アウトドア・スポーツの記事一覧

141〜160件(全343件)
noimage
「ねこ」はなぜ「ニャー」と鳴く?ことばから掘り下げる日本の猫文化
2月22日は「ニャーニャーニャー(にゃんにゃんにゃん)」の語呂合わせで「猫の日」。しかも、2022年2月22日は「ニャー」が6つもつくスペシャルな1日となり、さまざまなイベントが催される予定だ。では、なぜ猫の鳴き声に「ニャー」という擬音語があてられているか、ご存知だろうか? 単純に音声だけではない、深~い意味があるのだ。国語学者の小野正弘先生に、日本人にとっての「ねこ」を解説してもらった。
noimage
三浦半島の先っちょ三浦富士。富士信仰が根付く山へ【東京発日帰り山さんぽ】
『散歩の達人 日帰り山さんぽ』より、旅先で気軽に楽しめる散歩コースを紹介。歩行時間や歩行距離も明記しておりますので、週末のお出かけにご活用ください。三浦半島の先っちょに三浦富士がある。古くから麓の漁民の信仰の山として崇められてきた山だ。山頂には浅間神社が祀られ、富士信仰が根付いている。 <神奈川県 横須賀市> 
noimage
極私的No. 1ギャグ漫画『すすめ!! パイレーツ』とは何だったのか
「あなたのナンバーワンギャグ漫画は何ですか?」と訊かれたら、答えは決まっている。江口寿史の『すすめ!! パイレーツ』(以下、『パイレーツ』)だ。『パイレーツ』は1977〜80年に週刊少年ジャンプで連載していた江口寿史のデビュー作。江口先生が中3のとき引っ越した千葉県を舞台に、架空のハチャメチャプロ野球チーム「千葉パイレーツ」を描いた作品。江口先生はこのとき弱冠21歳。集英社の執筆室(カンヅメ部屋)の主となり、1年で18キロも体重が増えたという。この時代のジャンプは、日本の3大新聞を凌駕する部数に迫っていた。当時の連載陣は、『こちら葛飾区亀有公園前派出所』、『東大一直線』、『サーキットの狼』、『ドーベルマン刑事』、『悪たれ巨人』、『プレイボール』(ちばあきお!)、『さわやか万太郎』、『キン肉マン』、そして『リングにかけろ』(車田正美の最高傑作。これに関しては稿を改めたい)。錚々たる顔ぶれで300万部に到達。ピークは94年末で、653万部を記録する。よく言われることだが、当時はギャグ漫画全盛期だった。チャンピオンの『がきデカ』(山上たつひこ大先生。当然『パイレーツ』は影響下にある)、『らんぽう』、『マカロニほうれん荘』(近年再評価)。サンデーの『できんボーイ』。ジャンプは『1・2のアッホ!!』(日本初の野球をベースにしたギャグ漫画)、『東大一直線』、『こち亀』。そんな中、『パイレーツ』は現れた。
noimage
「愛してる」って言えますか? 「恋」と「愛」の違いを国語学者がフカボリ解説
2月14日は聖バレンタインデー。日本ではチョコレートの贈りものを通して、恋愛が進展する(?)ビッグイベントだ。国語学者の小野正弘先生に「恋」と「愛」を解説してもらうと、奥の深いことばの歴史が見えてきた。
noimage
「がんばれ!」は世界的にはユニークな応援のことば。相手を追い込まない声のかけ方とは?
