文筆家・ノンフィクション作家のフリート横田が、ある店のある味にフォーカスし、そのメニューが生まれた背景や街の歴史もとらえる「街の昭和を食べ歩く」。第11回は昭和9年(1934)に誕生した『ビヤホールライオン 銀座七丁目店』で、伝統の技が光る【ビール】を。前編では店を訪れ、こだわりの一杯を堪能する。

戦火の回避、戦後の接収

ではここで戦前戦後の「銀座とビール史」を簡単に振り返っておこう。

明治32年(1899)、日本初のビヤホールといわれる「恵比壽ビヤホール」が、銀座の新橋際にオープンした。明治44年(1911)には、築地精養軒が、銀座尾張町角に「カフェー・ライオン」を開く。ここは女性給仕、いわゆる「女給」さんが接待する店であった。だが向かいにもっと派手な接客をする「カフェー・タイガー」がオープンすると、旗色がわるくなってしまう。

昭和6年(1931)にライオンの経営が大日本麦酒に移ると、「ライオンヱビスビヤホール」(現在の銀座五丁目店)として刷新。女給さんの店から、純粋にビールを楽しむビアホールへと姿を変えた。そして3年後の昭和9年(1934)、ついにこちらの銀座七丁目店が誕生する。

昭和9年(1934)竣工当時の店内(写真提供=ビヤホールライオン 銀座七丁目店)。
昭和9年(1934)竣工当時の店内(写真提供=ビヤホールライオン 銀座七丁目店)。

戦争がはじまると、日本各地の大都市は空襲に見舞われ、系列店のいくつかも焼かれてしまい、銀座も空襲によって被害を受けたが、銀座七丁目店は消失をまぬがれ、内外装の一切は無事だった。このことで、終戦するとすぐに接収され、進駐軍専用ビヤホールとされたのだった。取材中、(株)サッポロライオンの広報ご担当・横田さんが、店内の一カ所を指さしながら教えてくれた。

「実は、マッカーサーが座ったとされる席があるんですよ」

エントランスを入って右奥の一隅がそうだという。日比谷濠のたもと、元帥が執務していた第一生命館(現・第一生命 日比谷ファースト)は目と鼻の先である。だから来店したとしても不思議ではない。ただ、仕事人間として知られ、外食もほとんどしなかったらしいマッカーサーが一般将兵に交じってビールを飲んでいた姿はなかなか想像しにくい。それでも私は、この伝説のロマンを信じたい。

進駐軍接収時代の様子(写真提供=ビヤホールライオン 銀座七丁目店)。
進駐軍接収時代の様子(写真提供=ビヤホールライオン 銀座七丁目店)。

現存する日本最古のビヤホール、変わらぬたたずまい

歴史のアヤというべきか、そのマッカーサーたちGHQ主導で、1947年、過度経済力集中排除法(集排法)が公布され、戦前以来の巨大ビールメーカー・大日本麦酒は分割される。このとき誕生したサッポロも、生まれた競争原理にしっかりもまれ、ビール業界は活性化し、いまに続いているのである。

1952年になって銀座七丁目店が接収解除されると、店にはふたたび、大勢の日本人客が戻ってきた。いや、正確には日本人ばかりではない。いまでは、日本風の冷たい、すっきりした味わいを求めて、ビールの本場・ドイツ人が飲みに来ることさえあるそうだ。

こうして、大日本麦酒経営時代から一貫して、「ビールの味を楽しむ空間」として店作りをし、なかでも銀座七丁目店は、現存する日本最古のビアホールであり、サッポロの旗艦店として今日も店を開けている。横田さんの矜持は、戦前戦後のビール史を踏まえてのことなのだろう。

1955年当時の正面玄関(写真提供=ビヤホールライオン 銀座七丁目店)。
1955年当時の正面玄関(写真提供=ビヤホールライオン 銀座七丁目店)。

誰かにとっての歴史の1ページに刻まれるビール

長い長い時代を越えてきたからこその風景もある。

「20歳になって最初の乾杯はここで」と、親から子、祖父母から孫へと年長者が若い人を連れてビールを楽しんでいたり、横田さんによれば、

「遺影をお持ちになられて、召し上がっている方もよくお見掛けします」

記録に残る歴史だけではない。誰かの個人史の1ページに刻まれているビールなのである。

そして私がうれしくなるのは、今日も「現役で使われている」こと。日頃、昭和の時代をしのぶ場所へ話を聞きにいくことが多い。仕方がないことだが、古びたものは、古くなればなるほど希少性を増してくるから、ありがたがって、誰の手も触れられないよう置物のようにされてしまうこともある。この店の希少性の高さも言うまでもないが、それでも今日も人々の笑い声が歴史的建築に響き渡り、新たな歴史を作り続けているのである。

さて最後に、私からひとつ提案である。

ビール党の方々は、おそらくドーンとたっぷり飲める大ジョッキをオーダーする向きも多いはずだが(もちろんそれも最高だが)、ここはあえて、グラス(金口)で頼み、杯数を重ねていく飲み方も推したいのだ。

個人的には、このくらいの大きさのほうが、泡も冷たさも張り詰めた、最高の状態の気がするのだ。ちょっとコスパが……とは、ここへ来たときくらい、言わないでいいじゃないですか。

住所:東京都中央区銀座7-9-20/営業時間:11:30~21:30LO(金・土・祝前日は~22:00LO)/定休日:無/アクセス:地下鉄銀座駅から徒歩3分、JR・地下鉄有楽町駅から徒歩7分、JR・地下鉄・ゆりかもめ新橋駅から徒歩7分

取材・文・撮影=フリート横田

文筆家・ノンフィクション作家のフリート横田が、ある店のある味にフォーカスし、そのメニューが生まれた背景や街の歴史もとらえる「街の昭和を食べ歩く」。第6回は戦後、東京五輪や都庁移転など表情を変えていった街・有楽町の『とんかつ あけぼの』で、「すしや横丁」時代から変わらぬ味わいの【かつ丼】を。後編では、有楽町という街の戦後史と『あけぼの』の歩みにフォーカスします。
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