下町情緒を感じながら文学の足跡を追いかける
東京美術学校開校により、芥川龍之介を始めとする小説家が田端に住み始めるようになった。『田端文士村記念館』で文士たちの足跡をたどり、谷中銀座で下町の様子を感じながら、当時の生活を想像してみよう。
開催期間:2025年11月5日(水)~11日(火)
歩行距離:約8.1km
所要時間:約150分
スタート地点:池袋駅 駅たびコンシェルジュ
「駅からハイキング」ってなに?
「駅からハイキング」とはJR東日本が企画する、駅を起点とした日帰りウォーキングイベント。参加費・予約は不要で、開催期間中、受付時間内にスタート地点となる駅へ行けば、誰でも参加可能。今回特別編として山手線環状運転100周年を記念し、JR社員と『散歩の達人』編集部が共同で、山手線を一周できる5つのコースを作成した。
※開催日時の詳細は「駅からハイキング」公式ホームページに掲載。
カルチャーのるつぼ・池袋から、トラムが走る街へ
地下通路とは思えないほどの明るくやさしい景色に、思わず足を止めてしまった。
今日のスタート地点は「池袋駅 駅たびコンシェルジュ」。駅の西側から歩行者用トンネル・雑司が谷隧道(ずいどう)を通って東側へ向かうのだが、その壁一面に淡い色合いの絵が描かれているのだ! これは美術作家・植田志保氏の作品で、2019年に制作されたもの。やわらかな照明も印象的で、時間帯によって色が変わるんだとか。
ちなみに隧道の名前の「雑司が谷」、現在の行政地名としては雑司ヶ谷霊園の南側一帯なのだが、古くは現在の池袋駅を含む範囲が雑司ヶ谷と呼ばれていた。ゆかりの文豪が多い地域でもあり、人気作品のなかでその名前を見かける街でもある。雑司ヶ谷霊園には夏目漱石や小泉八雲、永井荷風などそうそうたる文豪たちが眠っていて、夏目漱石の『こころ』でも登場。また、雑司ケ谷鬼子母神堂は京極夏彦のデビュー作『姑獲鳥(うぶめ)の夏』でキーとなる場所だ。
トンネルを抜けたら、池袋東口エリアを抜けて大塚方面に向かう。このあたりは映画館や書店も多く、都内随一の大衆文化発信地。近年は最新技術を搭載したライブ劇場が併設された『Hareza池袋』もオープンし、このエリアにおけるサブカルチャーの魅力はますます勢いを増して広がっている。
大塚駅が近づいてくると、街を行き交う都電荒川線の車両とすれ違う。沿線にはバラが咲く場所も多く、特に春と秋の見頃は美しい。ゆったり走る車両のかわいらしさも相まって、どこかほっとする人懐っこい気配がしてきた。
人を思う気持ちを込めて握ったおにぎり
大塚駅北口のそばでは、行列を発見。列の先にあったのは、テレビや雑誌にも度々登場する老舗のおにぎり専門店『ぼんご』だ。「待ってくださっているお客さんのために一秒でもはやく握る、その一心です」とは、2代目店主の右近(うこん)由美子さん。1960年に後の夫・祐(たすく)さんが創業した『ぼんご』に出会い、いつしか店に立つようになって半世紀以上になる。
お米は新潟県岩船産のコシヒカリを使い、創業当時からあまり変わらないという具材が50種以上! おにぎりは1個400円(具材により450~500円)、お新香250円、とうふ汁200円。現在は数人のスタッフが右近さんの技を受け継いで握っているが、大切にしているのは食べる人を思うこと。「おにぎりは自分の子供のような存在。その味を伝えていきたいです」と右近さん。茶碗一杯分ほどある大きなおにぎりを頬張ると、お米の甘みと具材の塩気が心の芯に響くような感覚になる。
おにぎりを平らげ、ほくほくした気分で歩きはじめると、景色はさらにあたたかく見える。線路沿いに進むと見えてくる巣鴨駅の周辺は、活気がありつつどこかのんびりとした空気もただよう。少し足を延ばして、巣鴨地蔵通り商店街や、岡倉天心、二葉亭四迷などが眠る染井霊園に寄り道するのもありだ。
大正期の文士村と、昭和期の商店街の熱に触れる
駒込駅を通り過ぎ、田端高台通りに向かう坂をのぼっていると、すれ違った男子学生たちが「近くに正岡子規のお墓があるよ」と話す声が聞こえてきた。彼らが言う通り、和光山大龍寺は俳人・正岡子規の墓があることで有名だ。
ほかにも、田端は大正~昭和初期まで小説家や詩人が集っていた「田端文士村」としての一面がある。東京美術学校(現・東京藝術大学)が上野にできた明治中期以降、芸術家が移り住むようになり、やがて大正時代に入ると芥川龍之介や室生犀星(むろうさいせい)、萩原朔太郎、菊池寛といった面々も集って切磋琢磨していたといわれている。まだまだのどかな農村だった当時、田端の高台から望む周囲の景色はさぞ美しく創作意欲を掻き立てるものだっただろう。田端駅前には『田端文士村記念館』もあり、彼らの作品や当時の暮らしぶりを垣間見ることができる。
