吉田類 Yoshida Rui

高知県出身。イラストレーター、エッセイスト、俳人。絵画や焼き物など創作活動は多岐にわたる。著書に『東京立ち飲みクローリング』(交通新聞社)、『酒場詩人の美学』(中央公論新社)など。NHK「ラジオ深夜便」に出演中。登山家にして愛猫家。

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パリで“ランウェイ”、してました。

──類さんのお生まれは?

高知の山奥なんですよ。仁淀川っていう清流の上流域。日本のチベットって言われてる(笑)。そんな田舎ですが、画家の先生がいたり、詩人が家に逗留(とうりゅう)しに来たり、面白い村でね。どこかヨーロッパの風が吹いていました。恩師である画家の先生は、 とにかく「個性」というものを大事にしていて、僕は徹底して「模倣するな。唯一無二たれ」 という教えを受けました。

──なるほど、そんな幼少期もあって、ヨーロッパへ?

そうです。20代の時にパリへ。一応大学の第二外国語はフランス語なんだけど、いざ到着すると一言も出てこなくてねえ。電車の乗り方もわからない。女子高生グループになんとか声をかけ、目的地の住所を見せると、「一人で行くのは無理」というようなことを言う。どうしたものかと思ってたら、一番美しい子が、「おいで!」と突然僕の手を引いて電車に乗せてくれまして。みんなに冷やかされぽっと頬を赤らめる顔がも〜かわいくて。「なんていい国なんだ!」って。それが始まりだから、外国にはいい思い出しかありません。

──「パリジェンヌと類」 。まるでそんな映画のひとこまのようです。

おかげですぐになじみ、毎晩、カフェやバルに食事に行って知らない人と「乾杯〜!」ってやってました。当時、ヨーロッパは日本人がまだ珍しい。バーテンが僕の顔をまじまじ見て「どこの国の人? あ、モンゴリアン?」なんて時代。僕のファッションも変わっていたから、道でもじろじろ見られてね。わざとモデル歩きをし、クルっと回ってポーズなんか決めると女の子たちが、ぎゃ〜って騒ぐの。楽しかったですねー。

ヨーロッパから門前仲町、クローリングのはじまり

──街でランウェイ、あとは何を?

絵の勉強とファッションにも興味があったので、ファッション画も描いてました。当時は「イッセイミヤケ」や「ダーバン」というブランドが好きで。ビートルズのスタイルに近かったかなぁ。ミリタリーコートに煉瓦(れんが)色のロンドンブーツ、あと髪の毛を伸ばしてました。30代になると、イタリアのモードに目覚めまして、「ヴァレンティノ・ガラヴァーニ」などの影響をとっても受けました。

──生活はどうされていたんですか?

僕は画家ですから、その時は絵を描き、詩を書くのに全力を注ぐんです。夢中になると、それ以外のことができない。生活は、そんな僕を認めてくれて、創作環境を支援したいという方々に支えられた部分が大きかったです。

──ほ〜! ヨーロッパでご苦労は?

僕が図太い神経で、東洋人っぽくなかったからかもしれないけど、差別も全くされなくて。人って旅人に優しいんですよ。ハートはどこの国も同じ。西洋と東洋、どっちが上とか考えたこともなく、どこに行っても日本人の特色や知性、誇りを保ってましたから。
自分は島国の中の島国、四国の田舎で生まれたんだって自慢してました。それで対等でいられたし尊敬もされた。日本人ってすごいんだぞって、ヨーロッパでだいぶ宣伝できたと思う(笑)。

──類語の 「クローリング」 も西欧で?

ヨーロッパでは、パブを巡ることをパブクローリングと言うんです。泳ぐクロールと、へべれけのべろべろと二つの意味を含んでいるんです。そこから、僕の宝物でもある『東京立ち飲みクローリング』(2002年発刊の酒場エッセイ)が生まれたんです。

酒場詩人は翌日再び現れる……。

──本を書いたきっかけは?

25年くらい前、門前仲町界隈に住んでいたんです。そこで、東京の大衆酒場というものを知って、なんて素晴らしいカルチャーなんだと興味を持ったわけです。最初は、ある立ち飲み屋さんです。一人で飲んで食べられる場所を探していてたまたま入ったら、築地から仕入れる美味しいマグロがあって。気に入って通ううちに飲み仲間ができ、僕の東京クローリングが始まった。14年間暮らしたホームベースです。

それまで僕は、日本は「居酒屋」が主流だと思っていたんだけど、下町の飲み屋さんの看板や暖簾は、ほとんどが「大衆酒場」なんですよね。「酒場」って響きは、なんだか度量の大きな言葉だなあと思って。パブもスタンディングバーもお酒が飲める場所すべてを含んでくれるでしょう?

