今思い返してもエクストリームな映像

極め付けは『絶唱』だ。忘れようとしたって忘れられるわけがない。山口百恵と三浦友和が主演するアイドル作品の中でも『伊豆の踊子』『潮騒』『古都』を凌ぐ名作ではなかろうか。

 

身分の差が歴然とある田舎で、三浦友和と山口百恵は将来の約束を交わす。しかし戦争がふたりを引き裂く。友和が戦地から帰ってきたとき、百恵は病で亡くなっていた。それでも友和は祝言を挙げる。百恵に花嫁衣装と化粧が施される。当然無表情で微動だにしない。式の後、友和は骸(むくろ)の百恵を抱き上げ、離れまで運ぶ。ようやく初夜を迎えるが、死の床にある百恵を前に、友和は泣き伏す。

 

怖かった。ショックだった。凄みがあったし、今思い返してもエクストリームな映像だ。観るのをやめていいのに目が離せなかった。様々な感情を植え付けられた。大袈裟ではなく、日常と価値観を転覆させられた。

 

お茶の間で僕は映画観を教育された。大人たちが子ども相手に封じていた世界の現実、薄気味悪さ、シュール、猥雑、エログロ、抗えない暴力の魅力、言葉にできない負の感情を教わった。たまたま点けたテレビの映画で人生を狂わされた。

 

今、テレビはむかしほど映画を放送しない。ゴールデンタイムで流す映画のほとんどが、無臭かつ安全で、適度に泣ける作品ばかりだ。スクリーンでかかる日本映画も、手垢の付いた「感動」しかない。顔が見えない大多数から嫌われたくないのか、ネットで叩かれるのを恐れているように思える。もちろん僕も、「表現が過激であれ」とか「暗くて重たいアート系が最高」などと主張したいわけではない。日本映画に過剰さがなくなったことを嘆いているのだ。

 

少なくとも僕に限った話だが、レンタルビデオもCSの映画専門チャンネルもない時代に、強烈な作品と出会えたことは幸運だった。出会いは運命付けられた偶然であり、かつ強制的だったとしても。怖すぎて、いまだに脳がフタをしている映画もあるだろう。いつかそのフタを開く日が来るのか。うちの4歳児も(いい意味で)人生を捻じ曲げるような体験をしてほしい。

 

今の子どもたちのうち、どれぐらいの数が成長したら、熱心な映画ファンになるのか。大人になってもYouTube を観ているのか。一方で、それはそれで良いような気もする。映画マニアって、映画をいっぱい観てそれなりに批評眼はあっても、実人生に何ひとつ反映させることができない幼稚な人間性の人が多いので。僕も含めてね!

文=樋口毅宏 イラスト=サカモトトシカズ
『散歩の達人』2020年12月号より