施設の記事一覧

601〜620件(全1192件)
noimage
「山手七福神」の目黒・蟠龍寺で極楽浄土の優しさに包まれる〜お寺でひとやすみ!
今回伺った浄土宗のお寺、目黒・蟠龍寺(ばんりゅうじ)さんは、伎藝の神様である辯才天を祀っているということで、ミュージシャンなどの表現者との親和性の高いお寺です。お話をお聞きした副住職の吉田龍雄さんご自身も学生時代バンド活動をされ、ベーシストとして音楽の道を考えていたこともあったとか。取材のお約束をライター病欠のため2回も延期していただいたにも関わらず、温かく迎えていただき、思わず落涙するところからインタビューがスタート。そんな優しさあふれる吉田さんに、たくさんの見どころと、浄土宗の教えについてたっぷりお聞かせいただきました!
noimage
鎌倉幕府の礎を築いた真の実力者。三浦義村を輩出した三浦一族の足跡を辿る
前々から鎌倉時代に興味を持っていた人でなければ、今回の大河ドラマ登場人物はほとんど知らなかった、という人は少なくないだろう。今や物語には欠かせない存在と言える、三浦義村もそのひとり。騒乱や陰謀の影に義村あり、といっても過言ではないくせ者に描かれている。今回はそんな義村と、三浦一族の足跡を訪ねてみたい。
noimage
東京駅からはじまる「江戸へタイムスリップ!江戸ツアー」~さんサポの散歩コース実踏①~
「さんサポから散歩コースを募集して、編集部が実際に歩いてみるのはどうでしょう?」すべての始まりは、さんたつ編集部のブレーン・シラタキのこのひと言だった。さんたつ3周年という節目のタイミングで、さんたつ公式サポーターと何かできないだろうか……。そんな話し合いをしている中で、「散歩コース実踏」企画は生まれた。とっておきの散歩コースをお寄せくださったさんサポのみなさん、ありがとうございました!今回は、サポーターネーム・えりさままさん考案の「江戸へタイムスリップ!江戸ツアー」実踏の模様をお届けします。文=阿部修作(さんたつ編集部) 
noimage
【週末民話研究】神田川・面影橋に伝わる悲話と山吹の里の碑
都営荒川線・面影橋停留場のそばを流れる神田川には、「面影橋(おもかげばし)」という停留場名と同じ名前の橋があります。面影橋は承応年間(1652〜1655年)の神田上水工事の際にかけられたといわれ、ここから下流の江戸川橋までの一帯は「山吹の里」と言い、江戸時代には蛍の名所として知られていたそうです。名前からどこか儚い印象を受けるこの面影橋には、この地に住まう武士の娘・於戸姫(おとひめ)の悲しい言い伝えが残っています。
noimage
群馬県昭和村~名だたる山々が見守る“やさい王国”の恵みに敬服~
上毛(じょうもう)三山の1つ赤城山。その西北麓に扇状に広がるのが昭和村だ。片品(かたしな)川や利根川が生んだ河岸段丘界隈に行政機能や寺社などが集まる一方、高原地帯の傾斜地ではどこまでも畑が広がる。“やさい王国”“首都圏の台所”といったキャッチフレーズがよく似合う光景といえるだろう。反面、現地で目に留まったのが灌漑(かんがい)用水の完成を祝う記念碑の多さだ。第二次大戦後に開拓が始まった地域の大半では水不足に悩まされ、苦難の末、“やさい王国”の基盤を固めた。自然と人の力が育んだ「日本で最も美しい村」に身を置くと、先人の労苦に頭が下がる思いである。
noimage
首都圏お笑い劇場案内~「笑い」は「現場」で起きているのだ!~ 〔第四幕〕大宮ラクーンよしもと劇場×すゑひろがりず
お笑い劇場と芸人と街。その三者の素敵な関係を、そこで活躍する芸人自身の言葉から紐解(ひもと)く連載の第四幕。『大宮ラクーンよしもと劇場』を案内してくれるのは2019年M-1決勝進出、今や全国区の人気芸人となったすゑひろがりず。おもちゃ箱のようににぎやかな大宮ラクーンビルのエスカレーターを上がった先に、和服の2人はいた。
noimage
