ダイヤモンド富士
ありがたみ倍増!富士の頂からの初日の出
富士山西側の南北35度以内で見られるダイヤモンド富士の日の出。「日出づる里」と呼ばれる町内髙下(たかおり)地区は人気の観測スポット。「多くの富士の名所を訪ねたが、こんなに立派な富士は初めて仰いだ」と感嘆し、富士山、ユズ、住民の心の清らかさの3つが美しいと語った高村光太郎の文学碑のあたりで。
●見学自由。ダイヤモンド富士を望めるのは年末年始の約2週間(ベストは冬至の12月22日ごろ)。山梨県富士川町髙下 ☎0556-22-7202(富士川町産業振興課)
太鼓堂
擬洋館にシャチホコ!それも1体だけ!
明治9年(1876)に舂米(つきよね)学校として建てられた校舎を利用する町の民俗資料館。シャチホコが1つ載った儀洋風の建物は、山梨に現存する6棟の藤村式学校建築の一つ。寺子屋時代からの教科書や備品、証書などのほか、厳しい時代をくぐり抜けた青い目の人形も展示
酒蔵ギャラリー六斎
与謝野晶子ゆかりの酒蔵で、利き酒とアートを楽しむ
寛政2年(1790)創業の萬屋醸造 それも1体だけ!!店が醸造蔵を利用、利き酒をしながら展示が楽しめる。親交があった与謝野鉄幹・晶子夫妻が宿泊した際に晶子が詠んだ句から、酒銘を現在の「春鶯囀(しゅんのうてん)」に改めた。地域で活動する作家の個展が定期的に開かれ、カフェも併設。
駿州往還(すんしゅうおうかん)
山梨と静岡を結んだ物流と信仰の道
「甲斐九筋(かいくすじ)」と呼ばれる山梨の古道の一つで正式には「甲州往還」。現在の国道52号とほぼ同じルートで、おもに富士川に沿って切り開かれた。戦国時代に武田信玄によって重要な軍道として整備された。江戸時代には舟運とともに物流に欠かせない道となった。「河内路(かわうちじ)」の名もあり、身延山久遠寺の参拝客でにぎわったので「身延路(みのぶみち)」と呼ばれることも多かった。
富士川舟運
「下げ米」「上げ塩」で物流を支えた高瀬舟
慶長12年(1607)角倉了以(すみのくらりょうい)により航路が開削され始まった舟運。鰍沢はその拠点だった。静岡へは甲州や信州の年貢米や穀物、生糸、木炭などが運ばれ、返り荷に塩や魚、瀬戸物、畳表などが積まれた。最盛期を迎えた頃の明治22年(1889)に東海道線、同36年(1903)に中央線が開通。みるみる舟運は衰退し、昭和3年(1928)の身延線開通が止めを刺した。河岸そばの丘に竜神の化身とされた七面大明神を祀る七面堂があり舟方の信仰を偲べる。
望月百合子記念館
20世紀を自由に生き抜いた女性
女性解放運動家、文芸評論家、翻訳家、歌人として活躍した望月百合子(1900~2001)は東京生まれ・旧鰍沢町育ち。「すべての女性の幸福と人間としての平等、平和な世界」の実現を理念とした生涯を振り返りたい。
小原屋原田商店
ガソリンスタンドの奥に立つ貴重な歴史の宝庫
塩を「かじかざわ」と呼ぶ地方があるほど商圏が大きかった鰍沢の町で弘化元年(1844)に創業。舟運で運ばれた塩や植物油、ロウソクなどを商った。明治14年(1881)に石油を商い始め、昭和初期には山梨県初の地下タンクを導入。江戸安政年間築の店蔵や塩蔵、油蔵など見応えがある。