いくつもの古いトンネルを抜けた先に現れる、山肌にへばりつく列車交換場所の跡

第10トンネルを潜る。緩やかな左カーブの先には……。

熊ノ平へは第9、第10と、2カ所のトンネルを潜ると到達します。第10トンネルは左へカーブし、出口で出迎えたのは鉄道設備の残骸でした。

トンネルの出口は眩い緑の木々ではなく、架線柱などの鉄道設備であった。

ふう……到着です! アプトの道は熊ノ平が終点で、この先の旧線は新線下り線へと転用された区間となり、軽井沢まで立入禁止となっています。なお、横川方の新線トンネルも旧線と並んでおり、こちらも立入禁止となっています。お気をつけください。

横川方の一番左のトンネルから、新線上り線、新線下り線、旧線本線(単線)。

アプト式時代は単線であったため、熊ノ平は上下列車のすれ違いをする交換駅でした。狭い敷地内に効率よく線路が配置されていたのです。碓氷峠は信越本線という幹線であるため、一列車の両数もあり、この駅の長さを飛び出すほどの編成もありました。

軽井沢と横川双方には、「突込線」と「引上線」という待避線線路と、途中で行き止まり構造となった専用トンネルが、上下線用それぞれあり、横川方、軽井沢方ともに3つのトンネルの口が開いていたのです。

運行の方法はこうです。長編成の列車は突込線に入って停車し、スイッチバックする形で引上線へ戻って駅へ停車。本線を開けます。そうしないと頭隠して尻隠さずとなってしまい、最後尾が本線上に居座ってしまうのです。本線が開いたので上り列車は無事に交換でき、下り列車も発車していくのです。上り列車が先に到着する時は、この逆ですね。

横川方旧線の本線“第10トンネル”の右側にあるのは引上線用のトンネル。出口の先で行き止まりだ。
引上線トンネル手前には水路があって小さな橋梁があった。いまは橋台が残る。

熊ノ平には、待避トンネルが本線トンネルの隣に口を開けており、一瞬複線だっけ?と錯覚してしまいます。昭和38(1963)年の新線開業では、アプト式の隣に線路を新設することになりました。このとき横川方では、アプト式上り線の突込線用行き止まりトンネルを活用し、そのまま掘り進めて拡張させました。やがて複線化による新線を増線する時が来て、新下り線用として、新たにトンネルを掘削します。そのため、合計4つのトンネル口が開くこととなりました。

いっぽうの軽井沢方では、アプト式上り線の引上線トンネルを改修し、新線用として掘り進めて貫通させました。新下り線を敷設する際は、いったん遺棄されたアプト式本線の線路敷きを再利用することにし、トンネルや橋梁は改修や新設をしました。軽井沢方では3つの口が空いています。

横川方は4つのトンネルが口を開けている。この写真では一番右の引上線用トンネルが写っていない。一番左の複線形状の新線上り線トンネルは、中で単線となっている。このトンネルはもともとアプト式の上り突込線用であった。隣の新線下り線トンネルは複線化の際に掘削され、アプト式の旧線トンネルは再利用されずに遺棄された。
軽井沢方は3つのトンネルが口を開ける。右から、新線上り(アプト式上り用引上線を転用)、新線下り(アプト式本線を転用)、旧国道からのアクセス用自動車トンネル(アプト式下り突込線を転用)。レベル(平坦な)状態の突込線と上り勾配の下り線のトンネル段差に注目。熊ノ平の先も一気に登り坂となっていた。

私はこのことを理解するのに数年を要しました(笑)。突込線と引上線の存在や、熊ノ平駅でどういう列車交換をしていたのか、よく知らなかったからです。現代ではアーカイブ映像や写真が誰でも気軽にスマホで見られるので、半世紀以上前のことがすぐ分かりますが、高校生の頃は「あのトンネルはどこへ繋がっているのだ?」と、本線横にある謎のトンネルの“その先”を想像していました。分かってしまえば「なんだそういうことか」ですが、その想像も楽しいものです。

余談ですが、昭和38年に粘着式へ移行した直後の約2ヶ月間は、アプト式と粘着式が併用されていたとのことです。熊ノ平ではED42型とEF63型が対面することもあったことでしょう。仮に双方の方式が併用されたままJR化後も残され、新幹線開業後も廃止されずに運行されていたら、碓氷峠は新幹線、粘着式、アプト式が混在する、世界にも類をみない鉄道スポットとなっていたと思います。あくまで妄想ですが、鉄道模型ならば再現できますね(笑)。

熊ノ平は旧線跡と新線跡が集結する場所。廃止時のままの姿があった

横川方のトンネル群。アプト式現役時代は、右の樹木は無く、引上線トンネルとホームがあった。構内全ては歩けないものの、立入禁止ロープの内側からでも十分に観察できる。

さておき、熊ノ平には狭い山肌にいくつものトンネルが口を開け、新線跡はレールと架線が残されています。新線跡とは麓の「峠の湯」以来の再会です。いつEF63の音が聞こえてもおかしくないほど、1997年の廃止時そのままの姿で残されており、変化したといえばロープや看板など最低限の立入禁止処置だけ。このような保存方法は好感が持てます。変電所の建物も、あの頃と変化なさそうです。

昭和12(1937)年築の変電所建屋は現役時の姿を色濃く残している。夕刻の斜光で新線下り線のレールが光る。

日が落ちるにはまだ早いものの、ここは山深い中。山影になって日向が徐々に狭くなってきました。とはいっても、熊ノ平は見学するところが多く、夕刻の光線がレールを光らせ、俗に言う“エモい”“映え”な光景に出会いました。まぁ、日が落ちても帰りのトンネル内は照明がまだ着いているから大丈夫だろう。少々ゆっくり過ごすことにします。