阿佐ケ谷さんぽ~緑豊かな庶民派タウンにじわじわ広がる面白さ~
個性の強い中央線の中では、ややキャラが弱めな阿佐ケ谷だけど、ケヤキ並木ののんびりとした雰囲気に包まれているからか、街で出合った人々は、ガツガツし過ぎずゆるゆるとマイペースに、好きなことや生活を謳歌(おうか)していた。さらに新たな人の流れが加わって、また一段と居心地のいい街へと進化しているのだ。
noimage
非業の死を遂げた三代将軍・源実朝。その歌人としての才を偲ぶ、鎌倉歌碑巡り
源頼朝の跡を継ぎ2代鎌倉殿となった頼家は建仁3年(1203)、比企の変に関連して将軍職を追われてしまう。その後、弟の実朝がわずか12歳で3代鎌倉殿の地位に就いた。まだ幼かった頃は、実際の政治は北条氏を筆頭に、重臣たちが執り行っていた。しかし長ずるにつれ政治に関与することも増えてゆき、それとともに官位も高くなっていく。実朝は歌人として優れた才能を発揮し、92首が勅撰和歌集に選ばれたほどの名人であった。本来ならば武家の棟梁は兄に務めてもらい、自らは文化人として生きることを望んでいたのかも知れない。今回は鎌倉に建立された実朝歌碑を訪ね、その才に触れてみたい。
noimage
『中野ブロードウェイ物語』の著者と歩く 住民目線のブロードウェイ案内
サブカルの聖地としての色が強い『中野ブロードウェイ』だが、それはここ20~30年の話。56年の歴史ある館内には未知の名所がある。今回は、『中野ブロードウェイ』在住の作家・長谷川晶一さんに、住民目線で館内を案内してもらった。
noimage
『中野サンプラザ』という金字塔。働く若人と地域の“太陽”だった半世紀
2023年6月1日に開業50周年を迎える喜ばしいニュースがある一方で、その翌月には残念ながら閉館が決まってしまった『中野サンプラザ』。今もなお異彩を放つ複合施設の殿堂は、いかに生まれ、歩んできたのだろうか。
noimage
【週末民話研究】悪行に手を染めた商人が辿った人生「中野長者伝説」
中野区には「中野長者伝説」という伝説が残り、語り継がれています。主人公は「中野長者」と呼ばれた商人・鈴木九郎という、室町時代に実在した人物。このお話のどこまでが本当のことで、どこまでが本当のことではないのか……。今回は境界線が曖昧になる不思議な感覚を味わいながら、中野長者・鈴木九郎ゆかりの地を歩いてみることにしましょう。
noimage
大村湾ののどかな海に点在する旧海軍の遺構 片島魚雷発射試験場跡その2
前回は射場とポンプ所を中心に巡りました。後編は小山の頂上にある観測所を訪れます。観測所は射場でセットされたテスト魚雷を観測する場所で、発射指示を出して魚雷が発射されると、大村湾の沖合に1000m間隔で設置されたブイを目印にして、そこを通過する魚雷の速度(雷速)を測定したり、雷跡の状態を確認したりと、高所の位置を活かした観測をおこなっていました。
noimage
城から飛び出し市内を散策!名古屋さんぽに参ろうぞ~名古屋おもてなし武将隊・前田利家が語る!
前田利家と行く名古屋旅、後編開幕である!!此度は名古屋城を飛び出し、名古屋の街に繰り出そうではないか!名古屋そして愛知県は工業の街。然れど織田信長様、豊臣秀吉、徳川家康殿からなる戦国三英傑をはじめ、数多の猛将を輩出した場所である。即ち戦国時代の文化に触れるにも誂(あつら)え向きであると言える。故に此度は歴史の趣と現世の華やかさの二刀流で名古屋を紹介致そうではないか!では前田利家と行く名古屋旅後編へといざ参らん!!
noimage
都電文学ジャーニー
観光地を巡るでもない、地味な路線と言ってしまえばそれまでだ。しかし荒川線は、華の大東京に残された最後の都電。郷愁、下町、人間模様。そういったニオイが文学的な何かを呼び寄せるのかもしれない。
noimage
京都の文化を体験しよう。祇園・三条・東寺、3つの星野リゾートOMO(おも)ブランドへ!
