【散歩コース】

スタート:門前仲町駅は地下鉄東西線で飯田橋駅から11分・180円。地下鉄大江戸線代々木駅から25分・280円、両国駅から6分・180円。

地下鉄東西線・大江戸線門前仲町駅→(3分/0.2㎞)→法乗院 深川ゑんま堂→(7分/0.5㎞)→成田山深川不動堂→(2分/0.1㎞)→富岡八幡宮→(11分/0.8㎞)→木場親水公園→(11分/0.9㎞)→木場公園→(27分/1.8㎞)→古石場川親水公園→(19分/1.3㎞)→明治丸→(5分/0.4㎞)→JR京葉線越中島駅

ゴール:越中島駅からJR京葉線で東京駅まで4分・150円。

今回のコース◆約6.0㎞/約1時間25分/約8000歩

色鮮やかな江戸三大閻魔のひとつ「法乗院 深川ゑんま堂」

寛永6年(1629)創建。1989年建立の閻魔大魔王像は日本最大級の大きさ。家内安全やぼけ封じなど、19の祈願ごとの賽銭箱に賽銭を投入すると、その説法が自動で流れるシステムを日本で初めて採用。

「法乗院 深川ゑんま堂」詳細

住所:東京都江東区深川2-16-3/営業時間:9:00~17:00/定休日:無/アクセス:地下鉄東西線・大江戸線門前仲町駅から徒歩6分

成田山の出開帳が起源の別院「成田山 深川不動堂」

旧本堂は江東区内最古の木造建築。
旧本堂は江東区内最古の木造建築。

元禄16年(1703)、成田山新勝寺の御本尊の出開帳をしたのが始まり。明治14年(1881)に不動堂が建てられた。新勝寺の東京別院で、「深川のお不動様」として親しまれる。

本堂の外壁は梵字で埋め尽くされている。
本堂の外壁は梵字で埋め尽くされている。

「成田山 深川不動堂」詳細

住所:東京都江東区富岡1-17-13/営業時間:参拝自由/アクセス:地下鉄東西線・大江戸線門前仲町駅から徒歩3分

篤く信仰を集める深川の八幡様「富岡八幡宮」

寛永4年(1627)創建。徳川将軍家から手厚い保護を受けてきた。勧進相撲発祥の地で、境内には歴代横綱の石碑が立つ。8月15日前後に行われる深川八幡祭は、江戸三大祭の一つ。

「富岡八幡宮」詳細

江戸情緒を感じる水辺の公園「木場親水公園」

木場の風景をテーマに整備した親水公園。木場駅近くから仙台堀川にかけての約900mには、石積みの掘割や木製の太鼓橋、和船などがあり、江戸情緒を感じさせてくれる。

「木場親水公園」詳細

ピクニックにも最適な緑の公園「木場公園」

かつて木場の木材関連の会社があった地を整備した公園。約23万8000平方メートルの敷地は3地区に分かれ、木場公園大橋で各地区を連絡している。植物園やバーベキュー場、ドッグランなどがある。

「木場公園」詳細

住所:東京都江東区木場4・5丁目・平野4丁目・三好4丁目・東陽6丁目/営業時間:入園自由/アクセス:地下鉄東西線木場駅から徒歩5分

水辺の香りをテーマにした公園「古石場川(ふるいしばがわ)親水公園」

江戸城築城の際の石置き場があったところで、石のオブジェが点在する。園内の水路を流れるのは海水なので、アサリの発生を見られることがある。バラ園やアジサイなども見られる。

「古石場川親水公園」詳細

住所:東京都江東区牡丹2-10/営業時間:入園自由/アクセス:地下鉄東西線・大江戸線門前仲町駅から徒歩5分

明治時代に造られた国の重要文化財の補助帆付汽船を展示「明治丸」

明治7年(1874)に灯台巡視船としてイギリスで製造された帆船。天皇が乗るお召し船や練習船としても使用された。

「明治丸」詳細

住所:東京都江東区越中島2-1-6 東京海洋大学越中島キャンパス内/営業時間:10:00〜16:00(10月〜3月は〜15:00)/定休日:火・木・第1・3土に公開(祝の場合は休)、7月最終週~9月第1週の間は全日休/アクセス:JR京葉線・武蔵野線越中島駅から徒歩2分

【門前仲町の名店グルメを堪能!】

アーユルヴェーダの粥や軽食を『お招き屋・ディデアン』

薬膳料理店。土・日限定の朝食が評判で、血流を促す植物・ゴツコラを使ったキャンダ(粥)800円や、ラッサムスープ・ライス900円がおすすめ。ランチの薬膳カレーも一押し。

『お招き屋・ディデアン』店舗詳細

住所:東京都江東区富岡1-15-3/営業時間:11:00~18:00(土・日は8:00~、要確認)/定休日:不定/アクセス:地下鉄東西線・大江戸線門前仲町駅から徒歩3分

1957年創業の人気酒場。魚が旨い、安い!『大衆酒場 魚三』

1階と2階のコの字形カウンター席は連日多くの人でにぎわう。元が魚屋なので、魚料理が人気。まぐろ300円や中トロ700円など。コップ酒210円とアルコールもリーズナブル。

『大衆酒場 魚三』店舗詳細

【街探検】江戸の街づくりのために集まった材木商で隆盛した木場

天正18年(1590)、徳川家康が江戸へ入封すると、江戸城改築や江戸の街をつくるため、大量の材木が必要になり、全国から材木商が集められた。その後、多くの材木商が江戸に残り、日本橋材木町をはじめ、各地で商いをしていた。寛永18年(1641)の桶町の大火延焼の原因が材木商が保管していた材木とされ、元木場(江東区清澄、深川などの周辺)に集められた。

明暦3年(1657)の明暦の大火後、神社仏閣や武家屋敷が江戸城から離れた地に移転する。これを機に、材木の運搬に便利な水路を生かすため元禄14年(1701)に深川木場町が誕生した。江戸の街づくりで巨万の富を手に入れた材木商も多く、紀伊國屋文左衛門は、富岡八幡宮に3基の宮神輿を奉納したと伝わる。

しかし、高度経済成長期(1950年代~1970年代頃)に木場で地盤沈下の問題が発生。新木場が新たな貯木場となり、かつての貯木場は木場公園になった。

取材・⽂・撮影=アド・グリーン
『散歩の達人 歩きたい人のための 東京散歩地図』より