2023年2月 天王洲「第一ホテル東京シーフォート」
運河沿いの好立地ホテル
天王洲の「第一ホテル東京シーフォート」が、2月28日をもって営業を終了した。不採算や収益悪化が原因のようだ。1992年、ちょうどベイエリアが注目を集めた頃、人気エリアの天王洲に誕生、客室132室、3軒のレストランと宴会場を持つ巨大なホテルで、おしゃれなウォーターフロントのリゾート感あふれるホテルとして一躍脚光を浴びた。運河沿いの好立地、高層階からの東京湾の夜景、モノレールからも直結し都心へも空港へも抜群のアクセスで人気も高かった。かつて結婚式でお邪魔したこともあったが、都心のホテルにはない開放感とリゾート感でそれは素敵な結婚式だった。営業最終日の28日夜には、客とスタッフが最後に集い、メモリアルパーティーが開かれた。バブル期のウォーターフロントブームから30年余、お台場も天王洲も次の時代への変わり目に来ているようだ。
2023年3月 「デニーズ南青山店」
静かな通りの中で唯一キラキラ輝いていた
「青デニ」の愛称で親しまれた「デニーズ南青山店」が、3月23日をもって閉店した。1985年開店、以来38年間、都心のちょっとおしゃれなファミレスとして人気。24時間営業で、都心なのに駐車場も完備して車で行ける、貴重なデニーズだった。外装もアメリカンテイストで、青山墓地下の静かな通りの中で唯一キラキラ輝いていた。かつては、環八用賀や湘南逗子などにもあった、“おしゃれでバブリーな”デニーズの最後の店でもあった。バブル期には、六本木や西麻布で飲んだ帰りに立ち寄ったり、ここで集まって横浜や湘南へ深夜のドライブに行ったり、と若者に大人気。深夜でも行列ができたこともあった。あの時代がまた遠くなってゆく……。
2023年3月 東京駅八重洲口「八重洲ブックセンター本店」
再開発に伴い、しばしのお別れ
東京駅八重洲口の目の前、「ビルまるごと書店」の「八重洲ブックセンター本店」が、3月31日、再開発に伴い、44年の歴史に幕を閉じた。1978年、当時としては日本最大の巨大書店としてオープン、8階建てで約100万冊の在庫を誇り、東京駅前の立地の良さで多くの客に親しまれた。
しかし、書店を取り巻く環境は厳しく、街からどんどん書店が失くなっている。六本木も、青山ブックセンターの閉店をはじめいわゆる普通の書店は少なくなり(青山ブックセンターの跡地には『文喫』がオープンしたが)、赤坂も、2022年に文教堂が閉店するなど、書店がなくなりつつある。Amazonや電子書籍にとって代わられたのか、本を読まなくなったのか。好きな本を探す楽しみも、手に取った本を買ってみる楽しみも、知らない本との出合いもなくなってしまうのか? 「立ち読み」も「衝動買い」も死語になってしまうのか? 何か大切なものを失っているようで、大きな文化の喪失だと思う。
ちなみに、「八重洲ブックセンター本店」は一旦閉店し、再開発後に新しい施設の中で2028年ごろ再出発を予定しているそうだ。
2023年7月 「中野サンプラザ」
前例のない大規模複合建築だった
1973年6月の開館以来ちょうど50年を迎えた「中野サンプラザ」が、7月2日をもって閉館した。約2400の席を持つ、東京を代表するコンサートホールとして長年にわたり多くの人に親しまれたが、実は全国勤労青少年会館として、多くの施設を持つ総合施設でもあった。地下にはボウリング場、プール、トレーニングセンター、さらにはチャペル、図書館、宴会場、会議室、上層階はホテル、20階がレストランだった。
ちょうど50年前、大学1年生だった私は、自転車でオープニングセレモニーを見に行き、時の総理・田中角栄がテープカットしたのを覚えている。以来、仕事では「東京音楽祭シルバーカナリー」をはじめ多くの番組の収録でスタッフとして使わせていただいた。観客としても、TOTOやクーラ・シェイカーなどの海外アーティスト、加山雄三や郷ひろみ、前川清などの国内アーティストまで何十回通ったことだろう。特に印象的なのは山下達郎、大規模会場を嫌った達郎は、NHKホールとサンプラでしかほとんどやらなかったくらい、規模的にも音響的にも優れたホールだった。
ラストは「さよなら中野サンプラザ音楽祭」が行われ、私も五木ひろしら演歌歌手が集まるコンサートに顔を出し、最後のお別れを告げてきた。閉館までは、BEGIN、奥田民生、サンボマスターらがライブを行い、7月2日の最終日は、やはり山下達郎が有終の美を飾った。今後は中野駅周辺も含めた再開発を行い、7000人規模のホールに生まれ変わるという。「新宿厚生年金会館」、「ゆうぽうと」、「新宿コマ劇場」も今はなく、『渋谷公会堂』も『日本青年館ホール』も建て替わってしまい、1500~2000人の通いなれたホールが皆消えてしまった。
ところで「中野サンプラザ」が消えて、サンプラザ中野くんが改名するというのはホントなのだろうか?
2023年8月 「赤坂エクセルホテル東急」
まさに赤坂のランドマークだった
1969年開業の「赤坂エクセルホテル東急」(我々の世代には「赤坂東急ホテル」)が、8月31日をもって、54年の幕を下ろし閉館した。賃貸借契約の終了によるものと言われているが、跡地に関しては未定。大きなレストランや宴会場、500弱の客室を誇る都心の大型ホテルで、赤坂見附の駅を出ると目の前にそびえる、まさに赤坂のランドマークだった。1階には高級店が並び、2階のテラスも快適な空間だった。オープンした頃は、その形状から「軍艦パジャマ」の愛称で親しまれた。
赤坂に勤務していた私には数々の思い出があり、頻繁に利用したものだ。3階ロビーの「赤坂スクエアダイニング」は打ち合わせに、上階のなだ万が運営する「スーパーダイニング・赤坂ジパング」は、2000年にオープンした広大な和食レストランで、商談、接待、会食によく使わせてもらった。赤坂見附の交差点近くの地下にあるのが「NINJA AKASAKA」という忍者レストラン、忍者の世界をコンセプトにしたエンターテインメントレストランで、忍者の隠れ里を模した空間と、エンタメ感満載のユニークな料理、忍者によるマジックショーと、大人も子供も楽しめるレストランだった。また、テラス階には「フーターズ」というレストランがあり、アメリカングラフィティのようなお店で、ウェイトレスがタンクトップ、ショートパンツ姿でハンバーガーを運んでいた。スケベ心のある男性客でいつも満員で、私もずいぶん通わせてもらった。
私がADの頃は14階に「マルコポーロ」と「ゴンドラ」というバーがあり、仕事の延長で夜中によく行ったものである。当時、早朝番組を担当するディレクターやタレントはよくこのホテルに宿泊していた。ADの私はまだ泊まることができずうらやましい思いをしたものだ。当時の赤坂のホテルといえば、「赤坂東急」「赤坂プリンス」「キャピトル東急」「ニュージャパン」が代表格だったが、当時の姿はこれで全部消えてしまった。さみしいものである。