歌舞伎町~新宿二丁目。怪しさが魅力の街歩き
まず新宿という街の範囲をざっとおさらいしておこう。
各線新宿駅を中心に、東は新宿三丁目から新宿御苑駅あたり、西は都庁の向こうの新宿中央公園、北は職安通り、南は甲州街道までの四角いエリアが一般的な認識といえるだろう。
コロナ騒ぎでは、感染の震源地として随分と悪者になった。だが、よくも悪くも怪しさや猥雑さが新宿の魅力だと思う。というわけで、まずは新宿駅新南口近くの新宿四丁目から散歩を始めよう。
新宿が本格的に歴史に登場するのは、江戸中期の内藤新宿。
信州高遠家の下屋敷を利用して作られた甲州街道の「新しい宿」は、やがて江戸四宿中もっとも純粋な色街となる。新南口すぐ近く天龍寺境内に「追い出しの鐘」というのがあるが、この鐘は内藤新宿で夜通し遊んだ客を追い出す合図を打ったことからついた名前。このあたりはかつて旭町と呼ばれ、飯盛女の末裔ともいえる街娼が戦後まで出没したという。
新宿四丁目という呼び名になった現在も、ビジネス旅館や旅荘が立ち並ぶ、歴史の生き証人のような街だ。
さらに怪しい街巡りを続けよう。
ゲイタウンとして名高い「新宿二丁目」は昔の赤線だが、じつは江戸時代、ここが内藤新宿の中心地だった。
隣接する太宗寺には巨大な閻魔大王と奪衣婆がいるが、この奪衣婆は飯盛女たちから絶大な信仰を集めたという。
近くに「百合の小道」とも「L通り」とも呼ばれるレズバーが並ぶ小道があるが、これは太宗寺の池から流れ出る川の跡地。こちらも、とっても趣深い道なので、昼間でもいいから、ぜひ歩いてほしい。
そしていよいよ本丸・歌舞伎町へ。ゴジラヘッドが輝く『新宿TOHOシネマ』が目立つが、その近くにあるのは大小さまざまな居酒屋、風俗店、DVDショップなどなど。客引きも「客引き禁止」の立て看板も多い。
ゴジラの裏側の道は、ホストクラブとその電飾看板が連なり、風林会館と『野郎寿司』のある交差点までがもっとも客引きが多いエリア。
そんなビル密集地の中に、ところどころ細い路地が伸びていて、こわごわ進んでいくと小さなプレハブでできたブースのような飲み屋が連なっている。あるいはちょっと前まで私道だったスペースに露天の酒場ができていたりする。
なんというか、「自由だな~」と思う。
最近話題になっている「トー横キッズ」は、ネグレクトやDV、いじめなどの問題を抱え行き場を失い、新宿TOHOビル横あたりにたむろするようになった若者たちのことだという。実際このあたりには昔からそういう子たちが多かった。今はなきコマ劇場前の噴水横でも、所在なげにたむろする危うい若者たちを見かけたものだ。
きっとこの場には危うい人たちを引き付ける独特の力が沁みついている。どんなに再開発されても、そう簡単には消えないのだろう。
ところで歌舞伎町という町名の由来をご存じだろうか? 戦後の復興期、町の町会長はこの地に歌舞伎座を誘致しようとした。だが結局失敗し、代わりにできたのが演歌や歌謡曲など大衆芸能の聖地となる「新宿コマ劇場」。この時から、新宿はメインではなく、サブカルチャーの道を突き進む運命を背負ったのかもしれない。
サブカルチャー&アングラカルチャーの聖地
新宿はカルチャー発信の街でもある。
いわゆるメインカルチャーとしては、まず映画。『TOHOシネマズ新宿』や『新宿ピカデリー』、『新宿バルト9』はハリウッド系など大作をかける大箱。対して邦画専門の『テアトル新宿』、ミニシアター的な『新宿武蔵野館」』や『シネマカリテ』などが揃う。
写真関係では『OM SYSTEM PLAZA』『ニコンプラザ東京』『シリウス』など常設ギャラリーが集まる。
また1897年創業の寄席『末廣亭』も外せない。近くには『楽屋』という喫茶店もあり、噺家さんたちが一服する姿も見かける。
ちょっと離れるが初台には『オペラシティ』もある。
しかし新宿はむしろサブカルチャー&アングラカルチャーの街である。
たとえば音楽、特にジャズ。ジャズ喫茶『ダグ』とジャズクラブ『新宿ピットイン』、この日本のジャズシーンを代表する2軒がそろっていることは圧巻だ。
クラシックでは『名曲喫茶 らんぶる』。入り口は小さいが、地下に広がる大空間に広がる赤くレトロなソファが並ぶ空間がタイムスリップ感覚に襲われる。
レコード・CDショップはさすがに最近は数が激減したが、それでもFRAGS上階の『タワーレコード新宿店』は健在だし、中古の『ディスクユニオン』は「ジャズ館」「クラシック館」などのほか「昭和歌謡館」「プログレッシブロック館」「日本のロック・インディーズ館」とあきれるほどジャンルを細分化して展開する。
