ジャンルを問わず新しい味でお客を楽しませる

昼の来店客の7割が注文するという人気メニュー、今週の丼セット。さっそくオーダーしてみよう。この日のセット内容は、生のりとろろのせ海鮮丼と、豚とゆばのサンラータンメン。

海鮮丼と麺類を一度に楽しめる今週の丼セット1150円。ボリューム満点、彩りも豊かで食欲をそそられる。
海鮮丼と麺類を一度に楽しめる今週の丼セット1150円。ボリューム満点、彩りも豊かで食欲をそそられる。

「お客さんにいろんな味を楽しんでいただけるように、2つとも週替わりにしています。海鮮丼にのせるトッピングを変えて、いろんなジャンルの麺類をご提供しています」と教えてくれたのは店主の渡邊一敏さん。

出汁でのばしたとろろをのせた海鮮丼のほかに、ナムルや海老マヨ、ねぎとろユッケをのせたものなど、変わり種も出している。麺類は、アジフライそば、タンドリーチキンのせうどん、ゴーヤチャンプルーうどん、などなど一風変わった味つけのものも。「次はどんなものをお客さんに食べてもらおうかと考えるのが楽しい」と職人さんたちは笑顔で話す。

かつお出汁でのばし、塩と薄口しょうゆで味を整えたとろろには、青のりやめかぶ、明太子、梅が加わることも。
かつお出汁でのばし、塩と薄口しょうゆで味を整えたとろろには、青のりやめかぶ、明太子、梅が加わることも。

それでは、まず海鮮丼から賞味することに。本日の具材は、中トロ、鯛、平政、アオリイカ、平貝。旬の魚をメインにおいしいものを市場で見極めているそうで、具材の内容は仕入れによって毎日変わる。

ほんのり温かいごはんの上に、しょう油・みりん・酒に軽く漬かった5種の刺身が盛りだくさん!
ほんのり温かいごはんの上に、しょう油・みりん・酒に軽く漬かった5種の刺身が盛りだくさん!

ひと口大の賽の目なので、口の中でいろんな食感が楽しめて、一粒一粒が味わい深い。さらに、舌触り、歯触り、味を決める熟練の包丁さばきが、魚介の旨味を倍増させている。

切り口ひとつでおいしさが一変するのだと改めて実感。親方の包丁さばき、お見事です!
切り口ひとつでおいしさが一変するのだと改めて実感。親方の包丁さばき、お見事です!

週替わりの麺類も実にユニーク! 基本は和食、だけど「こだわりがない」のがこだわり

しかし、日本料理店なのになぜラーメン? 今週はサンラータンメンにしてみようとアイデアを出した職人の江ヶ﨑強志さんに聞いてみると、「お客さんを飽きさせないように、奇をてらったものにもチャレンジしてます」。意外性を追究していくうちに、ジャンルは多国籍に及んだようだ。

高校卒業以来、『板前心 菊うら』で修業し続ける江ヶ﨑強志さん。その成長を見守ってきたお客さんは数知れず。
高校卒業以来、『板前心 菊うら』で修業し続ける江ヶ﨑強志さん。その成長を見守ってきたお客さんは数知れず。

丼セットの麺類を作るうえでのポイントは、「和食の丼ものと一緒に食べていただくので、甘味や辛味、酸味が主張しすぎないように、やさしい感じの味に仕上げてます。ごはんを食べる時の汁がわりになるようにって、いつも考えながら作ってます」。

サンラータンメンはゆば入り。和の食材や旬の味覚を取り入れる工夫は、日本料理店ならでは。
サンラータンメンはゆば入り。和の食材や旬の味覚を取り入れる工夫は、日本料理店ならでは。

確かに! 辛すぎず酸っぱすぎず、中華料理店のサンラータンメンとは別もので、和の出汁の風味がしっかり感じられる。ほどよい酸味で口の中が何度もリセットされるので、自然とごはんも進む。最後は一滴も残さずにスープをするすると飲み干してしまった。

