記憶の中だけに残る南長崎「第一マーケット」
幼い私が母や祖母に連れられて通ったのは、南長崎の「第一マーケット」であった。家の目と鼻の先にはスーパーがあり、10分以上も歩く第一マーケットとどのように使い分けをしていたのか、母も祖母も亡き今となっては確かめようもない。
私自身の第一マーケットの記憶も、入り口におもちゃ屋さんがあったけれど滅多に買ってもらえなかったことだとか、八百屋さんがお菓子をおまけにくれたことだとか、断片的なものでしかない。私自身、中学生になる頃には第一マーケットからすっかり足も遠のき、気が付けば取り壊されて現在は別の建物が立っている。
最近になってこの界隈は「トキワ荘ゆかりの地」として注目を集め、第一マーケットも「寺田ヒロオが特売日にコロッケやメンチカツを買った場所」として豊島区ホームページにまで紹介されるようになった。
しかし私の記憶の中の第一マーケットは、薄暗い店内に数件の店舗がひしめき合う“普通のマーケット”であった。普通というより、私のマーケットの原風景とも言うべきか。
私が考える「マーケット」の定義について
あの時から長い月日が経った。郊外には大型商業施設が立ち、ネット通販もすっかり生活に浸透した今この時代に、各地のマーケットはどうなっているのだろうか。
ここで、私が考えるマーケットの定義をしてみたい。
個人商店の集合体ではあるが、商店街とは少し違う。マーケットは屋根が付いている。いや、屋根が付いている、ということだけではアーケード商店街との区別がつきにくい。また古くからのアーケード街も趣深いものではあるのだが、マーケットは「一つの建物の中にテナントが出店している」「マーケット内の通路がコの字になっている、もしくは通り抜けできるような直線の通路であってもアーケードほど長さがない」という感じだろうか。余計ややこしくなってしまったが、心に響くマーケットを巡ってみたい。
下北沢、恵比寿、武蔵小山の元気なマーケット
マーケットの中には、昔と変わらず活況を保っているところがある。たとえば下高井戸駅前の「下高井戸駅前市場」や、恵比寿駅前の「えびすストア」などは、多くの店舗が軒を連ね、ひっきりなしにお客さんが訪れている。これは駅前という立地条件の良さが影響しているのだろうか。
駅から離れていてもにぎわいを見せているマーケットもある。
武蔵小山の「二葉フードセンター」には青果店や花屋、魚屋、総菜店などが入り、私もただ見ているだけのつもりが、店を出る時にはラディッシュやら万願寺とうがらしやらで買い物袋が一杯になっていた。しかしこの二葉屋青果店は2021年の2月末で閉店するという貼り紙が店内にあった。その後の二葉フードセンターがどうなるのか気がかりである。
深大寺、川崎、ひばりが丘の消えゆくマーケット
一方で、以前はお客さんでごった返していたであろうマーケットが、ほぼ空き店舗になってしまっているケースもある。
深大寺近くにある「あいだショッピングセンター」は閉業してしまったし、川崎・小向にある「小向日用品売場」も私が訪れた時にはシャッターが閉まった状態であった。
前述の第一マーケット近くにある「味楽百貨店」、ひばりが丘にある「ひばりが丘ショッピングセンター」は、1店舗のみが営業を続けている状態だ。
変わる野方と、変わらない小向のマーケット
この先、恐らく昭和時代のマーケットはどんどん数が少なくなっていくのだろう。
こうしたマーケットが存続していく方法として、「変わること」と「変わらないこと」という対極にある方向性が挙げられると思う。「変わる」例として、たとえば野方にある「野方文化マーケット」では、マーケット開業当初の店舗は既に多くが閉店しているものの、空き店舗に雑貨屋や駄民具店など個性的な店が入り、2020年7月には新しくおでん割烹の店もオープンした。
一方「変わらない」例としては、小向の「小向マーケット」が挙げられる。総菜店や豆腐店など数店舗のみの営業となっている小向マーケットではあるが、開業当初の雰囲気がそのままに残されており、まるで映画のセットを見ているようでもある。
マーケットで買い物をする暮らし、というのは今となっては何だかとても贅沢だ。お気に入りの買い物かごを携えて、今後もマーケットに買い物に出かけたい。
絵・文・撮影=オギリマサホ