──それが“酒場詩人”につながった。

そう。あの本を執筆していた時はね、1日5軒くらい回っていたの。今から思うと、よくできたよねえ。でも覚えているのは、最初の2軒くらいまで。あとはきれいに忘れちゃうから、次の日も同じお店に出かけて行くんです。するとご主人に、「ん? またその質問? 昨日あんなに話したじゃない~」なんて言われちゃって。

写真も自分で撮っていたんですけど、当時はフィルムだから、みんなにピタっと止まってもらわなくちゃいけない。自然体で止まるってとっても難しいんだよね。でも、もともと野生動物を撮るのが好きだったから、そういう勘がちょっと生かされたかもしれない。僕は、どんな猛獣とも仲良くなれるんですよ。ヒグマなんかも大好き。

──ヒグマから酔人まで被写体? 当時は、どんな生活スタイルで?

絵を描く、詩を書く、それと本格的に登山を始めた時期ですよね。定期的に北海道の山へ単独行を。東京にいる時も、昼はジムでエアロビクス。

──エアロビ!

そう。で、夕方になったら飲みに行き、気づくと朝⁉ なんてこともありましたけど、山で体の基礎が出来、肝臓も鍛えられたんでしょうねえ。当時も今も、二日酔いをぜんぜんしない。なあんて威張って言って、いつコロっといくかわかりませんけど(笑)。

「お水下さい」がどうしても言えなくて

──大きなご病気もなくここまで?

一度脱水では、大変な目にあったことがありますけれど。ある時、北海道でイベントがありまして、その翌日は、新潟で講演会というスケジュールだったんです。イベントの翌朝、喉が渇いていたんだけど、新幹線の中でお水を買おうと思って乗り込んだら、車内販売がない。会場に着いた時は、もうカラカラのフラフラ。でもお客さんが本当に嬉しそうに僕を待ってくれているでしょ。するとみんなでまずは、「ビールで乾杯~!」ってやっちゃうじゃない。講演の最中に、何度か倒れそうになりながら、なんとかかんとかホテルに帰ったら40度の高熱が(笑)。

──乾杯前の「お水下さい」がどうしても言えない。それほどまでに人々との「乾杯」を大切にする類さんにとって、東京の酒場はどんな世界?

東京は、色んな県の田舎のモザイクだと思うんです。ふるさとへのノスタルジーを叶えてくれるのが東京の下町。たとえば北区十条には、東北地方の名前が地名にあって東北から来た人は田舎の匂いを感じる。

そんな彼らの受け皿が、東京下町の大衆酒場。『ふくべ』もそうだけど、全国の地酒を揃えている酒場や、地方から出てきた主人が営む店では方言が聞こえ、なじみ深い酒があり、懐かしい郷土料理がある。そんなことが叶うのって、やっぱり東京だけ。故郷へつながる道が、東京の大衆酒場の暖簾の奥にあるなんて、すごいって僕は思う。

『ふくべ』で類さんは「菊姫」としめ鯖を堪能、「締め具合が最高!」。
『ふくべ』で類さんは「菊姫」としめ鯖を堪能、「締め具合が最高!」。
ぬる燗は「とっくりを腕の内側にあてて温度を確認する」と3代目。絶妙です。
ぬる燗は「とっくりを腕の内側にあてて温度を確認する」と3代目。絶妙です。
住所:東京都中央区八重洲1-4-5/営業時間:16:30~ 22:15LO(土は~ 21:15LO)/定休日:日・祝・第2第4土/アクセス:地下鉄浅草線日本橋駅から徒歩3分

立ち飲みポジションは中央のはずれ

──素敵なお店との出会いには、どんな類センサーが?

いいところは必ずお店の外に、そういう雰囲気が出ていますよね。中から賑やかな笑い声が聞こえてきたり、注文が多く入るお店は、厨房の熱風が出ていたりする。古いお店だと、空調も置いてなかったりするけれど、中に入るとすーっと心地よい風が通っている。人に顔があるように、店にも顔がありますから。僕と相性が良さそうだなと思うお店に入るとだいたい楽しめます。

──大衆酒場の類式作法、ありますか。

たとえば立ち飲み屋さんの場合。常連の古参の人が立つ位置は、大体決まってるんです。端っこで全体が見渡せる場所ね。そこは絶対に行っちゃいけない。失礼にあたりますから。真ん中より少しはずれたところで、なるべく遠慮がちに立つ。そうして、そのお店のおいしいものを常連さんやマスターにそっと聞く。喜んで教えてくれるし、受け入れてもらえる。だから、昔の僕の本の取材は全部ノンアポ。忙しい酒場に、顔も知らない人から電話で取材申し込みなんて迷惑でしょ。アポよりもまずは足を運ばないとね。

──ノンアポ、遠慮がち、全体を見渡せそうな“古参席”に注意、ですね。

あとはね、『酒場放浪記』でも、お客さんが本当に自然な表情で笑ってるでしょう? あれは僕が先に酔っ払ってるってこともあるんだけど、こっちが素のまま、心を開いてますから。日本人はなかなかそれができなくて、初めてだと「敷居が高く感じた」なんて、書いちゃう人がいるけど、それはいけません。偏見も先入観も何も一切持たずに行きましょう。