あさりと小松菜の辛子和えと香の物。今週の丼セットには箸休めが2品付いている。
あさりと小松菜の辛子和えと香の物。今週の丼セットには箸休めが2品付いている。

「うちは新人の頃から一品、担当を任せるんですよ」と渡邊さん。「こだわりがないのがこだわりなんで」と、若手の自由な発想も積極的に取り入れているという。また、自分が作った料理をお客さんに食べてもらって、「おいしい」のひと言をいただくことで職人の魂が磨かれていくのだとも。

本日いただいた副菜は、職人歴6年の瀧澤良太さんの手によるもの。親方や先輩と和気あいあいとかけあいながらも、調理に専念する時のまなざしは真剣そのものだ。

「いつか自分の店を持ちたい」と夢を抱き、日々研鑽を積む瀧澤良太さん。
「いつか自分の店を持ちたい」と夢を抱き、日々研鑽を積む瀧澤良太さん。

渡邊さんが病気で半年ほど板場を離れた時は、江ヶ﨑さんを中心に若い職人たちが見事に店を切り盛りした。その様子をカウンター越しに見ていた十年来の常連さんが、「あの強志が親方の代わりに……」と目を細めていたという。

職人たちを家族のように想う先代の遺志を継ぐ

平成の初期に創業した『板前心 菊うら』。当初は新宿コマ劇場近くの小さな店だった。2002年、現在の場所に移転。グルメな人びとの注目を集める繁盛店となった。

新宿大ガード西交差点から徒歩5分ほどの場所にある『板前心 菊うら』。
新宿大ガード西交差点から徒歩5分ほどの場所にある『板前心 菊うら』。

店を移転してから15年が過ぎて順風満帆と思われていた矢先、創業者の菊浦達氏が体調を崩され亡くなる。皆が悲嘆に暮れるなかでこのまま店を続けていけるのか、誰もが答えを出せずにいた。その時、「『菊うら』は僕が守っていきます」と手を挙げたのが渡邊さん。菊浦氏と女将が全幅の信頼を寄せる職人が『板前心 菊うら』の窮状を救ったのだ。

カウンターは12席。かつては、板場に立つ先代と常連客がカウンター越しに会話を楽しむ姿も見られた。
カウンターは12席。かつては、板場に立つ先代と常連客がカウンター越しに会話を楽しむ姿も見られた。

渡邊さんは故郷の青森を出て上京して以来、30年もの間、先代に仕えてきた。「修業の身で初めて入った店で親方と知り合って、親方が別の店に移るっていう時には僕も一緒についていってね。ずーっと一緒に仕事をしてきたんですよ」と、当時を懐かしむ。

菊浦氏の右腕として店を切り盛りしてきた、料理長の渡邊一敏さん。今は亡き先代の跡を継いで店主となった。
菊浦氏の右腕として店を切り盛りしてきた、料理長の渡邊一敏さん。今は亡き先代の跡を継いで店主となった。

店を継いだ理由を伺うと、「志を持った若い職人が一緒にがんばってくれていて、私たちを応援してくださるお客さんもたくさんいます。何よりここは、巣立っていった子たちの心の拠り所ですから。なんとしても続けようって決心したんです」。

店に入ってすぐ左手の棚には、創業者・菊浦達氏の写真と、女将・美貴子夫人との似顔絵が飾られている。
店に入ってすぐ左手の棚には、創業者・菊浦達氏の写真と、女将・美貴子夫人との似顔絵が飾られている。

職人やスタッフを家族のように大切に思っていたという菊浦氏。その想いも受け継いで親方となった渡邊さんは、今も尊敬する兄貴分の背中を追いながら多くの若手を育てている。

愛情深い親方に時に厳しく時に優しく導かれながら、楽しそうに料理を作る『板前心 菊うら』の志高き職人たち。彼らの成長ぶりを先代もきっと、天国で見守っていることだろう。

住所:東京都新宿区西新宿7-16-3 第18フジビル1F/営業時間:11:30~13:00LO・17:30~21:00LO/定休日:日・祝(2022年6月現在は水も休み)/アクセス:地下鉄大江戸線新宿西口駅から徒歩3分、JR・私鉄・地下鉄新宿駅から徒歩5分

構成=アート・サプライ 取材・文・撮影=コバヤシヒロミ