インド共和国

南アジアの大国。人口14.5億人は世界一。日本には6万5126人が住む。東京には2万人以上が暮らし、とくに江戸川区に集住している。御徒町のある台東区には804人が在住。IT技術者、貿易関連、コック、それぞれの家族のほか、留学生や永住者が多い。

細かな主義、好みを受け止め、個々に合った食事を提供

宝石商にしてレストランオーナーのラジェンドラさん(中央)と腕利きのシェフたち。
宝石商にしてレストランオーナーのラジェンドラさん(中央)と腕利きのシェフたち。

インド西部を中心に世界で500万人の信徒を持つジャイナ教は、徹底した不殺生(アヒンサー)で知られる。できるだけ生きものを傷つけないという考え方だ。だから、まず肉や魚は食べない。野菜の中でも、タマネギやジャガイモなどの根菜類も避ける。収穫の際に地中の微生物を殺してしまう可能性があるためだ。

また根菜でなくても、カリフラワーやナスなど虫がつきやすい野菜もNG。やはり誤って虫の命を奪いかねないからである。本来ならばそのほかの野菜も食べるべきではないけれど、それでは自分自身が生きていけない。そこで、生命の中では比較的、苦痛を感じることが少ないとされる植物、ほかの生きものにも害を与えにくい、葉物野菜や豆類を中心とした食生活を送っている。

そんなジャイナ教徒たちが、御徒町には多い。彼らが集まってくるのがインド料理店『ヴェジハーブサーガ』で、ジャイナ教徒に合わせたベジタリアンメニューで知られている。

とはいえ「これがジャイナ料理」というものはない。さまざまなメニューを、ジャイナスタイルで調理してくれる店なのだ。何を食べるか食べないかは「人によっても家族によっても違う」とラジェンドラさんは言う。たとえばタマネギひとつとっても解釈の違いがある。同じキッチンでタマネギが調理されていることすら許さない人もいれば、菜食であればいいじゃないかとタマネギを食べる人もいる。そのあたりの細かな主義、好みを『ヴェジハーブサーガ』のシェフたちは受け取め、個々に合った食事を提供してくれる。根菜だけは入れないでとか、ジャガイモはダメといった注文に応じてくれる。

「たいへんなので、ほかのインド料理店だと嫌がられることが多い。でもうちのシェフは喜んでつくる。自分たちもベジタリアンだからね。うちは食材の質にもこだわっているけれど、何よりつくる人の気持ちが違う」

だからおいしいのだとラジェンドラさんは力説する。

野菜だけでも豪華で満足感ある食べ応え

日替わりメニューにも力を入れている。
日替わりメニューにも力を入れている。

店の自慢メニューはいろいろあるけれど、食べてみたいのはやっぱり「グジャラーティ・ターリー・スーラト・ヌ・ジャマン」だろう。インドの中でもとりわけジャイナ教徒が多いグジャラート州スタイルのターリー(大皿料理)だ。

どこから手をつけたらいいのか悩んでしまうが、まずダールから。ムング豆とひよこ豆がほどよく合わさった優しい味つけだ。

グジャラートならではのものといえば、まずカディ。カード(インド風のヨーグルト)をベースにひよこ豆の粉、マスタードやカレーリーフを加えて煮込んだもので、さっぱりした酸味と香りが楽しめる。セブトマトは名前の通りトマト料理。タマリンドやジャガリー(黒糖)で味つけ、やはりひよこ豆の粉でつくったセブというパリパリの揚げ麺を散らす。

こうした料理に合うのはチャパティのほか、メティ・ナ・テプラというパン。メティとはひよこ豆の粉と全粒粉にフェヌグリークの葉を加えて焼いたもので、ほのかな苦味がなんともクセになる。そしてパコラという野菜の揚げ物だが、厳格なジャイナ教徒にはピーマンを、そうでない客にはカリフラワーを使って出している。シェフたちは口々に言う。

