重要文化財となったレンガの変電所は美しさを保つ

思い出のつまった丸山変電所は、アプトの道整備とともに修復され、美しい姿へと生まれ変わりました。以前はドアも壊れて屋根も抜け落ち、建屋内は草も生えるほどの状態でした。現在は屋根もきれいに補修され、壊れたドアも修繕され、しっかりと扉が閉ざされております。内部公開日以外は立入禁止であるけれども、窓から覗くことができます。

初めて訪れた1990年代は屋根が抜け落ち窓ガラスも割れて蔦だらけの廃墟であった。平成6年に国指定重要文化財となり、平成14年に修復工事が終了して見違えるほどの美しさを保っている。手前の建物は蓄電池室、奥の建物は変圧器などがあった機械室だ。
蓄電池室から機械室を見る。1mほどの段差があって、奥のほうが少し高い。

変電所建物は2棟あり、横川方の手前は蓄電池室。奥の軽井沢方は発電室でした。2棟がだんだんになっているのは、登り坂の途中にあるからでしょう。建物の線路側は柵など設置されていないので、すっきりとした姿を観察できます。かたや裏手に回ってみますと、目立たぬように黒めの柵が設置され、柵の外側から見て回ることができます。

と、裏側に増設されたと思しき小屋がありました。窓ガラスが割れたまま残されていますね。その姿を見て、朽ちていたあのころを思い出します。小屋内部はいくつか段差があって、トイレ跡かなと一瞬思いましたが、何かの資材置き場にも考えられます。説明板にも記載されておらず、はたして何に使われたのだろうか、ちょっと想像力が働きますね。

丸山変電所は柵で守られているため中には入れない。裏側へ回ると増設したような部分がある。
増設したと思しき部分は修繕されず、廃墟だったときのままに残されている。ここにはどんな設備があったのだろうか。

変電所の大部分は窓ガラスがすっかりきれいになり、屋根もちゃんと直っています。建屋の周囲は草も刈り取られていて、暖かな陽光と相まって見違えるように美しく保存されています。レンガの建屋をじっくり観察してみると、東京駅赤レンガ駅舎のような豪壮華麗さはないけれども、変電所という質実剛健のフォルムにはアーチや意匠が施されていて、ちょっと優雅で暖かみを感じます。窓枠の曲線が並ぶデザインは素敵ですね。

丸山変電所は、米軍の撮影した1946年の垂直航空写真を見ると、機械室の隣に4棟の大きな建屋があって、いくつか小さな建屋も点在していました。このあたりは線路以外自然の中で、田畑が点在する程度です。それは昔も変わらず、ポツンと丸山変電所の敷地だけ、建物が密集していました。またアプト式時代は、丸山変電所まで複線であり、この先は単線となっていました。信号場も併設していたのですね。

変電所は坂の途中にあるからなのか、機械室と蓄電池室の建物は段差がある。
修繕されて美しい姿のまま保っている変電所。朽ちている姿は美しくて心にグッときたが、こうして大事にされている姿も何だか安心するような気分である。
丸山変電所はトロッコ列車の丸山駅が設置されているからアクセスしやすい。数分間停車するので記念撮影する乗客の姿も多い。

変電所を後にしたアプトの道は『峠の湯』で新線跡とお別れ

さて、丸山変電所を後にします。相変わらずの登り坂が続き、さすがに足も重くなってきます。連続勾配はきついですね。架線柱も残り、線路もあり、24年前までEF63の下ってくる姿がぼんやりと浮かんできます。廃線跡になると架線柱などは撤去されがちですが、ここはそのまま残っているのが良いです。下り線は架線までも残されています。

もし動態保存のEF63がここまで登ってくるのが日常だったら、イギリスで出合った保存鉄道並みの迫力だろうなぁと、下り線を眺めながら妄想しました。実際にEF63が走らせられるかどうかは、クリアする課題が多すぎると思いますが、妄想は勝手なもので、もう頭の中ではあの青い機関車が走っています(笑)

丸山変電所を後にして後ろを振り向くと、ずっと登り坂が続いているのが分かる。歩きやすい道とはいえ、ずっと歩いていると汗ばんで休みたくなってきた。
ところどころで、かつて使われていた線路設備が残されている。

鉄橋が現れました。霧積川橋梁です。といっても、遊歩道なのでしっかりとした柵と舗装された道になっています。ふと川底を見下ろすと、川縁にレンガの橋台跡がありました。これはアプト式時代の遺構で、「碓氷第一橋梁」の名称で架かっていた橋の名残です。鉄橋ではなく三連のレンガアーチ橋で、新線になったとき撤去されました。

