魚屋DNAを受け継ぐ門仲の良心酒場『大衆酒場 魚三』[門前仲町]
ひいじいちゃんが魚の引き売りから始めて、じいちゃんが昭和34年に居酒屋を始めたんです。酒は飲まない人だったけどね。魚は、昔っから河岸仕入れ。親父と台風でも出かけてるよー。仲卸さんとは、何十年もの顔なじみだから、いろいろ気にかけてくれるんです。だから勧めてくれたものも仕入れるようにしてるんですよ。
お店のお客さんには最近若い子や女性が増えましたね。昔は女性がカウンターに座っただけで、空気がガラリと変わって男性客が妙に緊張したもんだけどネ。あと、うちは子連れ入店できないんです。だって“酒場”だからね。だけど、成人すると、今度は親子で来てくれるんです。でもね、大概は大女将の洗礼を受けるんですよ。 「最初に魚を注文しないなんて、 何しに来たんだい!」ってね。俺らがやったら、かえってお客さんに叱られちゃうけど、大女将はオーラがありますから。ま、一杯飲んでってよ。(4代目・鈴木三則さん)
『大衆酒場 魚三』店舗詳細
日本文化の伝道者『京呉服・宝石の店 田巻屋 深川清澄白河本店』[清澄白河]
店前の深川江戸資料館通りは昔、お彼岸通りと呼ばれてましたが、地下鉄が開通し、現代美術館やインターナショナルスクールができて、にぎやかになりました。外国の方も多く、浴衣をガウンとして着たり壁に飾ったり、帯留めはベルト、帯あげはマフラーで使う、なんて話も聞きます。
創業時から花街のお姐(ねえ)さん向けというより、街の人向けの店。この辺りは祭りのとき、半纏(はんてん)の帯で個性をアピールするんです。だから、和装でいろいろ楽しめるよう、 2代目の夫が宝石を、3代目の息子が和雑貨を扱うようになりました。最近は、 デニム着物や和柄足袋も人気です。
深川では七五三や小学校の卒業式で、袴(はかま)をはく子が増えているんです。うちでは 「着物はおじいちゃん、おばあちゃんのところにあるかもしれないから、見ておいで」って伝えます。そうすれば、箪笥(たんす)の肥やしの着物が生き返りますし、袴代だけで済みますから。 「こんなのがあったの」と持ってきてもらって、コーディネートしてあげることもあるんです。和の伝統文化は、ちゃんと伝えていかなきゃ。 (女将・田巻孝子さん)
『京呉服・宝石の店 田巻屋 深川清澄白河本店』店舗詳細
豊洲の台所を支える頼もしいお肉屋さん『肉のイチムラ』[豊洲]
豊洲は軍の施設があった場所。それが戦後、民間に払い下げになるっていうんで、初代のじいさんが、業種を 「精肉店」 と書いて応募したら当たったんです。肉屋なんてやったことがないから、急いで門仲のお店で修業したけど、初めはロースもモモも、同じような細切れ、同じ値段で売ってたらしいです。それを、修業先に出入りしていた親父が見兼ねたのか、子供のいないじいさんに見込まれたのか、二人で切り盛りするようになりました。総菜は昔からやっていたから、昭和の終わり頃から弁当もはじめました。日替わりのほか、ハンバーグ630円や牛ステーキ弁当830円がおすすめ。1日に150食ほど売れるかな。
昔に比べて、豊洲もようやく普通の街になってきたなって思います。団地も増えたし、会社もあるし。だから昼間は弁当、夜は焼き鳥なんかを作って並べてます。職人の街だからか、牛より、豚のほうが好まれるかな。遠くから買いに来てくる人もいるんです。確かにあんまり価格は上げてないけど、うち、そんなに安いの?(3代目・市村恭庸(やすのぶ)さん)
『肉のイチムラ』店舗詳細
子供たちの社交場『下町のおもちゃ箱トイパーク まさみや』[森下]
玩具は遊びの原点。 昔から 「壊しちゃダメ」 が決まり文句ですが、壊して分解して向学心を培うものなので、大事にすることも身につくんですよ。
この店は、戦後の焼け野原の物資のない折に、商店街から要望があり、両親が創業しました。1996年から駄菓子を扱い、ワンコインで遊べるゲーム機も置きました。昭和中頃にはやったものなので、大人も子供の頃に思いを馳せています。当たる (お菓子券) 確率もいいんです。
“高橋のらくろード”は、日・祝10~19時は歩行者天国なので、家族でご来店ください。(2代目・川喜田敏夫さん)
『下町のおもちゃ箱トイパーク まさみや』店舗詳細
取材・文=佐藤さゆり(teamまめ) 撮影=門馬央典