官舎などがあった場所はちょっとした広場となっている。アプトの道を登り続けた体を休めよう。

熊ノ平は昭和25(1950)年に発生した山崩れによって、鉄道職員や家族など約50名が犠牲とな り、大正時代にも故障した機関車が暴走して構内で激突した事故があり、痛ましい歴史を刻んできました。自由に歩ける範囲内には慰霊碑があり、神社も建立されています。

山崩れによって尊い命が奪われ、いまはひっそりと慰霊碑が並ぶ。
熊ノ平には神社がある。別名は”JR一ノ宮”と称す。管理をする碓氷峠熊野神社ではアプト式をデザインした交通安全ステッカーがある。碓氷第3橋梁と10000形電気機関車が描かれている。
熊の平神社と変電所。現役時代は信号場のため立ち入りしにくかったが、アプトの道として整備されてからお参りする人が増えているのではと思っている。

神社で道中の無事に手を合わせ一休み。熊ノ平は旧国道からアクセスしやすいように整備され、道路沿いには駐車場やトイレも設置されました。トイレや駐車場は第3橋梁などにもあり、アプトの道が整備され、格段に環境が整ったのです。廃線跡が自然の一部と化した時代を知っているので、熊ノ平まで気軽に明治時代の遺構を観察できるというのが、知識としては分かっていたけれども、いざ体感すると隔世の感あって感慨深いです。

旧下り突込線トンネル手前にあるレンガの壁は碓氷第7橋梁の一部分である。

太陽は山影に隠れ、熊ノ平から日向が消えました。モノトーンの世界も「しん……。」としていて、なかなか良いものです。私は日影となってうっすらとする世界が好きなので、ついつい長居していますが、もう日が落ちるのも時間の問題。適当に切り上げて降ります。

熊ノ平は廃止時の姿を残したまま気軽に散策できる場所となった。碓氷峠開通の碑も見学できる。

登りはそこそこ堪えたので、帰りはもっと足腰にきます。ほら、登山の降りはより慎重にと言うでしょう。それと同じですね。碓氷峠を降る機関車は、登りよりもより慎重な足取りで走行していました。いま降っていると、その大変さが実感できる気がしてきます。履き慣れていない靴だと靴擦れを起こしてしまいそうなので、気をつけたほうがよいですね。自転車で熊ノ平へ登って帰る時も、旧国道ではスピードが出てしまって、ちょっと怖かったです。あのときは野犬(推定)までいて、追いかけられた思い出が……。

自転車で降っている途中に挨拶された(追いかけられた)野犬と思しき白犬。撮る余裕はあったようだ。

今回はアプトの道のみを歩きました。熊ノ平以降のアプト旧線は大部分が新線の下り線へ転用されており、立入禁止のために観察できません。ただ数カ所ほどは旧国道沿いにあるので、トンネルなどが確認できます。2007年に訪れた時のトンネルの写真をお見せします。

碓氷第11橋梁のコンクリートアーチ橋。熊ノ平〜軽井沢のアプト式区間はほとんど新線下り線へ吸収された。この橋梁はレンガアーチを改良して1997年の廃止時まで使用された。2007年4月20日撮影。
第17トンネルは旧国道沿いにあるのですぐわかる。2007年4月20日撮影。
第16トンネルは軽井沢方が残存しているが、横川方は新線へ吸収されているため途中で行き止まりとなっている。2007年4月20日撮影。
第17トンネルの横川方。第16トンネルと向かい合っているので双方とも観察できる。2007年4月20日撮影。

碓氷峠アプトの道、いまやメジャーなハイキングコースでもある廃線跡は、(変なところへ入らなければ)安全かつ気軽に遺構を観察でき、大変有意義で興奮し、楽しいひとときでした。あらためて、こんな険しい道を24時間365日、どんな天候でも休まず機関車が列車を押したり引っ張ったりして運行していたんだなぁと、疲れた足腰を労わりながらしみじみ思うわけです。

4回に渡って紹介してきた碓氷峠アプトの道。これからの季節は暑くなってくるので、熱中症と虫刺され対策はしっかりとしてください。

碓氷峠。その名を耳にするとき、JR信越本線横川〜軽井沢間を登り下りするEF63形電気機関車と特急あさま号、おぎのやの駅弁「峠の釜めし」を思い出します。おそらく読者の皆さんのなかにも、碓氷峠のEF63を追いかけたという方がいらっしゃるでしょう。そこで“廃なるもの”碓氷峠編は、じっくりと紹介したく、3回に分けて語ります。来月までかかりますが、しばらくお付き合いください(笑)
前回のその1では、丸山変電所の手前までやってきました。今回は変電所を観察しながら、アプトの道を登って行き、旧線跡の途中までお伝えします。
碓氷峠は3回に分けてお話しするつもりでした。案の定、話が延びてしまい、4回目の今回がほんとにラストです。話が延びるほど、アプトの道には見るものがたくさんあるということですね。さて、前回まで「熊ノ平(くまのだいら)」と述べているけれども、そもそも熊ノ平とはなんぞやと言うと、アプト式時代は山中にある中間駅でした。新線に切り替わってしばらくした昭和41(1966)年に信号場となりました。駅とはいっても周辺は鉄道関係者か、玉屋の「峠の力餅」(第2回のレポに登場した力餅)の店舗くらいで、変電所と上下列車の交換設備が狭い山肌にへばりつく形であったのです。

取材・文・撮影=吉永陽一