品川湊が忽然(こつぜん)と消え、波の音も潮風も届かない。見上げれば、大きな石の壁が空を覆っている。
初めて見る光景に、おさきは震える体を抱きつつ、よろよろと街道筋に沿って歩き出した。瓦屋根と木造の街並みはいづこやら。水辺でもないのに橋が掛かり、青い親柱を囲む石柱には八ツ山橋と刻印されている。
けれど、辺りを見渡しながら「なんて色にあふれた町なんでしょう」と、目を輝かせた。
徳川の御代とは違いつつも、点在する江戸の名残
見たことのない野菜が並ぶ八百屋があったり、刺し身を盛る料理舟が山積みになった魚屋があったり。店の奥をのぞけば、棚に並ぶのは大好物のせんべいだ。思わず店に入ると、なじみの品川巻の文字が見えた。
「これは、品川海苔ですよね?」
女店主に声をかけると、「昔はねー。でも、私がお嫁に来た昭和40年代にはもう、海苔の養殖は終わっていましたよ」と、カラカラ笑った。
聞けば、江戸、明治、大正と続いた養殖は、その後の昭和で終焉(しゅうえん)。しかも今は令和だという。初めて聞く元号の数々に驚きながら、再び街道に出れば、木札に土蔵相模跡の文字。大きな飯盛旅籠のお店(たな)のはずだが、土蔵造りは跡形もなく、今は見上げるほどの豪勢な建物に変わっている。
さらに進めば、なじみ深い呉服屋さんだ。
足袋のしゃれっ気に惹(ひ)かれて入れば、品川宿を描いた浮世絵や、木造の店構えをそっくり写した紙焼きが奥に掲げられていた。
「お着物で町歩きとは素敵ですね」
と、背中からの声に振り向けば、5代目と名乗る店主の大橋登さんがにこやかに立っている。
店の中に置かれた神輿を指差し、「4代前は宮大工で、品川神社の神輿も作ったんです。その縁でうちは町会の神輿蔵代わり。皆様に見ていただいています」と、胸を張る。品川宿の人たちの普段着を扱い続けて132年と聞き、目を丸くすると、「歴史を知りたいなら、ここからすぐの『街道文庫』を訪ねてみるといいですよ」と、案内された。
その足で向かえば、うずたかく積まれた本の隙間の奥から店主の田中義巳さんがにゅっと顔をのぞかせた。
「何をお探し? 品川宿の歴史ですか。あぁそれなら……」
森のような書庫からひょいひょいと見繕うと、「近くのブックカフェに、入門編のわかりやすい本がたくさんあるので、そちらに行きましょうか」。
田中さんに誘われて付き従うと、そこは暖簾(のれん)が下がった異世界の店構え。中から漂うおいしそうな匂いに釣られて、盛大におなかが鳴った。
「最近、ホットドッグのクッペパンと生スコーンを焼く工房の稼働がスタートしたんです。自家製ソーセージに加えて、丸ごと手作りになりました。食べてみてください」
ご主人、佐藤亮太さんに勧められて口に運べば、あふれる肉汁の旨味、野菜の香りにうっとり。あぁ、こんな食べものがこの世にあるなんて!
その間も本をあれこれ見繕ってくれた田中さんから話を聞くうち、品川宿の変遷のあらましを、ざっくりとだが、理解できた気がする。
「せっかくだもの。今の品川宿を見て歩いてみますわ」
時代が交錯しながら受け継がれたものとは
改めて街道を見回すと、石標に本陣跡と刻まれていたり、異国の文化が入って造られるようになった赤い煉瓦塀を見つけたり。品川橋は木橋ではなく、石(コンクリート)造りに変わり、川筋も変わっているような。
「ここは昭和初期、オランダ技師によって治水されたんです。でも、見てください。街道の道筋も道幅も江戸の頃から変わっていないんですよ」
とは、昭和の旧交番から出てきた、旧東海道品川宿周辺まちづくり協議会の和田富士子さん。
「そして今は、品川宿らしい町並みを残すため、景観の整備を進めています」。
戸を開け放つ『畳 松岡』では、仕事ぶりに見惚れていると、次々と人が立ち寄っては町の話をしていく。
「大国魂神社の祭礼に、品川沖の清めの海水を汲む神事があるんです。その時、神官が往来する品川道ってのを、もっと知ってもらいたくてね」
さらに、様子を見に追いかけてきてくれた大橋さんからは、町のみんなで戦後の夜道に街灯をつけて安心して歩けるようにした話などが飛び出した。町のため人のために奔走するのが誇りという口ぶりは、よく知る江戸時代の人たちの背中に重なる。
お参りに訪れたことのある品川寺に着くと、江戸六地蔵の第一番が変わらぬやさしい眼差しを向けている。尊顔を拝みながら、品川宿の人たちの気心よく世話好きな姿と、町に対する強い思いに胸が熱くなってくる。
「いくら時代が変わっても、品川宿の根っこは変わらないんだわ」