北京オリンピックが開幕! 受験シーズンも大詰めとなり、「がんばれ!」と声援を送りたくなる機会が増えています。国語学者の小野正弘先生に「がんばる」を解説していただくと、意外な本来の意味が明らかに。ここまでがんばってきた選手や受験生に、どんなことばをかければよいか? 鮮やかに答えてくれました。
noimage
船堀駅からはじめる船堀・浦安さんぽ〜舟運の路・新川から『青べか物語』の町へ〜
行徳と江戸を結んだ水辺の道は、新川千本桜と呼ばれる花の道に大変身。木橋や行灯、石積みの護岸が江戸情緒を醸し出す。清流が流れる日本初の親水公園を抜けて浦安橋を渡れば、『青べか物語』の漁師町。残された民家や船宿、再現された水路に往時をしのぶ。
noimage
幸福な嘘八百(フィクション)――梶原一騎・原田久仁信の傑作『プロレススーパースター列伝』
梶原一騎が太く短い生涯を終えて今年(2020年)で33年になる。梶原が遺した代表作――。『巨人の星』、『タイガーマスク』、『あしたのジョー』は、いまなお現在進行形の輝きを放っている。他にも傑作が星座のようにある中、僕のような昭和40〜50年代生まれの世代にもっとも影響を与えたのは、『プロレススーパースター列伝』(以下、『列伝』)ではないだろうか。テレビのゴールデンタイムにプロレスが放送されている時代に、本作は週刊少年サンデーで連載されていた。どんなレスラーが登場したか、少年サンデーコミックスで挙げていく。1巻 地獄突きがいく!ザ・ブッチャー ①〜⑨2巻 ブッチャー ⑩〜⑫、首折り魔!スタン・ハンセン ①~⑥3巻 千の顔を持つ男!ミル・マスカラス ①~⑨4巻 マスカラス ⑩~⑮、父の執念!ザ・ファンクス ①~③5巻 ファンクス ④~⑦、インドの狂虎!タイガー・J・シン ①~⑤6巻 シン ⑥~⑦、世紀の大巨人!A・ザ・ジャイアント ①~⑥7巻 なつかしのB・I砲! G馬場とA猪木 ①~⑨8巻 G馬場とA猪木 ⑩~⑱9巻 夢の英雄! タイガーマスク ①~⑨10巻 タイガーマスク ⑩~⑱11巻 タイガーマスク ⑲~㉗12巻 超人一番! ハルク・ホーガン ①~⑨13巻 ホーガン ⑩~⑱14巻 文明のキングコング!ブルーザー・ブロディ ①~⑨15巻 ブルーザー・ブロディ ⑩~⑱16巻 東洋の神秘!カブキ ①~⑨17巻 狂乱の貴公子!リック・フレアー ①~⑧計17巻13人。「プロレスの神様」カール・ゴッチはよほど人気がなかったのか、最短の5回で打ち切りになったため単行本未収録。文庫やコンビニサイズ版など、何度となく復刊されているが、初単行本となったサンデーコミックス版はファンの思い入れが強く、累計100万部を突破しているにもかかわらず高値で取引されている。「プロレスは世界最強」と頑なに信じていた少年たちは、とにかく『列伝』にヤラれた。基本的にメリハリが利き過ぎで、作画担当の原田久仁信先生が最高の名場面をあてていく。そこに描かれたことを、僕たちは一語一句一コマ信じた。例えばブッチャーの初回。ブッチャーがインタビューを依頼するマスコミを怒鳴り付けて退散させたコマの後。“こんなブッチャーがただ昼飯をおごっただけで、わたし(梶原一騎)にしみじみ2時間も波乱の半生を語ってくれた”と前置きを付ける。ザ・シークに見いだされたもののギャラをピンハネされたブッチャーは、「ああ、人間は信じられねえ!」と思う。そこに入る梶原節。“ブッチャーの悪役哲学!! それは「愛」とか「友情」とかを信じないこと、信ずるのは「自分と金」だけだとハッキリ言う! ブッチャーの少年時代……(略)なんと母親がアルコール中毒だった。朝から晩まで飲んだくれる母親に愛想を尽かした父親は、幼いブッチャーも捨てて他の女性と一緒になってしまった。そのショックと、アルコールで体を壊し、間もなく母親が死んで……”。切なかった。だからブッチャーは極悪非道のレスラーになったんだと子どもの僕は同情した。猪木編は何度も涙した。師匠力道山はジャイアント馬場にはエリートコースを歩ませる一方で、猪木寛至を苛め抜く。馬場に全敗した猪木に、それまで厳しく当たってきた力道山が真意を明かす。力道山「強いレスラーにはふたつのタイプがある。