演劇では『シアターモリエール』『ゴールデン街劇場』のほか、花園神社境内では唐十郎ゆかりの赤テントや椿組の野外劇場が定期的に行われ、ちょっとした風物詩の感もある。
振り返れば、昭和中期に一世を風靡した名曲喫茶「風月堂」や歌声喫茶「ともしび」、新宿フォークゲリラ、『ロフト』や『アシベ』などインディーズバンドを多数輩出したライブハウス、アラーキーや森山大道、大沢在昌や馳星周など、新宿文化はいつも原色でちょっとフェイクな空気をまとって登場してくる。
だがもちろん、それがいいのである。
花園神社の酉の市は年の瀬の始まり
新宿の年の瀬の風物詩といえば花園神社の「酉の市」という人も多いのではないだろうか。関東三大酉の市のひとつといわれ、60万人が集まる。
開運熊手の市のが所せましとならび、ところどころで三本締めが行われる活気あふれる光景は他と同じだが、ここの名物は見世物小屋。身の毛もよだつような芸が目の前で繰り広げられる(かもしれない)。2023年は、一の酉が11月11日、二の酉は11月23日、それぞれ前日の10・22日ふくめ、合計4日間開催となる。
新宿で行くべき名店はここ
新宿にはなんでもあるので、逆に新宿ならではの味というのはないかもしれない。ここでは古くからある老舗で、今も人気の店を挙げておこう。
まずは熊本ラーメン『桂花』。昭和43年に東京1号店を新宿三丁目に開店(現在の末広店)、現在新宿に4店舗を展開する。豚骨とマー油という香味油が特徴で、客の5割が注文するという「ターロー麺」は豚の角煮と生キャベツが入った垂涎の一杯。私などはこれを食べるためだけに新宿に通った時期もある。
とんかつの有名店も多いが、中でも伊勢丹裏の路地にある『王ろじ』は大正10年創業という老舗。「とんかつセット」と「とん丼」という名のカツカレーが名物だがおすすめは断然前者。なんでこんなに硬いのと思うぐらい硬い衣だが、知らぬ間にくせになっている。とん汁は注文のたびに仕上げる方式。同じ新宿発祥の老舗で、現在は全国チェーン店となった「新宿さぼてん」の対極にあるような店だ。とんかつ茶漬けの『新宿すずや』、西口の庶民派『豚珍館』もいい。
中華料理も多いが、どうしても行ってほしいのは、新宿三丁目の『隋園別館』。ここにはなるべく大人数で行って、名物メニューの合菜載帽、水餃子、割包和肉を是非。特に合菜載帽は「貧乏人の北京ダックの異名」をとる店の代名詞的存在だ。
冬なら『お多幸 野田店』のおでんも外せない。大正12年創業。東京にはいろんな『お多幸』があるが、ここ野田店の系列は銀座八丁目と新宿店だけ。元祖関東風の味が楽しめる。地下1階、地上4階という大箱だが、長い木製カウンターは趣がある。
カレーはやっぱり『中村屋』で決まり!かもしれないが、中村屋ビルのどの店に入るかはちょっとした問題。カジュアルな『マンナ』が普通の選択だと思うが、おすすめは高級な『グラナ』。高いが一度は食べる価値はあると思う。ランチなら3000円でお釣りがくる。
『ル・ブラン』は、もともと新宿では珍しく女性に人気のケーキのある喫茶店だったが、1980年ごろからイタリアンに。ランチが安くておいしい貴重な存在だ。
洋食ならアルタ裏の『アカシア』へ。ここのロールキャベツシチューはバターも乳製品も使わないが濃厚な独特の味。これに極辛カレーがついたセットがおすすめだ。
喫茶店と居酒屋
新宿の喫茶店というと、まず『珈琲西武』。昭和39年(1964)創業、東京を代表する純喫茶の一つだ。何度か改装しているが、店の特徴であるレトロなステンドグラスは残されている。落ち着けることはこの上ない。
喫煙者なら迷わず『タイムス』へ。全新聞がそろうラックが壮観だ。
西口の『但馬屋珈琲店』、カフェオーレを高いところから注ぐ『エジンバラ』、サイフォンコーヒーとナポリタンの『カフェテラス・ドム』もレトロ系でおすすめだ。
居酒屋は多すぎて選べないが、『どん底』だけは行ってほしい。昭和26年(1951)創業、店名はゴーリキーの小説から来ていて、迷宮のような造りで、三島由紀夫や宇野亜喜良、越路吹雪が通った名店と聞くとビビるが、拍子抜けするぐらいフランクな店。名物はビンで出てくる焼酎ベースの「どん底カクテル」と「洋風おにぎり」、「林さんのライス」などで、どれもリーズナブル。
そのほか『池林房』『陶幻房』グループ、もつ焼きの老舗『ぼるが』、サントリーラウンジ『イーグル』、ゆるめのローカルチェーン『呑者家(どんじゃか)』『三平』なども新宿ならではの存在だ。
ゴールデン街と思い出横丁
