2006年5月 「新宿ピカデリー」「新宿松竹会館」

『男はつらいよ』の大半はここで観た

1958年「新宿松竹会館」としてオープン。1000人クラスの大劇場と、地下の新宿松竹を中心に最大は4スクリーンに拡大した。「新宿ピカデリー」は洋画大作中心、「新宿松竹」は松竹系邦画で、『男はつらいよ』の大半はここで観た。2006年5月に閉館となって取り壊され、2008年、シネコン『新宿ピカデリー』として生まれ変わった。

2006年5月 神田「交通博物館」

歴史的遺産や鉄道模型パノラマも展示

1921年オープン、1926年に旧国鉄万世橋跡へ移り、以来70年間子供からファンにまで親しまれた。交通全般、鉄道、車、船、飛行機などがフロア別に展示され、日本最初の1号機関車や弁慶号、日本最初の飛行をした飛行機などの歴史的な遺産の実物が展示されていた。鉄道模型パノラマも人気があり、まだ娯楽の少ない昭和30~40年代、父親に連れてってもらえるのが何よりもうれしかった。

鉄道に関しては、2007年に開館した大宮の「鉄道博物館」に移り、よりスケールアップした。現在この場所は、『マーチエキュート神田万世橋』という雑貨やグルメなどおしゃれな商業施設になり、鉄道遺産を残していたり、かつてのホームの上にあって横を電車が通るカフェがあったりと話題を集めている。

2006年6月 永田町「キャピトル東急ホテル」

ビートルズが宿泊した歴史的な場所

1963年、「東京ヒルトンホテル」として開業、84年に「キャピトル東急ホテル」となったが、2006年6月に一旦閉館、現在は建て替えられ、『ザ・キャピトルホテル東急』に生まれ変わった。何といってもここは、1966年にビートルズが宿泊した歴史的な場所であった。閉館直前、ビートルズ見学ツアーが実施され私も参加してきたが、彼らが泊まったプレジデンタルスイートや記者会見を行った宴会場などを見学でき、感無量だった。ボウイやクラプトンも定宿にしていた。また、コーヒーハウス「オリガミ」のナシゴレンやパーコー麵も絶品だったが、現在の『オリガミ』でも同じメニューを食べることができる。日本料理「源氏」もおごそかな雰囲気のいいレストランだった。

閉館直前のビートルズ見学ツアーにて。
閉館直前のビートルズ見学ツアーにて。

2008年11月 「新宿プラザ劇場」

国内で唯一『スター・ウォーズ』1~6全てを上映

1969年オープン、東宝洋画系、特に大作を中心のロードショー館として人気も高かったが、2008年に閉館した。広く綺麗で観やすく、高校時代『パピヨン』を観て以来、『インディ・ジョーンズ』『未知との遭遇』『‘007』など多くの映画をここで観た。「新宿ミラノ」と並んで最も好きな映画館だった。『スター・ウォーズ』のエピソード1から6まで全てを上映した国内唯一の映画館でもある。ラスト1週間は、「新宿プラザ劇場ラストショー」と題して名作を上映。最後は、同館史上最高の収益を上げた『タイタニック』を上映して満員の観客が別れを惜しんだ。現在は同場所に建てられた新宿東宝ビル内の『TOHOシネマズ新宿』に生まれ変わっている。

2008年12月 「新宿コマ劇場」「新宿コマ東宝」「シアターアプル」

歌舞伎町のシンボル、そして演歌の殿堂

歌舞伎町のシンボルであり、“演歌の殿堂”でもあった「新宿コマ劇場」が、2008年12月31日の「年忘れにっぽんの歌」の生放送を最後に幕を下ろした。1956年オープン、円形劇場と回り舞台が特徴で、サブちゃんの公演では、船や祭りの山車が回転するステージが圧巻。楽屋の螺旋階段と、狭い通路も印象的だった。地下のコマ東宝では、金田一シリーズやゴジラなど東宝映画を数々観たし、シアターアプルでは、関根勤のカンコンキンシアターなどの舞台を楽しんだ。現在この地は、新宿東宝ビルとして、『TOHOシネマズ新宿』と、『ホテルグレイスリー』が入り、歌舞伎町の景観は大きく変わった。

