西荻窪の新刊書店と古本屋さん
- 角田
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古本屋さんをふくめて書店が多いこと、個人経営の飲み屋さんが多いこと、商店街が充実していることが、住み始めたきっかけです。
- 角田
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新刊書店の『今野書店』には週に1度は立ち寄ります。入って左の雑誌、右の新刊を見て、料理、エッセイ、ノンフィクション、地図、文庫と回ります。駅から近い今の場所に移る前(同じ伏見通り沿いから2011年に移転)から、よく通っていました。
- 角田
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そうですね。今野書店は日常の範囲内で、新宿の大きいところに行くときは書評のための本を探したり仕事と関係した本を買うことが多いです。
- 角田
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いまは内装が変わりましたけど、『信愛書店』はほんとにいい本屋さんで大好きでした(14年に『信愛書店en=gawa』としてリニューアルオープン。入り口付近は書店、奥は地域の人が集まる場として使われている)。西荻に引っ越してきたばかりだった20代の終わりごろ、根本敬の『因果鉄道の旅』がすごく好きで、いろいろな人にあげていたんですね。たいていの本屋さんでは在庫を聞くと「『銀河鉄道の夜』ですか?」って言われるんですけど、信愛書店だけは、すぐに「ありますよ」と棚に案内してくれて、信頼度が違いました。
- 角田
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駅から近くて便利でした。「李下に冠を正さず」とか、標語がたくさん貼ってあったのを覚えています。品揃えはオーソドックスで、一般的なものが揃っていましたね。
- 角田
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よく行くのは『古書 音羽館』です。ここでは古い資料的なものより、1~2カ月前の新刊を買うことが多いです。読みたいと思って忘れていたりするので。品揃えが西荻らしいというか、思想、芸術、映画などが多くて硬派ですよね。わたしは田中小実昌が大好きなんですが、店に入荷すると教えてもらったりしています。あと、ときどき本の買い取りもお願いしています。
ほか、『ねこの手書店』は、入ってすぐの人文、ノンフィクションの棚がすごくおもしろくて、そこを見るのが好きです。『にわとり文庫』は、絵本や雑誌が前面に出てますよね。あと雑貨も。『ウレシカ』は絵本が充実していて、雑貨、とくに猫グッズがあるのでよく行きます。雑貨を見るのも好きなんです。
古本屋さんならではの本との出会い
- 角田
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新刊書店のほうが切羽詰まってる感じです。買うものが決まっていたり、新刊の書評を書くための探しものだったり、必要なものを買う。古書店は気持ちに余裕があるときに立ち寄って、本の声を聞くところです。それまで思ったこともないような興味を呼び覚ましてもらう。
ただ、いまは古本屋さんにあまり行っていないんです。というのも、ここ数年『源氏物語』の現代語訳の仕事にかかりきりで、心の余裕がないんですね。古本屋さんで何かを見つけてしまったら、ほしくなるじゃないですか。余裕がないところにそれを抱え込んでも苦しいだけだとわかっているので、できるだけ立ち寄らないようにしているんです。取材を受けておいて申しわけないんですけど……。
- 角田
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15年からですね。新しく古書店ができているのは知っているんですが、行けてなくて。余裕がないと、せかせかして本を見る気にならないんですね。古本屋さんて、すごく豊かなものなんだなあと思います。気持ちが豊かなときじゃないと行けない。
- 角田
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資料はもう全部あるんです。むしろ関連の本はいっぱいあるので、手を出し始めると泥沼です。
- 角田
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小説の仕事をしているときは、つねにアンテナを張っていなきゃいけなくて。古本屋さんで、ぼーっと棚を見ていて、目についたおもしろそうな本がヒントになることはあります。
- 角田
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『ツリーハウス』(文春文庫)です。以前、『古本道場』という連載(のちに書籍化。岡崎武志と共著/ポプラ文庫)をやっていたときに、毎月古本屋さんを回っていました。そのときに、ある店で満州の本が気になって買って読んで、次の月もまた満州関連の本が目に入ってきた。なんだかよくわからないうちに買い集めて調べていったら、すごくおもしろいことに気づいて、連載をやっていた12カ月の間、満州グッズを集めまくったんです。時刻表とか、旅行のパンフレットとかです。なんでこんなに興味をひかれるんだろうというところから始まって、満州に渡って結婚した人たちから始まるファミリーの話を書きました。
