埼玉県立嵐山史跡の博物館&菅谷館跡
重忠ロボットに迎えられ 中世の世界へ、いざ
菅谷館三ノ郭跡にある博物館は、畠山重忠をはじめ中世に群雄割拠した比企(ひき)地方の武士や城郭がよくわかる。菅谷館は長年彼の居館跡といわれてきたが、彼の時代の遺構は未確認。現在の館跡の遺構は戦国時代に山内上杉氏が築いたもの。本郭を取り囲むように4つの郭が囲い、南は都幾川の断崖、東西は自然の谷を生かした深い堀で防御はかなり強い。
比企城館跡群(ひきじょうかんあとぐん)
往時を偲べる貴重な中世城郭をめぐる
嵐山町のある比企地域には69カ所の城館跡が点在している。関東を代表する中世城館の遺跡群は「城郭の博物館」とも。国史跡の4城のうち、町内にある菅谷館跡と杉山城跡、隣町の小倉城跡はぜひ訪ねたい。よくも造ったものだと感心し、攻守両サイドから妄想を膨らませよう。まあ千葉真一率いる戦国自衛隊なら3日もあればすべて制圧できそうだが。
安岡正篤記念館
戦前戦後の日本で各界に影響を与えた
東洋思想の研究と後進の育成に努め、実践的人物学を説いた安岡正篤(1898 〜1983)。歴代総理大臣の指南役でもあった人物で、終戦の詔勅を刪修(さんしゅう)したり、一説では元号「平成」の考案者でもあるという。安岡が昭和初期に開いた日本農士学校の跡地に立つ記念館で、豊富な資料から足跡を偲べる。
源義賢の墓&大蔵館跡
秩父氏の家督争い&源氏の同族争いの現場
源義賢(みなもとのよしかた・生年不詳〜1155)は源氏の棟梁、源為義の次男で木曽義仲の父親。仁平3年(1153)に秩父重隆(生年不詳〜1155)の娘をめとり大蔵館に居を構えた。当時武蔵国で最大勢力だった名族秩父氏と結んだ義賢を恐れた兄の義朝は、子の義平に館を襲わせて義賢と重隆を討つ。このとき駒王丸(木曽義仲[1154 〜1184])は木曽へ逃れた。大蔵神社付近が館跡だが堀と土塁は戦国時代のもの。近くの大行院に夥おびただしい数の供養碑が立つ。
●見学自由。埼玉県嵐山町大蔵