京の街。倉方さんは建物を孤立した存在ではなく、地域に根を張り街を構成する要素として捉えている。「建築の楽しみを深めるには、社会的な背景を知り、歴史や地形など街の本質を読み解く必要があります。その上でどう変え、どう使うかを考えられるようになったことが、30年間での一番の進化です」。

その進化の一因は「顧みる視点」が増えたこと。「建築士やデザイナー、そして実際に街を歩く人のなかに、歴史を顧みることのできる人が増えてきた時代なのだと思います。人の趣味に合わせて建築はできていますが、逆に建築ができたことで、『こういうのも意外と居心地いいんだな』と、人が認めるようになる。どちらが先とも言えませんが、レトロな建築への注目度はこの10年で確実に上がったし、視点が増えたことでリノベーションやコンバージョンのバリエーションも明らかに豊富になりました。一見ぱっと目につく大きなものよりも、足元にあるものの方がよっぽど面白くなってきた30年だと思います」。

街を観察し、気がつき、探究するのは、まさに散歩的な視点だ。「そうやって歩くことが、街の応援につながり、連鎖反応で街も建築もよくなっていく。散歩の達人がもっと増えてほしいですね」。

街のルーツを意識した新しい価値の発信地『K5』【日本橋/茅場町】

お米がモチーフの照明や杉材など和のエッセンスを取り入れた客室。扉ではなく薄い布の天がいで仕切られ、日本家屋の縁側のような境界のあいまいさがデザイン全体のコンセプトでもある。借景は東京証券取引所。
お米がモチーフの照明や杉材など和のエッセンスを取り入れた客室。扉ではなく薄い布の天がいで仕切られ、日本家屋の縁側のような境界のあいまいさがデザイン全体のコンセプトでもある。借景は東京証券取引所。
『CAFE DANCE』など1階の店舗も含めて総合的にデザインされている。
『CAFE DANCE』など1階の店舗も含めて総合的にデザインされている。
床が数段高い『AKAI BAR』はボイラー室の上に設られた電気室だった場所。
床が数段高い『AKAI BAR』はボイラー室の上に設られた電気室だった場所。
経年変化も魅力として捉え、割れたタイルは金継ぎで補修。
経年変化も魅力として捉え、割れたタイルは金継ぎで補修。
外壁にはボイラーの給油口の跡も。
外壁にはボイラーの給油口の跡も。

2020年開業、個性的なカフェやバーを併設するブティックホテル。「第一国立銀行」の別館として大正12年(1923)に建てられた躯体はそのままに、未来を見据えたリノベーションで生まれ変わった。兜町の大家ともいえる『平和不動産』が手掛ける街づくりプロジェクトの一環で、界隈に再びにぎわいを呼び起こしている拠点の一つ。

変化の積層が垣間見える往時のターミナル駅『マーチエキュート神田万世橋』【秋葉原】

石造りの「1912階段」は、東京駅舎と同じく、手仕事の技が光るタイル目地など、細部の意匠にも注目したい。
石造りの「1912階段」は、東京駅舎と同じく、手仕事の技が光るタイル目地など、細部の意匠にも注目したい。
「2013プラットホーム」のすぐ脇を列車が駆け抜ける。
「2013プラットホーム」のすぐ脇を列車が駆け抜ける。
「1935階段」は昭和10年(1935)、『鉄道博物館』建設に伴う改修時に設置され、駅休止まで駅の階段として使われていた。
「1935階段」は昭和10年(1935)、『鉄道博物館』建設に伴う改修時に設置され、駅休止まで駅の階段として使われていた。
館内には初代駅舎のジオラマも。当時は銀座のようなにぎわいだった。
館内には初代駅舎のジオラマも。当時は銀座のようなにぎわいだった。
鉄筋コンクリートで耐震補強したアーチ状の高架下通路。ショップが入り、アートの展覧会なども開催される。
鉄筋コンクリートで耐震補強したアーチ状の高架下通路。ショップが入り、アートの展覧会なども開催される。

現在の中央線神田~御茶ノ水駅間にかつてあった万世橋駅。昭和18年(1943)に駅としての役目を終えた赤レンガの高架橋の遺構が、2013年から商業施設として再び人の行き交う場所になった。明治45年(1912)の駅開業当時の姿を留める「1912階段」を上った先には、ホームを展望デッキとして整備した「2013プラットホーム」がある。

住所:東京都千代田区神田須田町1-25-4/営業時間:11:00~22:00(日・祝は~20:30。営業時間は店舗により異なる)/定休日:無(月1回休館日あり)/アクセス:JR・地下鉄・つくばエクスプレス秋葉原駅から徒歩5分

発掘してひも解いた生業と暮らしの歴史『花重』【日暮里】

すぐそばの谷中霊園が開園する数年前に生花問屋として創業。
すぐそばの谷中霊園が開園する数年前に生花問屋として創業。
カフェは一部が吹き抜けで、開放的なテラスにつながっている。奥に進むにつれて建物がほぐれていくようなデザイン。
カフェは一部が吹き抜けで、開放的なテラスにつながっている。奥に進むにつれて建物がほぐれていくようなデザイン。
2代目店主の妻・はつさんの嫁入り道具だった鏡も残してある。
2代目店主の妻・はつさんの嫁入り道具だった鏡も残してある。
長屋は江戸仕様で天井が低かったため、土台から底上げされた。
長屋は江戸仕様で天井が低かったため、土台から底上げされた。
長屋だった場所を通って進むと、奥に庭が広がっている。かつて谷中に多かったドブ川(水路)がここにも通っていて、井戸もあったとか。
長屋だった場所を通って進むと、奥に庭が広がっている。かつて谷中に多かったドブ川(水路)がここにも通っていて、井戸もあったとか。

「代々受け継いできた建築を残したい」という思いのもと、創業150年の老舗花屋が2023年にカフェを併設してリニューアル。出桁造りの町屋建築は、創業から7年後の明治10年(1877)に建てられた登録有形文化財。向かって左はさらに古い長屋だった部分で、増改築を繰り返した各時代の建物がゆるやかにつながるように改修されている。

住所:東京都台東区谷中7-5-27/営業時間:9:00~16:30(『花重谷中茶屋』は10:00~17:00)/定休日:火・第4水(不定あり)/アクセス:JR・私鉄日暮里駅から徒歩6分

取材・文=中村こより 撮影=オカダタカオ
『散歩の達人』2026年4月号より

店内にもうもうと立ち込めるタバコの煙。昭和から平成中期にかけて、喫茶店は喫煙者の安息地でもあった。その景色は時代と共に変化し、老若男女の憩いの場に。今も昔も誰かにとって大事な居場所だ。
1996年は、書籍・雑誌の売り上げがピークの年。その後、書店はどう歩んできたのか。大型チェーン店、個人経営の新刊書店、独立系書店、古書店と、違う形態の書店の店主の声を聞いた。