◆散歩コース◆
スタート
恵泉女学園大学入口バス停
歩道橋を渡って道の反対側へ。左手に行き、次の交差点を右折。妙櫻寺の先で左の土道へ。
↓ 20分
分岐
掘割状の道を進むと分岐に。左は竹林。分岐を右へ。この辺が鎌倉古道と推定される。
↓ 20分
関屋の切通し
ほどなく関屋の切通しに。その先で布田道と合流。左折して布田道を行く。里山の景観がいい。
↓ 30分
別所バス停
今の鎌倉街道に出ると別所バス停。交差点を右折して直進。信号で右折すれば小野路の交流館。
↓ 25分
小野路宿里山交流館
交流館の左手に小野神社。神社の先で右折し萬松寺へ。その奥が万松寺谷戸。
↓ 30分
小野路城跡
谷戸の間を抜けて行くと尾根道に入る。右手に行くと城跡。小町井戸の先の分岐で右折する。
↓ 30分
小野路バス停
道なりに行けば小野路バス停に出る。車道を右へ。この辺がかつての小野路宿の通り。
↓ 15分
ゴール
小野神社前バス停

郷愁度:★★☆
歩行時間:2時間50分
歩行距離:約7km

アクセス:
[行き] 新宿駅から京王線で京王多摩センター駅、約30分。多摩センター駅から神奈川中央交通バス「鶴川駅」行きで恵泉女学園大学入口バス停、約10分。
[帰り] 小野神社前バス停から神奈川中央交通バス「鶴川駅」行きで終点、約15分。鶴川駅から小田急小田原線で新宿駅、約35分。
交通費: 1090円(往復)

※小野神社前バス停から「多摩センター駅」行きで京王多摩センター駅へ出る方法もある。

東京の里山といにしえの道を歩く

町田市にある小野路は、江戸時代は大山街道の宿場として栄えたところで、小野路宿といった。東京では珍しく宿場の雰囲気が多少残されている。今は『小島資料館』となっている小島家の家屋や、旅籠だった角屋を改装した『小野路宿里山交流館』などもある。ちなみに江戸時代後期には旅籠が6軒あったようだ。

しかし何より歴史を感じさせるのは、古道かもしれない。周辺に、鎌倉時代に造られた鎌倉古道上道(かみつみち)や江戸時代の布田道が残っている。そして里山の風景がいたるところに残っているのが、小野路の魅力だろう。鎌倉時代から現代へと続く小野路への旅を。

恵泉女学園大学の近くから古道へと入ると、すぐこの掘割状に造られた道がある。これは鎌倉古道跡と思えるのだが、どうだろう。もっと新しい道かもしれないが、不明。
恵泉女学園大学の近くから古道へと入ると、すぐこの掘割状に造られた道がある。これは鎌倉古道跡と思えるのだが、どうだろう。もっと新しい道かもしれないが、不明。

恵泉女学園大学入口でバスを降りた。ここは南多摩尾根幹線道路で、まさに多摩ニュータウンらしい道だ。右手の道に入ると妙櫻寺(みょうおうじ)がある。その先の小路に入ると様子が一変する。鬱蒼とした雑木林の中に掘割状の道がついている。つまり土をえぐったような道だ。これは鎌倉の匂いがぷんぷんする。あくまでもここは推定とされているので断言はできないが、わざわざ掘割状に道を造るだろうか。掘割状の道は防御性が高いわけで、それを考えても鎌倉古道か。

小野路の手前に開けた場所があり、丘陵地帯に畑が作られていた。
小野路の手前に開けた場所があり、丘陵地帯に畑が作られていた。

牧歌的な雰囲気が漂う、新選組が通った道

しばらく進むと右手に畑の風景。いい眺めだ。その先に大きな切通し。関屋の切通しだ。ここからまっすぐ行けば小野路が近いが、左に折れて布田道に入った。布田道は新選組の近藤勇や沖田総司が出稽古先の小野路宿の名主・小島家へ通った道だ。布田道は調布から始まり、小田急多摩線の黒川駅付近を通って今の鎌倉街道を横切って小野路へつながる。ここで鎌倉古道に合流する。