「ほかの料理も同じ。タマネギやジャガイモなど入れる人も入れない人もいるけど、どんな忙しくても対応する。つくり分けるよ」

無数のスパイスを使い分ける。
無数のスパイスを使い分ける。
豪快かつ確かな熟練の鍋さばき。
豪快かつ確かな熟練の鍋さばき。

シメに甘々なラスマライと、ミントとブラックソルト、クミンなどが入ったヨーグルトドリンク・チャーチをいただきつつ、ベジ食の奥深さを堪能した。

グジャラーティ・ターリー・スーラト・ヌ・ジャマン(グジャラート州スーラト風の大皿料理)4500円。【1】チャーチ(スパイス入りバターミルク)、【2】グジャラーティ・カディ(ヨーグルトとひよこ豆のスープ)、【3】セブ・トマト・ヌー・シャーク(揚げ麺入りトマトカレー)、【4】ラスマライ(チーズとミルクソースのスイーツ)、【5】ダール(豆のスープ)、【6】パパド(豆粉のせんべい)、【7】ジーラ・プラオ(クミンの炊き込みご飯)、【8】メティ・ナ・テプラ(ひよこ豆とフェヌグリークの葉のパン)、【9】チャパティ(全粒粉のパン)、【10】パコラ(野菜の揚げ物)。
グジャラーティ・ターリー・スーラト・ヌ・ジャマン(グジャラート州スーラト風の大皿料理)4500円。【1】チャーチ(スパイス入りバターミルク)、【2】グジャラーティ・カディ(ヨーグルトとひよこ豆のスープ)、【3】セブ・トマト・ヌー・シャーク(揚げ麺入りトマトカレー)、【4】ラスマライ(チーズとミルクソースのスイーツ)、【5】ダール(豆のスープ)、【6】パパド(豆粉のせんべい)、【7】ジーラ・プラオ(クミンの炊き込みご飯)、【8】メティ・ナ・テプラ(ひよこ豆とフェヌグリークの葉のパン)、【9】チャパティ(全粒粉のパン)、【10】パコラ(野菜の揚げ物)。

宝石の街とジャイナ教徒の深い関係

カスリメティとグリーンピースのカレー、マター・メティ・マライ2500円は濃厚リッチな味わい。
カスリメティとグリーンピースのカレー、マター・メティ・マライ2500円は濃厚リッチな味わい。

御徒町にはなぜ、ジャイナ教徒のインド人が多いのか。それはこの街が「ジュエリータウン」と呼ばれていることに関係がある。1000軒以上の宝石関連業者が集まっているのだ。

御徒町といえばアメ横だが、そのルーツは戦後の闇市にさかのぼる。その混乱と活気の中、宝石や時計を売りに来る進駐軍の米兵もいたそうだ。そのため宝飾関連の業者が増えはじめた。そこに、外国人も参入してきたのは60~70年代といわれる。

「インド人は50年以上前からここで商売してたんじゃないかな」

レストランだけでなく、宝石卸商『ラトウナサガル』も営むラジェンドラさんが解説してくれた。インドは宝石加工が一大産業となっている。その多くをジャイナ教徒が担う。というのもジャイナ教の教義にはアヒンサーだけでなく「嘘をついてはならない」というものもある。これがビジネス上での信頼を生む。宝石のような高額商品を扱う商売であればなおさらだ。

こうして御徒町がジュエリータウンとして発展していく中で、質のいい宝石供給者としてインド人も増え、地域の日本人宝石商にとっても欠かせない商売相手となったが、大半がジャイナ教徒という構造が生まれたのだ。

そして09年、ラジェンドラさんは『ヴェジハーブサーガ』をオープン。いまでは宝石関連のジャイナ教徒たちの憩いの場となっている。その味から日本人にも人気になっているので、彼らがこだわる菜食の世界を味わってみよう。

商売の神ガネーシャが店内を見守る。
商売の神ガネーシャが店内を見守る。
住所:東京都台東区上野5-22-1 東鈴ビルB1/営業時間:11:15~15:00・17:15~22:30/定休日:無/アクセス:地下鉄日比谷線仲御徒町駅から徒歩3分

取材・文=室橋裕和 撮影=泉田真人
『散歩の達人』2026年4月号より