霧積川橋梁は、アプト式時代は碓氷第一橋梁と呼んだ。現在、しっかりと欄干もあって安心して渡れる。
碓氷第一橋梁の名残であるレンガ橋台。粘着式の新線開通の際に三連アーチだった橋梁は解体された。
上り線を歩いていると再びシェルパくんが通過していく。舗装された上り線と現役の下り線。ここの廃線跡は二つの顔を持つ。

橋梁を渡ると、『峠の湯』が現れます。上り線を使ったアプトの道はここまで。この先は新線跡と別れて、旧線跡を使用したアプトの道となります。新線跡は一気に草ぼうぼうとなっていて、その先がどうなっているか窺い知れません。

ですが、安中市観光機構による「廃線ウォーク」が時々開催されており、ガイドと共に新線跡を散策することができます。私はまだ参加したことがないですが、なかなか濃いウォーキングかと思われるので、気になる方はチェックしてください。

舗装されていた道は突如として草むした線路へと変わる。この先の朽ち具合こそが“廃もの”にうってつけなのだが立入禁止である。潔く諦め、時々開催される廃線ウォークに参加しよう。
最後にアプトの道と新線跡が分かれる辺りの、現在の姿と1994年の時の姿。周囲の景色からほぼ同じ場所と思われる。1994年の時はイベント列車の旧型客車最後尾からなんとなく撮影したもので、今回の記事にあたり発掘してみたらほぼ同じ場所であった。架線柱や背後の山などが合致する。

地下道を伝って下り線へ出ると、トロッコ列車用の線路が下り線のポイントで別れ、峠の湯駅へ延びています。このポイントは廃止後に設置されたもので、切り替えれば下り線へ行けそうです。以前、新線跡を使用してトロッコ列車を延長運転する計画というニュースを聞いたことがあり、それが実現していたら新線跡をトロッコ列車が走っていたかもしれません。

アプトの道は旧線のほうへ延びています。旧線は整備される前は畦道になっていて、周囲も畑でした。温泉施設ができて廃線跡が整備され、しかもトロッコ列車「峠の湯駅」新設により線路まで少し延びて、廃線跡は進化したのです。

上り線から別れ、現役時代からあった地下道を利用して峠の湯に出る。と、前方にポイントが見えた。左が峠の湯駅へ延びる新設された線路。右は新線跡で、もしトロッコ列車が延伸していたら乗りごたえあっただろう。

埋められた旧線跡が復活。アプトの道はレンガのトンネルへ誘う

『峠の湯』脇に旧線跡のアプトの道がある。24年前までは畦道であった。前方は旧国道18号線。
旧国道18号線の跨線橋内部。旧線が現役の頃からあったはずだ。部分的に改修されている。

かつて、新線とアプト式旧線が分岐する辺りは田畑でした。ちょっと先に旧国道18号の跨線橋があって、その下を旧線跡の畦道が延びていました。それがいま、峠の湯がどんと構え、トロッコ列車の線路と駅が設置され、ガラッと景色が変わっています。

整備されて景色が変わったとはいえ、旧線跡が歩きやすく整備されたのは良いことです。旧国道との交差付近から軽井沢方面の線路敷きは、切り通しと第1トンネルがありました。しかしアプト式が廃止になってからは放置され、じきに切り通しとトンネルは土砂で埋められてしまい、私が1996年に自転車で旧線跡を辿ったときは、いまいち場所がピンときませんでした。第1トンネルの入り口(ポータル)上部の石垣が、土から顔を出していたような記憶があります。記憶違いだったらごめんなさい。

そのように、長らく不遇な時代を過ごしていた旧線跡。アプトの道として脚光を浴び、切り通しとトンネルが発掘(?)されて、見違えるようにきれいになりました。埋没の時代を知っている者としては、現在のハイカーが笑顔で行き交う姿にほっこりとします。

この辺りは埋められていた。見違えるように整備された旧線跡。玉屋ドライブインの力餅はアプト式時代から続く。旧線が現役のころ途中駅「熊の平」があり、そこで力餅を駅売していた。

切り通しを過ぎ、重厚な石積みで組まれたトンネルに入ります。これから先、第10トンネルまで10ケ所のトンネルに潜ります。どの入り口出口のポータルも意匠が施され、石積みであったりレンガ巻きであったりと多種多様です。その造りの違いを観察して歩くだけでも楽しいですね。