そう腑に落ちた瞬間、夕霧が急に立ち込めた。すると今は滅多に突かぬと聞く大梵鐘の音が、霧の向こうで鳴り、懐かしく響いた。
品川宿の変遷
江戸
東海道第一宿には古刹が多く、その門前町から町の歴史が始まる。入り口近くの歩行新宿(かちしんしゅく)には茶店が並び、飯盛旅籠(めしもりはたご)が北品川宿と、目黒川を越えた南品川宿に軒を連ね、参勤交代の大名行列が往来。幕末の志士が訪れた場所も点在する。また、入り江ゆえの遠浅の海が迫り、海苔養殖も盛んだった。
明治
吉原に次ぐ遊郭街として知られ、遊郭出入りの商店が林立。明治創業の店は今も街道沿いに点在する。また、明治5年(1872)、品川宿の入り口そばで品川駅が開業。レンガなど近代工場が目黒川沿いに立ち並んだ。
大正
鉄道の発達と同時に宿場町の機能は薄れたものの、遊郭を中心ににぎわいは続き、コンクリート造りやレンガ塀が増えて近代化。また、湾の埋め立てが進み、品川宿沿岸も工事開始。海が遠のいていった。
昭和
戦後、暗い夜道を照らす街灯が町の人たちの尽力で商店街に設置された。昭和30年代には、赤線の廃止で遊郭は簡易宿泊所などに変貌。また、品川の漁師たちが漁業権を放棄。都市化が一気に加速する。
平成・令和
再開発の嵐を抜け、八ツ山から鈴ヶ森までの3.8㎞は宿場町風情が奇跡的に残ったと注目されるように。宿場文化や歴史を紡ぐべく、まちづくりの会も発足。町並みの修景や各宿場町との連携活動が始まる。
受け継がれ息づく、品川宿の町並み紹介
せんべい あられ処 あきおか [北品川宿]
ご当地名物、品川巻で磯の香りを懐かしむ
遠浅の海で海苔を養殖していた品川界隈。その海苔をくるりと巻いた細長い醤油あられが品川巻540円だ。「以前は米をつき、屋根裏で陰干していたんですよ」とは、3代目の女将さん。今も地元に親しまれている。
●10:00~19:00(日・祝は~18:00)、火休。☎03-3471-4325
尾張屋呉服店 [北品川宿]
太物・浴衣から和物雑貨までそろう
「日常使いの衣料品を扱ってきました」とは、5代目の大橋登さん。絹や綿、麻の反物、浴衣を扱うが、昨今は部屋着としての作務衣が人気上昇。他にも久留米絣かすりのカフェエプロン、ソックスタイプの足袋など、和柄ファン垂涎品が揃う。
●10:00~18:00、日休。☎03-3471-3748
街道文庫 [北品川宿]
街道にまつわる資料本の森
店主の田中義巳さんは、品川宿、品川区、各地の宿場を中心に、歴史、文化、産業などに関する資料本の蒐集家。「かなりマニアックなので、KAIDOになかったら相談に来て」と笑う。店内は激狭の古書店ゆえ、身軽な格好で来店を。
●11:00~20:00ごろ、不定休。☎03-6433-0349
KAIDO books & coffee [北品川宿]
コーヒー片手に多彩な古本を探す
店主・佐藤亮太さんの地元、品川宿を中心に、旅をテーマに掲げるブックカフェ。写真集、随筆、地域誌、食など幅広し。また、自家工房で焼き上げるホットドッグや各地で焙煎された豆を用いたドリップコーヒーも味わい深い。
●10:00~18:00、火休。☎03-6433-0906
南品川櫻河岸 まちなか観光案内所 [南品川宿]
小さな旧交番で町の今昔を知る
洋風洗い出し左官仕上げの旧交番を修復。緑の扉や木製上げ下げ窓が愛らしく、今春4月に町の案内所へ生まれ変わった。町歩きのパンフレットなどが充実し、町の歴史やスポット、これからの町づくりについても答えてくれる。
●10:00~17:00、火・水・金・日休。☎なし
畳 松岡 [南品川宿]
いぶし銀の店構え。技で支える畳文化
大正4年(1915)築の木造建築が渋い! 7代目の松岡清隆さんは「かつては道向こう10m先ほどは海。潮風避けだろうね」と、街道沿いの棟だけ平屋の理由を話す。寺からの注文の他、洋間の置き畳受注にも応える。
●8:00~17:30、日休。☎03-3471-8060
品川寺(ほんせんじ) [南品川宿]
江戸時代より旅人を見守るお地蔵様
空海開山の古刹と伝わる。江戸の出入り口6カ所に配された江戸六地蔵の第一番が門前にあり、街道に向かって鎮座。また、江戸末期のパリ万博出陳の際、行方不明になり、昭和5年(1930)に帰還した「洋行帰りの大梵鐘」もある。
●6:00~17:00、無休。☎03-3474-3495
取材・文=佐藤さゆり(teamまめ) 撮影=加藤熊三
『散歩の達人』2022年7月号より