西日暮里駅から切通しの坂をのぼり、「よみせ通り」の門を見つけてそれをくぐる。この通りは、染井霊園付近から上野の不忍池まで流れていた藍染川の川筋だったところだ。大正時代に暗渠(あんきょ)化され、そこに店が立ち並んで夜更けまでにぎわったことから「夜店通り」と呼ばれるようになったとか。現在も、鮮魚店や精肉店のほか雑貨屋やカフェが並ぶにぎやかな通りだ。
その「よみせ通り」の中ほどで交わるもうひとつの商店街が「谷中銀座」。こちらは全長170mほどの短い通りに約60軒もの店が所狭しと並び、特に週末は観光客が押し寄せる。日暮里駅に近い商店街の入り口には西に向かって下る階段があり、商店街の向こうに夕日が見えることから「夕やけだんだん」と名がついていることでも有名だ。
T字に交わる2つの商店街では、買い物するもよし、食べ歩きで小腹を満たすのもよし。谷中を含む通称「谷根千」エリアは、山手なのに下町のような情緒があるといわれることも多いのだが、まさにそんな独特の情緒ある雰囲気を堪能できる。
芋坂でしか味わえない200年愛されてきた団子
商店街を抜けた後は、谷中霊園をのんびり歩くのもいい。「谷中銀座」が谷中の下町のような一面だとすれば、谷中霊園は山手らしい一面とも言える場所だ。春は桜が美しく、秋色に染まった木々の揺れる季節も趣きがある。ここには小説家・獅子文六のほか、横山大観や渋沢栄一などの著名人が眠っていることでも知られ、幸田露伴の小説『五重塔』のモデルになった天王寺五重塔の跡地もある。
この谷中霊園から、線路を越えて反対側へと渡れる芋坂跨線橋がある。芋坂というのは、高台にある霊園から善性寺に向かう坂のこと。線路が通ったことで坂は途切れたが、跨線橋としてその道は残っている。そして芋坂の下にある店が、文政2年(1819)創業の『羽二重団子』の本店だ。
夏目漱石の『吾輩は猫である』の作中「芋坂へ行って團子を食いましょうか」という台詞や、正岡子規が詠んだ「芋坂も 団子も月の ゆかりかな」という句は、どちらもこの店の団子のこと。他にも数多くの文学作品にその姿が登場する。
羽二重という名は、絹織物のようにきめ細かく滑(なめ)らかな舌触りであることからついた名前。「いい団子をつくるには手間をかけろ、という言葉が代々伝わっています。『うるち米』はよくつくことで独特のねばりと歯応えが出るんですよ」とは、7代目店主の澤野修一さん。
お米のほのかな甘みを感じてもらうため砂糖は控えめで、焼き団子の醤油に至っては甘さを全く加えない。日持ちせず当日限りなのだが、実際に芋坂を訪れなければ味わえないというのも乙なもの。この味が恋しくなったら「芋坂へ行って団子を食いましょうか」と言って歩き出せばよいというわけだ。
かつて文士が集った街と、戦後から今も変わらずにぎわう商店街。心を込めたおにぎりに、200年以上愛されてきた団子。そこにはいつも、誰かの思いや熱が秘められているのだとしみじみ実感する。歴史や記憶をたどってその成り立ちを知るほどに、人のあたたかさを感じられる時間だった。
お団子と煎茶の後味を噛み締めながら、日暮里駅でゴール。さて、帰りの電車では、本を読んで過ごそうかな。
【コース③池袋駅→日暮里駅】の詳細はこちら!
本記事で紹介した池袋駅から日暮里駅にかけて歩くコースの、受付時間やコース行程などの詳細はこちらからチェック!
山手線環状運転100周年スペシャルコース開催一覧
【コース① 高輪ゲートウェイ駅→渋谷駅】東京に残された鉄道文化と自然をめぐる
開催期間:2025年10月22日(水)~28日(火)
【コース② 渋谷駅→池袋駅】異文化の路地を歩く、世界を感じる散歩道
開催期間:2025年10月29日(水)~11月4日(火)
【コース③ 池袋駅→日暮里駅】下町情緒を感じながら文学の足跡を追いかける
開催期間:2025年11月5日(水)~11日(火)
【コース④ 日暮里駅→東京駅】名建築が交錯するモダンゾーン
開催期間:2025年11月12日(水)~18日(火)
【コース⑤ 東京駅→高輪ゲートウェイ駅】鉄道の今昔を歩く
開催期間:2025年11月19日(水)~25日(火)
参加者にはスペシャルなプレゼントも!
スペシャルコース参加時、各駅で駅ハイアプリの画面を提示するとオリジナルスタンプ帳をプレゼント!
※各コース受付時にスタート駅で配布。先着順・各コース数量限定。デザインは全て同じとなります。
取材・文・撮影=中村こより 撮影=オカダタカオ(TOP画像)