2021年に星野リゾートの都市ホテルブランドOMO(おも)が、京都に3つ、一気に開いた。『OMO5京都祇園』では華やかな花街の芸術・文化にどっぷり浸り、『OMO5京都三条』では高瀬川沿いの街歩きを堪能。『OMO3京都東寺』では、平安京の遺構として唯一残る世界遺産、東寺を前に心休めて癒やされたい! 3つの施設をまるっと連泊してみよう。
noimage
大村湾ののどかな海に点在する旧海軍の遺構。片島魚雷発射試験場跡その1
2022年9月23日、西九州新幹線が開業しました。撮影のため私も九州入りし、せっかくだから廃なるものも見てみようと、新幹線の沿線から近い場所をリサーチしていました。大村湾のネット地図を見ていると川棚町に「片島魚雷発射試験場跡」という文字を発見。関連写真には、海に浮かぶコンクリートの建物。「探信儀領収試験場」という施設です。むむ……。この写真は見たことある。ああ、そうだ。いつか行きたいと思っていた場所だ。
noimage
【東京ひとりさんぽ】大泉学園~23区なのにグリーンツーリズム~
池袋から西武池袋線準急でたった13分。都心から意外と近いのに、駅からちょっと足を延ばせば、野菜、ブドウ、ブルーベリー、都内唯一の牧場まで、のどかな自然の宝庫。遠くまで旅に来たような開放感に浸れます。
noimage
茨城県常陸大宮市~森林と農地が交錯し、清流が彩りを添える~
栃木県に接し、八溝(やみぞ)山地の東麓に位置する茨城県北西部の常陸(ひたち)大宮市。2004年、大宮町・山方(やまがた)町・美和(みわ)村・緒川(おがわ)村・御前山(ごぜんやま)村の5町村が合併し、新たな市としてスタートを切った経緯もあり、県内の自治体では2番目に広い面積を有するという。たしかに市内の隣接地域へ足を運ぶ際、山あいを縫うように進み、いくつもの起伏を越えて、ようやくたどり着くことも少なくない。地域それぞれが異なる表情を見せ、さらに一級河川の久慈川・那珂(なか)川が彩りを添える市内を縦横無尽に巡ると、あたかも複数の市町村をハシゴしたようで、その分達成感も大きい。
noimage
首都圏お笑い劇場案内 ~「笑い」は「現場」で起きているのだ!~ 〔第三幕〕 神保町よしもと漫才劇場 × オダウエダ
お笑い劇場と芸人と街。その三者の素敵な関係をそこで活躍する芸人自身の言葉から紐解く連載の第三幕。『神保町よしもと漫才劇場』を案内してくれるのは2021年「女芸人No.1決定戦 THE W」王者に輝いたオダウエダ。元ヤンキー小田と元お嬢様植田が織りなす不可思議な世界は、文化あふれる本の街、神保町で形作られた。
noimage
黎明期から力を合わせ歩んだ和田義盛。その力を恐れた北条義時の挑発で和田合戦が勃発す
源頼朝が亡くなった後、鎌倉で実質的に政治を仕切っていたのは北条時政であった。時政が執権となり、政治を動かすようになって以来、有力御家人であった梶原景時、比企能員、畠山重忠らが滅ぼされ、権力は一気に北条氏へと集まった。ところが元久2年(1205)閏7月、江間義時が父の時政を伊豆に追放し、北条家を継承する。義時が北条姓を使いだしたのは、これ以後であった。これにより義時が北条家の正当な後継者だということを、内外にアピールしたのである。義時が権力を継承した後、北条氏に目をつけられた有力御家人が、大河ドラマ内では“癒し系”の武将として描かれている、和田義盛であった。義盛は頼朝の挙兵以来、ほとんどの戦いに参加し、多大な功績を挙げている。彼はなぜ義時に狙われてしまったのか。その背景を考えつつ、義盛ゆかりの地を辿ってみたい。
PAGE TOP トップへ PAGE TOP 目次へ