小野正弘 先生
国語学者。明治大学文学部教授。「三省堂現代新国語辞典 第六版」の編集主幹。専門は、日本語の歴史(語彙・文字・意味)。

同心円状に「あほ」「たわけ」「ばか」などが分布

筆者 : 東日本では「ばか」、西日本では「あほ」というイメージがありますが、これは正しいのでしょうか?

小野先生 : 実は、そうでもないんです。九州では「ばか」がよく使われる地域もあります。
松本修さんという方が、『全国アホ・バカ分布考―はるかなる言葉の旅路』でおもしろい研究をしています。「愚か者」を指す言葉はいくつもあって、近畿の「あほ」を中心に、日本列島へ同心円状に分布しているというのです。
愛知や山口では「たわけ」という地域があり、関東と北部九州では「ばか」、西九州や南九州と東北では「ほうけ」「ほんぢなし(本地なし)」が使われています。

筆者 : ど、どうしてそんなことになったのですか??

小野先生 : 昔の日本の中心は京都のある近畿地方でした。まず、近畿で「ほんぢなし」→「ばか」→「たわけ」→「あほ」という順に、新しいことばがうまれます。近畿のことばは全国に広がりますが、それには時間がかかります。関西から近い地域は新しいことばに侵食されるものの、遠い地域ほど古いことばが残るのだと、日本の方言学では考えます。
同じような現象は他の言葉にもみられます。国語学者の柳田国男は、「蝸牛考」で「ででむし(でんでんむし)」「まいまい」「かたつむり」といった言葉が、同心円状に分布することを示しています。

いわれも含めてことばを楽しむ日本人の気質

筆者 : 「あほ」より「ばか」のほうが古いことばだということですね。

小野先生 : 「ばか」の語源はよくわかっていないのですが、元々はサンスクリット語(梵語)であるというのが通説です。「馬鹿」は当て字で、馬や鹿が愚かだと言っているわけではありません。
秦の趙高という人が、「珍しい馬がいる」と鹿をみせて、臣下を試したという説話があります。趙高にへつらう者は「確かに馬だ」と言い、恐れない者は「それは鹿だ」と本当のことを言いました。この故事にならって「馬鹿」と書くようになったと言われます。
「あほ」も語源は不明です。秦の始皇帝の「阿房宮」が元だと言われますが、これは後付けです。阿房宮が始皇帝があまりにも壮大で、生きている間には完成できなかったことから、「無謀な試み」を指すのだと。

筆者 : 本連載でも語源の後付けがたびたび出てくるように、日本人はことばにストーリーを付けるのが好きですね。

小野先生 : ことばに対する繊細な感覚を持ち、根拠を知って落ち着きたい、というマインドが強いのでしょう。いわれも含めて、ことばを楽しんでいるのです。
だから、この「4コマことば図鑑」も人気なのですね!

親しみを込めた「ばか」「あほ」のニュアンス

筆者 : 「男はつらいよ」で主人公の寅さんがマドンナに片思いをすると、おいちゃんが「ばかだねぇ」とため息を付くシーンがあります。「ばか」は相手を見下すだけでなく、裏には愛情のようなものがあることばではないでしょうか。

小野先生 : おそらく、おいちゃんのことばには、「お前“も”愚かだなあ」という同一性、同類性が含まれています。相手を「ばか」だといえるほど自分も賢くないけれど、愛すべき存在には、親しみを込めて「ばか」といえる。ある種の共感を示すことばでもあるのです。

筆者 : だから、漫才やコントのツッコミに笑えるのですね!

小野先生 : 「あほ」も同様で、一方的に相手を軽蔑しているわけではありません。
しかし、私の知人で関西出身の教師が、東北の高校で生徒に「あほやなぁ」と言ったところ、「取り消してください!」と激昂されたといいます。関西で「ばか」、関東や東北で「あほ」というとカドが立つのです。
人は異質なものを受け入れられないもの。本来の「ばか」「あほ」が持っている共感や親しみの感覚が、場所を変えると抜け落ちてしまうのです。

筆者 : 私は関東出身なのですが、関西で「ばか」というと本当にばかにされているようだと、言われたことがあります。ことばは難しいですね。

取材・文=小越建典(ソルバ!)

「お前はそれほど馬鹿か?」「相変わらず馬鹿か?」「ほんとに馬鹿だねえ」誰が誰に対して言っているかはさておき、『男はつらいよ』シリーズには、たくさんの馬鹿にまつわるセリフが飛び交う。なかでもおいちゃん(「とらや」6代目店主・車竜造)が寅さんと絡んだときの馬鹿っぷりは、ほとんど名人芸だ。そこで今回は歴代おいちゃん3名(森川信、松村達雄、下條正巳)の馬鹿っぷりを検証しながら、現代社会と馬鹿との関係を真面目に考えてみる。