「古本屋さんには、話しかけてくる本があります」
- 角田
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断然多いです。新刊書店は、五十音順で並んでいたり、日本文学、外国文学といったジャンルで棚が分かれていたりするから、用があるところにしか行かないですよね。古本屋さんは、あまり整然としていないというか、なんとなくジャンル分けはあるけれど、混じり合っていたりします。
たとえば、日本文学に興味があって棚を見ていたら、その周辺に詩があったり、ちょっとずれたら映画があったり、自分の守備範囲以外のものが目に入りやすい。そういうときにたぶん、話しかけてくる本があるんですよね。自己主張してくる本が。自分が興味をもつなんて、そこに行くまで気づかない。なんか呼んでるって気づいて、手にとって、すごく読みたくなる。でもなんで読みたいのかわからない、というのは古本屋さんにしかないと思います。
- 角田
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20代のころからです。大学が古本街の先にあったので、古本街を通って大学に行き、古本街を通って帰ってくる生活でした。だからわりと自然に古本屋さんに入っていたんですね。最初のころは、新刊書店で買えないから古本屋さんで買っていたんですが、敷居が高い店とそうでもない店があって、そのあたりは学生ならではの嗅覚で選んでいました。
- 角田
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たとえば、2歳の子供がいるお母さんという設定だったら、2歳の子供の様子がわからないので、育児書や育児雑誌を買って読んだりします。働く既婚女性を描いたときには女性誌の『VERY』を熟読しました。「夫の実家に行くときはこんなファッション」というような記事を読んでいると、だんだん苦しくなってきて、掲載されている見本みたいにできなかったらどれだけつらいだろう……と。そういったことが登場人物の心理描写につながっていきます。
本屋さんの存在は生活と直結している
- 角田
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仕事場が近いので、『Title』にはよく行きます。昼休みに立ち寄ったり。ルミネ荻窪の上の『八重洲ブックセンター』や『文禄堂』にも行きます。
- 角田
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雰囲気が古書店に近くて、ほかでは見たことがない新刊に出会う確率が高いところです。最近ではオーストラリアの作家が書いた、『奥のほそ道』(リチャード・フラナガン/白水社)。新刊で平積みになっていて、かなり分厚いんですが、なぜかすごくひかれて買ってしまいました。戦時中、タイとビルマを結んだ泰た い緬め ん鉄道で、オーストラリアの若い医者が日本軍にかなりひどい労働条件で働かされる話なんですね。これがもう、ほんっっとうにおもしろくて、こういう出会いはTitleじゃなきゃなかったなって思います。たぶん新宿の大きな書店に、この本があっても買わないと思う。
- 角田
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それは本の印象が違うというより、その場じゃなきゃ自分が気づかなかったという、店と本とわたしの相性の話なのかもしれないです。仕事場の近くにお店ができたときは、駅から遠い辺鄙なところで大丈夫なんだろうかと思ったんですが、きちんと選ばれた本が置かれているし、イベントをやったりして、新しい形なんだろうなと思います。これからこういう店が強くなっていくんだろうな、と。
- 角田
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今は書く仕事をしていますが、子供のころから本を読んでいるので、「書く」より「読む」歴史のほうが長いわけです。なので、やはり本屋さんがないと息苦しいですね。閉塞感がある。暮らすこととか、生きることに近い存在です。本屋さんの存在が書くことにつながることもあるけれど、そうでなくても、ただ読むという作業だけで終わってもいいと思っています。
- 角田
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西荻窪には、古書店、喫茶店、雑貨店など、あちこちに小さいお店があります。ぐるっと全部歩いても半日かからないくらいの街ですから、喫茶店で休憩しながら、のんびり回るのがおすすめです。小さいお店といっても、入りにくいことはなくて、あまりおしゃれじゃない。敷居が低くて、とんがってないところが、歩いていてほっとします。
取材・文=屋敷直子 撮影=金井塚太郎
『散歩の達人』2019年11月号より