1953年創業の『美奈福』。12:30~18:00/日・祝休。/東京都中央区日本橋人形町2-11-12/☎03-3666-3729/地下鉄日比谷線・浅草線人形町駅出口から徒歩2分。
1953年創業の『美奈福』。12:30~18:00/日・祝休。/東京都中央区日本橋人形町2-11-12/☎03-3666-3729/地下鉄日比谷線・浅草線人形町駅出口から徒歩2分。
本枯鰹節(ほんがれかつおぶし)と煮干しの出汁が沁みたおでんは、こんにゃく70円からタコ350円まで21種類。「取り合いにならない仲良し家族向け(笑)」に全種類セット2710円も。
本枯鰹節(ほんがれかつおぶし)と煮干しの出汁が沁みたおでんは、こんにゃく70円からタコ350円まで21種類。「取り合いにならない仲良し家族向け(笑)」に全種類セット2710円も。
──そんな下町酒場は、人間関係も濃ゆいなってイメージがあります。

それも面白いところ。でも、酒場ではあくまで一期一会、そこでスマートに別れるのが僕の基本です。飲み屋さんは距離が必要なんです、人と人の。熟練のバーテンダーさんが言ってましたが、カウンターはお客さんとの距離感を保つためのものだと。酒場では人との距離感、間合いが必要なんだと僕も思います。でも、若い頃は、意気投合した人とはしご酒をして、駅でハグして電車に乗るなんてことあったよねぇ。それを全部忘れて、翌朝、知らない番号の電話に「誰?」って出たら、怒って切られたこと、あったね(笑)。

『やきとん ひょっとこ』の備長炭のこうばしい香りをまとった焼きとんとマリアージュしたいのは、2代目こだわりの芋焼酎。絶滅寸前の貴重な芋を使った「安田」に「フラミンゴオレンジ」など、類さんも「焼酎を超えている!」と唸(う)なる。
『やきとん ひょっとこ』の備長炭のこうばしい香りをまとった焼きとんとマリアージュしたいのは、2代目こだわりの芋焼酎。絶滅寸前の貴重な芋を使った「安田」に「フラミンゴオレンジ」など、類さんも「焼酎を超えている!」と唸(う)なる。
住所:東京都中央区日本橋人形町3-4-8/営業時間:17:00~22:00/定休日:日・祝/アクセス:地下鉄日比谷線・浅草線人形町駅から徒歩1分。

お酒の失敗はもう、山のようにございます

──記憶喪失の他にもお酒の失敗は?

山のようにあります! ホテルのスイートルームに泊まった時のこと。夜中に目が覚めてお手洗い行こうとしたんだけど、部屋がいっぱいあるでしょう? トイレはどこだどこだってドアを一つずつ開けてったら、そのまま廊下に出てしまって、「あ……」と思った瞬間締め出されちゃった。その時、僕は素っ裸でね。

──ん? 一糸まとわぬ、お姿で?

これはいかんなぁと頭ではわかってるんだけど、酔っ払ってるからさほど深刻じゃない。エレベーター前の電話からフロントに連絡したら、身長180㎝くらいの大柄なホテルマンが来てくれたのはいいんだけど、僕の姿を見た瞬間、「わあああああ!」って非常階段から転がるように逃げて行きました。アハハハ〜。こっちがあんまり堂々としてたからかも。

──ホテルマンさんが心配です……。

そうそう、『酒場放浪記』 のエンディングで「では僕は、もう一軒」って言いながら夜の街に歩き出すお決まりのシーンがあるんだけど、そのまま酔っ払ってどっかに行っちゃって、気づくとスタッフとはぐれていたことがありました。でも誰にも心配されず……。これも、クローリングの一環ですから(笑)。

──なかなか外で飲むことが厳しい今はどのように?

『酒場放浪記』の999回の時は、他のお客さんがいない時間に『沖縄料理居酒屋 宮古』というお店にお邪魔して「ひとりオトーリ」というのをやりました。「オトーリ」とは、沖縄の宮古島に伝わる酒の飲み方の作法。本来は、みんなで車座になり、一人ずつ順番に盃に泡盛を注ぎ口上をするんです。そのあと盃を空けて次の人へ。それを延々に続けるんですが、ひとりですからすぐに酔っ払っちゃって(笑)。記憶はおぼろだけど、美味しくて楽しかったなあ。

今は、家で愛猫のララを眺めながら独酌。お酒やツマミは全国から取り寄せたりしてます。早く酒場で乾杯してみんなと笑い合いたいね。

僕は、100歳まで元気に酒場をクロールし続けるつもりですよ。

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『吉田類の酒場放浪記』

飲みながら見たい“酒肴”番組

2003年に開始、今年2月に放浪1000回を突破。吉田類自身が見つけた酒場からスタッフが散歩途中に発見した穴場など、「この街にこんな愉快な世界が!」と見入ってしまう名所が登場。毎回、本気で飲んで酔いしれる、類さんの姿が比類なき肴。2019年12月には全都道府県の酒場を制覇。BS-TBSにて毎週月曜21時放送。

取材・文=さくらいよしえ 撮影=三浦孝明
『散歩の達人』2021年5月号に一部加筆