小野路宿の面影が残る『小島資料館』。小島家には天然理心流の剣道場が置かれており、近藤勇らは布田道を歩いて、ここに剣術を教えに来ていた。
小野路宿の面影が残る『小島資料館』。小島家には天然理心流の剣道場が置かれており、近藤勇らは布田道を歩いて、ここに剣術を教えに来ていた。

まもなく、畑の広がる谷戸の中の曲がりくねった道を通る。畑ではセリを摘むおばさんたち。道を歩いているハイカーのおじさんたちも多い。いい風景で、歩いているだけで心が浄化されるような気分になる。

布田道を行くハイカーたち。シニア世代が多いようだ。
布田道を行くハイカーたち。シニア世代が多いようだ。
萬松寺近くの畑での風景。
萬松寺近くの畑での風景。

布田道からいったん現鎌倉街道へ出て小野路宿へ向かった。『小野路宿里山交流館』から近くの小野神社に参拝して萬松寺へ。その奥が万松寺谷戸といわれるエリア。緩やかな棚田のような田んぼが残っている。

万松寺谷戸に広がる水田。谷戸には湧き水や湿地が多いので、水田が拓かれてきた。
万松寺谷戸に広がる水田。谷戸には湧き水や湿地が多いので、水田が拓かれてきた。

東京都が1978年にこの辺りの丘陵を「図師小野路歴史環境保全地域」に指定したことによって開発を免れた地域で、かつての多摩丘陵の風景が残っている。驚くほどの里山の景観だ。

東京最古といわれる小野路城跡へ

谷戸の奥の小高い丘陵へと足を延ばし、小野路城跡へ。小野路城は承安年間(1171~1174)に築城されたというから、東京周辺では最古の山城ではないかと推定される。近くの小山田城の支城として築城され、今は本丸跡に鳥居と社があるだけ。周辺には大きな曲輪(くるわ)も残る。

小野路城址。
小野路城址。

城から先に行き、左手に下りて行くと、「奈良ばい谷戸」という万松寺谷戸に似た水田があるが、今回は下りずに小野路バス停のほうへまっすぐ向かった。車道に出ると、そここそ小野路宿だった通り。道は現代風に整備されていて、それほど宿場の雰囲気はない。

旅籠だった角屋を改築した『交流館』で小野路の地粉で作ったうどんを食べて、旅の終了となった。

さんぽMEMO
小野路の西側には小山田緑地がある。広い緑地で池もあり、富士山が見える絶好の展望所もある。城跡の先で奈良ばい谷戸を下って車道に出れば、そこが小山田緑地への入り口となる。帰りは扇橋バス停から多摩センターへ。

アドバイス
わかりにくいのは、万松寺谷戸付近。谷戸の中の小路を行き城跡へ通じる道があるが、わかりにくいときは引き返して右手に入る道があるので、そこを上がって行けば尾根道に。右折すれば城跡だ。

小野路宿

多摩丘陵の中にある小野路は江戸時代には大山街道の宿場町として栄えたが、それ以前から交通の要所であったようだ。宿場の面影は、通り沿いの側溝や小島家の板塀などに見られる。江戸時代後期には旅籠6軒とか。

 

小野路城址

中世に造られた小山田城の支城

万松寺谷戸の奥の丘陵部にある小野路城跡。小山田有重が承安元年(1171)に小山田城(現在の大泉寺・小野路城の西方2㎞ほど)を構え、その支城として造った。本丸や曲輪などの遺構が残っている。

小野路宿里山交流館

小野路宿の歴史と地元の味もわかる施設

宿場にあった旅籠、角屋を改築して2013年にオープンした施設だ。角屋に保存されていた小野路宿の貴重な資料を展示している。食事もでき、地元の地粉で作った小野路うどん(560円)や里山コロッケなど、けっこう旨い。野菜の直売もあり。

●9:00~17:00(食事は11:00〜14:00)、無休。小野神社前バス停から徒歩1分。☎042-860-4835。

取材・文=清野編集工房
『散歩の達人 首都圏日帰りさんぽ』より