馬場のように天性の恵まれた体格とパワーで圧倒できるタイプと、おまえやわしのように、中型の体格を努力と根性で強化するしかないタイプだ。当然、その育て方も違う! わしは馬場にはどんどんチャンスをあたえ、天性の素質を花ひらかせるようにし、逆に猪木には下積みの苦労、そこから生まれる雑草の強さを期待した!」猪木「せッ……先生!!」力道山「なんにもいわんでええ。とにかく、わしは馬場にトコトン連敗しながら、なおかつ、技と根性のレスリングで対抗しようとの執念を捨てぬ、猪木寛至ちゅう男を認めた! 近くアメリカにも遠征させよう。リングネームも、あの偉大なアントニオ・ロッカにあやかってアントニオ猪木というのはどうかな?」ナレーター「アントニオ・ロッカ!! それは力道山が一度でいいから日本へ招きたいと望みつつ、あまりに相手が超大物のためスケジュールがあかず、遂に果たせなかった人気王レスラーの名! 力道山の猪木への愛情の深さがわかる……」『列伝』泣くとこ多いんだけどここ鉄板。こんな感じの最強こぼれ話オンパレード。挙げていくときりがない。
noimage
予想を超えた絶景が待つ、近所の里山、天狗岩と赤ぼっこへ【東京発日帰り山さんぽ】
『散歩の達人 日帰り山さんぽ』より、旅先で気軽に楽しめる散歩コースを紹介。歩行時間や歩行距離も明記しておりますので、週末のお出かけにご活用ください。青梅市と日の出町の境界には、ごみの最終処分場だけではなく、長淵丘陵と呼ばれる里山がある。境界線上に登山道があり、びっくりするほどの大展望が得られる。<東京 青梅市・日の出町>
noimage
千葉県茂原市 ~利便性と自然が共存する、天然ガスの灯るまち~
東京湾アクアラインの開通(1997年)と圏央道の延伸(2013年)に伴い、東京方面からのアクセスが飛躍的に向上した房総半島中部の茂原(もばら)市。平地と里山が混在する風景には、どこか懐かしさが漂う。際立った観光施設や見どころが多いわけではない。しかし丹念に歴史をたどり、地域を訪ね歩けば、随所に埋もれた魅力があることを茂原の“散歩の達人”(後述)から教わった。「点と点をつなぐ線、さらには広がりのある面として捉えると本質が見えてくる」と散歩の極意を口にしていた達人の言葉を思い返しながら、市内各所を巡ってみた。
noimage
リニアも望める富士見の山、高川山【東京発日帰り山さんぽ】
『散歩の達人 日帰り山さんぽ』より、旅先で気軽に楽しめる散歩コースを紹介。歩行時間や歩行距離も明記しておりますので、週末のお出かけにご活用ください。御坂山地の東の外れにある高川山は、初狩駅から2時間程度で上がれ、山頂からの展望は360度。もちろん富士山も。おまけにリニア実験線も見える。<山梨県・大月市>
noimage
豊田駅からはじめる豊田・日野・高幡不動さんぽ〜新選組のふるさとを訪ね歩く歴史の道〜
黒川段丘の緑豊かな公園を歩き、新選組ゆかりの地へ向かう。日野宿は、近藤勇や土方歳三、沖田総司らが出会った天然理心流の道場があった地で、都内で唯一残る江戸時代の本陣跡や資料館でその歴史にふれることができる。幕末ロマン幕開けのエリアを歩く。
noimage
北参道は落ち着いた暮らしとトレンドの先端! 二兎を追える“ダガヤサンドウ”ライフ
西は明治神宮、北は新宿御苑、東は国立競技場と、緑に囲まれた北参道エリア。2008年の地下鉄副都心線開通以降、北参道~千駄ケ谷のあたりは「ダガヤサンドウ」と呼ばれ、おしゃれなアパレル店やカフェもじわりと増加中だ。個性的なヴィンテージマンションや落ち着いた住環境をもつファミリー向けマンションなどが点在するこのエリアの暮らしを、想像しながら散策した。
noimage
逆お椀型の単独峰、山梨県の要害山へ【東京発日帰り山さんぽ】
『散歩の達人 日帰り山さんぽ』より、旅先で気軽に楽しめる散歩コースを紹介。歩行時間や歩行距離も明記しておりますので、週末のお出かけにご活用ください。上野原駅の北部には能岳、八重山、要害山など手軽なハイキングコースがある。特に要害山は逆お椀型の山容で、別名おっぱい山といわれる。 <山梨県・上野原市>
noimage
瀬古賛歌~なぜ瀬古利彦以上に有名なマラソンランナーは現れないのか?