発掘された第一トンネルのポータル。石積みの重厚感に見惚れる。頭上の桜の木も良いアクセントだ。

トンネル内は照明が灯され、安心して歩けます。照明ボックスは低い位置にあり、湾曲した支柱から、現役時代の第三軌条の集電部分を連想します。というのも、旧線は横川と軽井沢駅構内は架線集電でパンタグラフを使用し、その他の区間は線路脇にもう1本集電用レールを備えた第三軌条方式でした。そのため線路脇の低い所には、第三軌条のレールが寄り添っていて、その姿とこの照明がオーバーラップしたのです。

第一トンネル内部。足元を照らす照明のフォルムが第三軌条を連想させる。
壁面はところどころ補修されたあとが残っている。
第一トンネルを出て振り返る。トンネル上はすぐ旧国道18号の道路が迫っている。ここも埋められていたような気がするが、記憶が曖昧だ。

トンネルを抜けると眩い若葉が目に入り込んできます。訪れたときは芽吹いた若葉が初々しい春先。これから梅雨を開けたら、深い緑と心地よい風が心地よいことでしょう。トンネルは風の通り道にもなります。逆に秋だとちょっと寒いので、そこそこ防寒着があったほうがいいかも。

碓氷第2橋梁。がっしりとしたレンガ造りの橋梁で、両サイドはこれまた立派な築堤が聳える。いまは整備されて簡単にアクセスできるが、放置されていたときは近づくのも大変だった。
1996年10月17日に旧国道から撮影した同じ橋梁。遠目に見ても旧線跡は荒れ放題だったのが分かった。

碓氷第二橋梁を渡ります。重厚なレンガアーチであり、整備される前は旧国道からここに到達するまで、木々と草をかき分けねばならなかったから、いとも簡単に橋梁を拝めて拍子抜けしてしまいます。この先は第2トンネル。散策道の傍らには錆びた古いレールが数本放置されています。モニュメント的にわざと置いたというよりは、廃止時に放置されたままと思ったほうがしっくりきます。このレールはアプト式の記憶があるのでしょうか。

第2トンネルと、手前で放置されていたレール。大きさから推測するに37kgレールかと思われる。実際に使われていたのだろうか。
第2トンネル内部は補強されている。基礎のコンクリートの新しさから、アプトの道として整備する際に補強したものと思われる。
第2トンネル内部の地面は照明で照らされているところがあった。説明板はなかったが、溝のようなものが見えたので排水設備かもしれない。

第2トンネルは第1と同じように不遇の時代があり、長年土砂で埋まっていました。軽井沢方出口は土から半分顔を出した状態であったのです。トンネルは旧国道18号線のすぐ真下にあって、土砂で半分埋もれた姿は哀愁が漂っていました。それが立派な散策道となって、見違える姿になったのです。

第2トンネルの軽井沢方。脇の道路は人造湖「碓氷湖」へ至る。このトンネルは半分埋められていた。下の写真と見比べてほしい。
これが埋められていたときのもの。1996年10月17日撮影。よせばいいのに、自転車で碓氷峠を登ってみたときの記念写真だ。案の定、熊の平でギブアップして下りることとなる。
第2トンネルの先も延々と続く上り勾配。この坂道を、ラックレールと歯車を噛み合わせた機関車が登り下りしていた。信越本線という幹線は、大変な道のりを越えていたのだと実感する。
碓氷湖がチラッと望めたので小休止すると、コンクリート電柱が倒れていた。この電柱もアプト式時代に現役だったのだろうか。
旧国道が渡る跨線橋と旧線跡。傍らには詰所の基礎が残っていた。アプト式時代の走行写真は、この跨線橋上から撮られたものをよく見かける。今もアプト式が現役だったとしたら、間違いなくお手軽撮影地として賑わっていたに違いない。

さあ、旧線跡のアプトの道はこれからが本番。トンネルも第3、第4と続いていき、その先には日本最大級のレンガアーチ橋「碓氷第三橋梁」が控えています。次回、お伝えします!

取材・撮影・文=吉永陽一

碓氷峠。その名を耳にするとき、JR信越本線横川〜軽井沢間を登り下りするEF63形電気機関車と特急あさま号、おぎのやの駅弁「峠の釜めし」を思い出します。おそらく読者の皆さんのなかにも、碓氷峠のEF63を追いかけたという方がいらっしゃるでしょう。そこで“廃なるもの”碓氷峠編は、じっくりと紹介したく、3回に分けて語ります。来月までかかりますが、しばらくお付き合いください(笑)