喫茶店が応接間代わり。生活味のある街だった
「神保町の風景が一変したのは、何と言ってもこの高層ビルが大きいですよね。それまでは戦後の雰囲気も残っていたんです」。こう話すのは、すずらん通りで営む『揚子江菜館』の4代目・沈松偉さん。2000年から始まった神保町1丁目南部地区の再開発で、12階建て、23階建て、29階建ての3棟による「ジェイシティ東京」が完成したのは2003年のこと。以前そこにあったのは、数多くの本の取次店。小さな出版社や印刷工場、古書店なども軒を連ねていたという。
「そういう会社やお店は住居兼でしたから住民がたくさんいた。土日も子供が遊んでいて、生活味のある街でしたね」と沈さん。
「小さな取次屋さんは本もいっぱいでお客さまを通す応接間もないから、よくうちの店に来てお仕事の話をなさっていました。1日に2~3度来るお客さまもいましたよ」。そう教えてくれたのは、神保町現存最古の喫茶店といわれる『茶房きゃんどる』の6代目・福山さん。神保町といえば喫茶店だが、当時は今以上に商談の場として重宝されたのだ。戦後再建した築52年の「きゃんどる」の店舗は地区の再開発でなくなるが、高層ビルの一角で静かに灯り続けている。
「神保町ってどこ?」が大多数だった街の知名度
また、変わったのは知名度も。「30年前、神保町は明らかに本屋の街。それが最近はカレーの街としても知られるでしょ。私が若い頃は、住む場所を聞かれるのが嫌でね。反応の大多数が『神保町? どこ?』でしたから。でも、今はそんなことないですもんね」と、洋古書専門の『北澤書店』の北澤一郎さんは言う。
「20年くらい前も知名度はまだまだで、三省堂書店に行きたいお客さまから『神田駅からどう行けば?』と問い合わせを受けたり、イベントの登壇者が誤って神田駅で降りて開始時間に間に合わなかったり。そんなこともあり、神保町の名を広めようと2007年に『神田本店』から『神保町本店』に名称を変えました」とは、『三省堂書店 神田神保町本店』の店長・杉本佳文さん。
世界で最もクールな街1位にランクイン!
気づけば神保町はメディアで広く取り上げられるようになり、今や全国区。外国人観光客も増え、2025年には『タイムアウト』(ロンドン発のグローバルメディア)の「世界で最もクールな街」の1位になんとランクイン!
「洋古書を求める外国の方は増えましたね。ご自分の国にあるでしょうと思うけど、外国では書店が減っていて、商品としてこんなに本が並ぶ光景は珍しいそうです」と北澤さん。世界から本を目当てにやって来る。これは誇らしい神保町の価値だろう。
古書店数は、40年ほど前と比べると若干減少したものの現在約130軒。これに新刊書店などが加わるのだから、昨今の活字離れが叫ばれるデジタル時代にあっても頼もしい数だ。
そして、直近の出来事といえば、神保町のランドマーク、『三省堂書店』の4年に及ぶ建て替え工事の終了とリニューアルオープン。店舗名は再び変更し、正式な町名である「神田神保町」が採用された。
「仮店舗は神田小川町にありましたし、道を挟んだ向こうは神保町ではないので、もっと広い地域で集客をしていきたい。神保町内外と手をつないで街を盛り上げていきたいと考えて決めました」と杉本さん。思いが込められた名称は、その時期ごとの街の見え方も反映されているような気がする。
探究もひまつぶしも受け止める、確固たる知の集積地・神保町。都心に奇跡的に生き続ける唯一無二のサンクチュアリを、私たちは死守しなければならない。
クラシカルな店内に広がる洋古書の海『北澤書店』
明治35年(1902)に大学図書館や研究室への納本を始め、1955年から洋書専門、さらに2005年より英語圏の洋古書が中心に。築43年の荘厳なビル2階のワンフロアに集まるのは人文科学系全般。近年は、日本に関する洋書“ブックス オン ジャパン”に力を入れる。
神保町現存最古、静寂の喫茶空間『茶房きゃんどる』
昭和8年(1933)から代々親族が引き継ぎ、2015年からは初代の姪に当たる福山さんと息子さんが店の主。BGMのない静寂さ、小ぶりのイスとテーブル、暖炉など、1999年まであった旧店舗の名残もそこここに。ハンドドリップのコーヒーのほか、菓子付きの日本茶、トーストなどもある。
創業120年の上海料理店が守る味『揚子江菜館』
上海に隣接する港町・寧波出身の初代が西神田で明治39年(1906)に創業。当時神田に多くいた中国人留学生の食を支える料理店の一つで、関東大震災を経て現在地に移転した。創業時からほぼ変わらない名物の上海炒麺は、シンプルながら後引く味わいでファン多し。
歩けば歩くほど、広がる世界を堪能『三省堂書店 神田神保町本店』
明治14年(1881)、古書店として創業した大型総合書店。1981年築のビルから生まれ変わった店舗は全4フロア、売り場面積690 坪。各階で棚の配置が異なり、本を見わたせる“渓谷”、本に囲まれる“洞窟”などのランドスケープや仕掛けが楽しく、本との出合いを求めて回遊せずにはいられない。
神保町のこれまで
1972年6月
都営6号線(現 都営地下鉄三田線)神保町駅 開業
1978年1月
「神田古書センタービル」竣工
1980年3月
都営10号線新宿線神保町駅 開業(乗換駅化)
1989年1月
営団地下鉄11号線半蔵門線神保町駅 開業
2003年3月
『ジェイシティ東京』完成
2007年7月
『神保町シアター』開館
2011年10月
「第1回神田カレーグランプリ2011」開催
2022年5月
『三省堂書店 神保町本店』一時閉店
ポッドキャスト番組『散歩の達人のよりみちラジオ』配信!
“散歩者のためのポッドキャスト番組”として、『散歩の達人のよりみちラジオ』を配信! リニューアルオープンした『三省堂書店 神田神保町本店』店内を散歩します!
取材・文=下里康子 撮影=加藤熊三
『散歩の達人』2026年4月号より