今の若い人はスポーツ新聞を買うことなどないだろう。うちは一般紙の他にスポーツ新聞も購読していた。僕が子どもの頃、中京や関西地区だとまた違うだろうけど、スポーツ新聞の一面は決まってジャイアンツ。大人の時候の挨拶は天気か野球だった。ほんとに。巨人の監督が変わるときは総理大臣が変わることと同じぐらい重要とされる時代だった。当時の日本の一般成人男性のマジョリティは「既婚・喫煙者・巨人ファン」だったのではないか。ときは流れて現代ではマイノリティーになった。つくづく価値観とか「当たり前」とか「フツー」とかって、変わっていくものだと思う。子どもだった僕が記憶する、巨人以外のスポーツ新聞の一面はふたつしかない。ひとつは山口百恵の結婚。「三浦友和は山口百恵のこと好きなの?」と親に真顔で聞いたことを覚えている。もうひとつは瀬古利彦。さあ今回の本題です。この人以上に有名なマラソンランナーは現れていない。おそらく僕の世代で「あなたがいちばん好きなマラソンランナーは?」という質問があったら、二大会連続メダル獲得の有森さんでも国民栄誉賞のQちゃんでもなく、瀬古の名前を挙げるはずだ。子どもの頃に、それぐらい刷り込まれた。わりと瀬古好きの僕は彼の文献をいくつも読んで詳しい。ちょっと語らせてほしい。1976年3月、一浪して早稲田大学に入学した瀬古利彦に運命の出会いがあった。当時62歳の中村清だった。中村は1913年、日本占領下のソウルに生まれた。靴さえない極貧家庭に育ち、36年のベルリンオリンピックに1500メートル代表で出場。太平洋戦争では陸軍憲兵隊長。戦後は母校である早大の駅伝コーチを無給で買って出て、ヤミ市で横流しして得た財産をすべて選手の食費などにあてた。この世代だからもちろん選手を殴るのは当たり前。伴走車で轢き殺そうとすることもしばしばだった。東急の監督を7年間務めたがこれといった選手を育てることは叶わなかった。その後、弱体化していた早大競走部の監督に就任した際、瀬古が入部する。中村は選手たちと初めて会った合宿の寮で、彼らに頭を下げた。「早稲田が弱くなったのはおまえたちだけの責任ではない。面倒を見なかったOBも悪かった。代表して謝りたい」そう言った直後、自分の顔を殴り出し、鼻血が出てもなお続けた。壁に何度も頭を打ち付けて、血を流しながら「私の陸上への思いはこの通りだ!」と叫んだという。グラウンドの土を食べたこともあった。今回この原稿を書くため、改めて文献を漁ったところ、「おまえたちのためなら何でも食べる」と言いながら食べた説と、「この土を食べれば世界一になれると言われたら、おまえらは食べることができるか?」と言いながら食べた説と、本によって微妙に異なっていた。たぶん中村は少なくとも2回以上、土を食べたのだろう。えーっと、イッちゃってますね(言葉を選びました)。多くの選手が中村の“奇行”(※温厚な言葉に置き換えました。)に呆然とする中、若き瀬古は引き込まれた。中村もすぐに瀬古の才能を見いだした。瀬古は中村の自宅の敷地内にあるアパートに住むよう命じられ、衣食住を共にした。六畳間にはテレビもラジカセもない。中村が部屋の鍵を持っているため常に監視下にあった。瀬古が散歩に出ただけで、中村は「瀬古には未亡人でもいるのか」と探った。瀬古がポルノ映画館に逃げ込むと、角刈り頭の瀬古の隣に男が来て手を握られた。中村の教えは常に狂気に満ちていた。練習の前後に聖書や正法眼蔵から用いた説教が2時間。選手が自分のことを理解していないと憤るあまり、地団駄を踏みすぎて足を骨折したこともあった。瀬古には大会の10日前からオナニー禁止(中村は学生結婚だったが現役時代に夫婦生活はなかった)。毎日80キロ走らされた。スパルタどころではない。瀬古に人権はなかった。瀬古は中村の期待に応えた。めきめき実力を伸ばし、3度目のマラソンで福岡国際マラソン優勝を果たした。「瀬古は神様がくれた宝物」と中村は喜んだ。中村には娘が4人いたが、「『日本沈没』(1973年発表の小松左京のミリオンセラー)の日が来たとして、誰かひとりを助けられるとしたら瀬古を選ぶ」と言い放った。