2009年5月 「新宿ジョイシネマ」

1947年開館の「新宿地球座」が前身。1958年、「地球会館」完成と共に移り、その後「新宿ジョイシネマ」と改称、最大時は付近のビル内も含めて5館になった。ミラノやプラザよりややB級で男性向けの映画が多く、週末の深夜などよく利用させてもらった。2009年5月に全て閉館し、「地球会館」は大幅改修して1階はライブハウス、上はホテルになった。

2009年9月 日野市「多摩テック」

他の施設とは一線を画すライド型アトラクション中心の遊園地

ホンダ系企業が運営し、モータースポーツをテーマにした遊園地として人気を博したが、2009年9月に営業を終了した。1962年、多摩動物公園近くの丘陵にオープン、ゴーカートやミニバイクなど、自分で運転するライド型のアトラクション中心で、他の遊園地とは一線を画していた。緑と自然に囲まれ、のびのび遊べる遊園地で、小学生の頃遠足でも行ったが、一日中夢中で遊んだことが思い出される。97年には温泉施設、クアガーデンもでき、日帰り温泉施設の先駆けでもあった。ディズニーランドなどに押され、姿を消してしまったが、失くすには惜しいユニークな遊園地だった。跡地は今もそのままで廃墟となり、タヌキの棲家となっているらしい。

2009年11月 「新宿アカデミー」「グランドオデヲン」「オデヲン」「オスカー」

毎日オールナイトで上映していた

1951年、歌舞伎町で「新宿オデオン座」としてオープン、75年に第一東亜会館で新装営業し、その後4館に拡大、洋画ロードショー中心に営業した。毎日オールナイト営業をしていて、酔っぱらいや、ここをねぐらのオヤジがよく椅子で寝ていた。ここで『セブン』を観て、後味が悪く気分が悪くなったのを思い出す。2009年、第一東亜会館の老朽化に伴い全館閉館、これでこの1年の間に歌舞伎町から10館の映画館が消滅してしまった。現在この場所は、アパホテル新宿歌舞伎町タワーになっている。

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「東京さよならアルバム」シリーズ

日々、街の表情が大きく変化する東京。2006年、私はふと思い立って、消えていく風景を写真に納めることにしました。「消えたものはもう戻らない。みんながこれを見て懐かしく感じてくれたらうれしいな」とそれぐらいの気持ちで始めた趣味でした。でもここ数年、街の変化のスピードは加速度的に高くなっています。戦後75年、高度成長からも50年経って、老朽化に伴う閉鎖、また東京オリパラに向けての再開発が進んだのも要因の一つ。特に渋谷、銀座地区の変貌は目をみはるものがあります。そんな気運を受けて、短期連載「東京さよならアルバム」を始めさせていただくことになりました。今回はその第1弾、閉鎖の”ピーク”ともいえる2014年上期に消えた風景たちです。素人写真ですが、あの時代を懐かしく思い出してもらえれば幸いです。写真・文=齋藤 薫
日々、街の表情が大きく変化する東京。2006年、私はふと思い立って、消えていく風景を写真に納めることにしました。「消えたものはもう戻らない。みんながこれを見て懐かしく感じてくれたらうれしいな」とそれぐらいの気持ちで始めた趣味でした。そんな、東京から消えていった風景を集めた短期連載「東京さよならアルバム」。今回はその第二弾として、引き続き閉館の“ピーク”であった2014年下期に消えていった風景を紹介します。写真・文=齋藤 薫
日々、街の表情が大きく変化する東京。2006年、私はふと思い立って、消えていく風景を写真に納めることにしました。「消えたものはもう戻らない。みんながこれを見て懐かしく感じてくれたらうれしいな」とそれぐらいの気持ちで始めた趣味でした。そんな、東京から消えていった風景を集めた短期連載「東京さよならアルバム」。今回はその第三弾として、2015年上半期に消えていった風景を紹介します。 写真・文=齋藤 薫
日々、街の表情が大きく変化する東京。2006年、私はふと思い立って、消えていく風景を写真に納めることにしました。「消えたものはもう戻らない。みんながこれを見て懐かしく感じてくれたらうれしいな」とそれぐらいの気持ちで始めた趣味でした。そんな、東京から消えていった風景を集めた短期連載「東京さよならアルバム」。今回はその第四弾として、2015年下半期に消えていった風景を紹介します。 写真・文=齋藤 薫