新宿には二つの横丁がある。ともに東京を代表する横丁なので触れておこう。
まずは「ゴールデン街」。花園神社と都電の廃線跡でもある四季の道に挟まれた5つの筋からなる横丁で、300もの店が連なっている。
ここは戦後の闇市を発祥とする青線の跡地。1958年の売春防止法以降に飲食店が入り、1970年代以降は作家や文化人が集うディープな横丁となった。かつてのブラックな雰囲気は薄らいできていが、それを残念がる人もいる。
よく、おすすめはどこですか?という質問を受けるが、正直言っておすすめはない。そういうまとめサイトも見かけるが、あまり信用はできないと思う。どこもそれなりの個性があり、一見さんにやさしい店ばかりではないが、それがゴールデン街だからだ。自分で調べて、気の合いそうな店に入ってみるのが一番だろう。あるいは誰かに連れて行ってもらい、気があったら通い詰める。そういうことしかないと思う。あえて言えば、花園神社近くの2階にあるズブロッカとミートボールカレーの店『ハングリー・ハンフリー』、劇団椿組主宰の外波山文明さんの店『クラクラ』は、ともに最古参だが決して敷居の高い店ではない。
もう一つは西口を出てくすぐの「思い出横丁」。戦後のバラックがそのまま残った形の横丁だ。ここはどこもサクッと飲んで帰るスタイルの店が多い。うなぎ串のフルコースが楽しめる『カブト』、ソイ丼や「バカでアホでフラメンキン」などの『つるかめ食堂』、キクラゲと卵炒めがうまい中華の『岐阜屋』、モツの店なら『第二宝来屋』、『朝起』でカエルなどの珍味を味わうのもいい。
新宿にいるのはこんな人
なんでもある街だけに、おしゃれな人、地味な人、まじめなビジネスマン、ちょっと怖い系の人、爆買いする富裕層、インテリからチャラいホスト系まで、あらゆる人種がそろっているのが新宿。
だが、ゴールデン街や二丁目、思い出横丁あたりを歩くと、それなりにカラーが出てくる。ゴールデン街には、独特のファッションに身を包んだ人が確かに多い。酔っぱらって語りだすとうるさそう。しかし、どういうわけだか彼らは総じてママさんに弱い。男たちはみんな母性を求めているんだなあ。
逆に思い出横丁は、いわゆる普通のおじさんの宝庫。どこにでもいる風体のおじさんがカウンターで黙々と酒を飲む。決して長居はせず、さっと食べてきゅっと飲んで帰る。そんな「かっこいい普通のおじさん」が、酒飲みの流儀を後進に伝えていく場でもあるのだ。
でも油断は禁物!
だが、酔っ払いにやさしい街、とは限らない。
10年以上前の話。歌舞伎町の中心地に「P」という喫茶店がある。コロナ以降元気がないが、かつては一日中客足の絶えない店だった。私はそこでぼったくりバー御用達の客引きのプロという女性を取材したことがある。
約束の時間に現れたのは60代後半のおばあさん。人違いだろうか?しかし彼女は「酔っ払いの男なんてイチコロよ。みんなやりたいだけなんだから」と意味不明なことを言ったあと、しわの目立つ顔に化粧を施しはじめた。やや雑な仕草だったがツボを得たもので、魔法のようにみるみる変身していく。きづけばそこに30代後半ぐらいの愛嬌のある女が座っていた。彼女はは10分で30年若返った計算になる。しかもこの混雑した店の真ん中で!
酔っ払ってもいいが、泥酔はしない方がいい。歌舞伎町は油断ならない街と肝に銘じておきたい。
東京の中心はどこか?
かつて私は母と「東京の中心はどこか?」という話題でよく言い合いをした。母曰く東京の中心は東京駅だそうだ。しかし、明治政府が皇居の近くに「東京駅」を作ったのは、あくまでお上の理屈。高度成長期以降、人々は東京の西半分に居を構え、結果、東京の中心は新宿に移ったのだ。最後まで意見の一致を見ぬまま母は昨年死んだが、これだけは今も譲れない。都庁があるからというのとも違う。まず新宿が栄えてから都庁が有楽町から移ってきた、というのが正しい歴史だ。
しかし、東京の中心は新宿だけではないとも思う。東京の東側、いわゆる下町方面から見て新宿の求心力はあまり高くないだろう。
では東側の中心はどこか? それはもちろん浅草だろう。
新宿と浅草の共通点は多い。
人が多く、鉄道のターミナルであり、東京を代表する歓楽街であり、横丁が多く(浅草はホッピー通り、焼肉横丁ほか)、歴史ある風俗街を抱え(浅草なら吉原)、デパートの代わりに巨大な商店街(仲見世ほか)があって……といったところか。いやもう一つある。
実は「散歩の達人」は浅草特集もあんまり売れないのである。
取材・文=武田憲人 文責=散歩の達人/さんたつ編集部 イラスト=さとうみゆき