noimage
はなじょろ道から富士見の山、高松山へ【東京発日帰り山さんぽ】
『散歩の達人 日帰り山さんぽ』より、旅先で気軽に楽しめる散歩コースを紹介。歩行時間や歩行距離も明記しておりますので、週末のお出かけにご活用ください。 松田町と山北町との境界線上に高松山がある。地元の人たちによって復活した古道を歩いて山頂へ。カヤトが切り払われた山頂からの眺望に感動。 <神奈川県 松田町・山北町>
noimage
群馬県南牧村・下仁田町 ~奇岩に目を奪われる、自然豊かな西上州の郷~
「高齢化率日本一の村がある」と聞き、西上州と呼ばれる群馬県南西部の南牧(なんもく)村を訪ねた(2021年8月末現在の全村民における65歳以上の人口割合は66・23%)。いざ足を踏み入れると、空き家が目立つとはいえ、精力的に出歩く高齢者の姿が行く先々で見られ、活力みなぎる様子にこちらが勇気づけられるほどだ。その南牧村の玄関口に当たるのが、隣の下仁田(しもにた)町である。特産のねぎとこんにゃくで全国的に名を馳(は)せ、また南牧村ともども養蚕業で大いに栄えた歴史をもつ。界隈に特徴的な奇岩の数々に見守られながら、両地域を訪ね歩いてみるとしよう。
noimage
浮間舟渡駅からはじめる浮間舟渡・赤塚・ 光が丘さんぽ〜水辺と緑を楽しむネイチャーウォーク〜
浮間公園の池畔を抜けて川風が気持ちがよい荒川土手へ。新河岸川を渡れば、高島平団地はすぐそこ。この先は、赤塚公園、赤塚溜池公園、赤塚植物園、光が丘公園など、自然を楽しむ公園が点在する。距離が長いので、高島平からスタートしてもよい。
noimage
起伏を楽しめる海原展望の低山、静岡県の沼津アルプスへ【東京発日帰り山さんぽ】
『散歩の達人 日帰り山さんぽ』より、旅先で気軽に楽しめる散歩コースを紹介。歩行時間や歩行距離も明記しておりますので、週末のお出かけにご活用ください。伊豆半島の西側のつけ根に6山7峠が連続する縦走路が沼津アルプスだ。北や南の日本アルプスとはレベルが違うが、距離も長く、高低差もあるので、低山なれど充実感たっぷり。<静岡県・沼津市>
noimage
石神井公園駅からはじめる石神井・武蔵関・東伏見さんぽ〜3つの池を結ぶ石神井川沿いの水辺散歩〜
ボート遊びが楽しい石神井池、水生植物が生い茂り、多くの野鳥が飛来する三宝池、武蔵野の自然が残る富士見池。石神井川で結ばれる趣の異なる3つの池をめぐる水辺散歩。途中には古社寺や城跡、古代遺跡などもあり、変化に富むコースになっている。
noimage
東京五輪が遺したもの ―選手育成編―/選手の発掘・育成事業が新たなアスリートたちを生む 【東京オリンピックを歩く[最終回]】
オリンピック・パラリンピック大会の自国開催は競技会場をはじめ、多くのものが残される。前東京大会ではスポーツ少年団やママさんバレーボールが広まり、スポーツ文化が日本に根付いた。いま気になるのはより強い選手の育成。その現場を覗いてみた。
PAGE TOP トップへ PAGE TOP 目次へ