埼玉県立嵐山史跡の博物館&菅谷館跡

重忠ロボットに迎えられ 中世の世界へ、いざ

本郭と二ノ郭を隔てる深い空堀。

菅谷館三ノ郭跡にある博物館は、畠山重忠をはじめ中世に群雄割拠した比企(ひき)地方の武士や城郭がよくわかる。菅谷館は長年彼の居館跡といわれてきたが、彼の時代の遺構は未確認。現在の館跡の遺構は戦国時代に山内上杉氏が築いたもの。本郭を取り囲むように4つの郭が囲い、南は都幾川の断崖、東西は自然の谷を生かした深い堀で防御はかなり強い。

埼玉県内の多くの小学校が歴史教育で訪れる。ロビーには近隣の城跡を説明するパネルがある。探訪前にぜひチェックを。
城郭マニアならずとも注目の御城印200円。
住所:埼玉県嵐山町菅谷757/営業時間:9:00〜16:30(入館は〜16:00)/定休日:月(不定休あり)

比企城館跡群(ひきじょうかんあとぐん)

往時を偲べる貴重な中世城郭をめぐる

小倉城跡は屈曲する槻川に張り出す自然の要害。石垣がめずらしい。

嵐山町のある比企地域には69カ所の城館跡が点在している。関東を代表する中世城館の遺跡群は「城郭の博物館」とも。国史跡の4城のうち、町内にある菅谷館跡と杉山城跡、隣町の小倉城跡はぜひ訪ねたい。よくも造ったものだと感心し、攻守両サイドから妄想を膨らませよう。まあ千葉真一率いる戦国自衛隊なら3日もあればすべて制圧できそうだが。

戦国の乱世を見てきた槻川河畔の遠山甌穴(おうけつ)。対岸の丘陵が小倉城跡。
畠山重忠公
畠山重忠(1164 〜1205)は源頼朝を支えた鎌倉幕府の有力御家人。現在の深谷市に生まれ、嵐山町菅谷に館を構えた。文武両道に優れ、清廉潔白で人望厚い「坂東武士の鑑」。ちなみに2022年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の主人公北条義時は重忠と因縁浅からぬ仲。嵐山イチ押しの大河ヒーローは木曽義仲だが、名将重忠も相当な逸材。源平合戦の活躍、とくに一ノ谷の戦いで馬を背負って崖を駆け下りたエピソードを大河で観てみたい。

安岡正篤記念館

戦前戦後の日本で各界に影響を与えた

著作や揮毫(きごう)、政財界の要人との書簡、復元された書斎などを展示。

東洋思想の研究と後進の育成に努め、実践的人物学を説いた安岡正篤(1898 〜1983)。歴代総理大臣の指南役でもあった人物で、終戦の詔勅を刪修(さんしゅう)したり、一説では元号「平成」の考案者でもあるという。安岡が昭和初期に開いた日本農士学校の跡地に立つ記念館で、豊富な資料から足跡を偲べる。

住所:埼玉県嵐山町菅谷671/営業時間:9:00~17:00/定休日:月

源義賢の墓&大蔵館跡

秩父氏の家督争い&源氏の同族争いの現場

大蔵神社。近年付近の発掘調査で義賢時代らしき遺構が見つかった。

源義賢(みなもとのよしかた・生年不詳〜1155)は源氏の棟梁、源為義の次男で木曽義仲の父親。仁平3年(1153)に秩父重隆(生年不詳〜1155)の娘をめとり大蔵館に居を構えた。当時武蔵国で最大勢力だった名族秩父氏と結んだ義賢を恐れた兄の義朝は、子の義平に館を襲わせて義賢と重隆を討つ。このとき駒王丸(木曽義仲[1154 〜1184])は木曽へ逃れた。大蔵神社付近が館跡だが堀と土塁は戦国時代のもの。近くの大行院に夥おびただしい数の供養碑が立つ。
●見学自由。埼玉県嵐山町大蔵

源義賢の墓(供養塔)。平安末期の五輪塔で埼玉県内では最古級。