楽しい個人商店が連なる目白通り
筆者が上京したての頃。知人がひとり暮らしする目白を訪ねた時、少し違和感を覚えた。新宿や渋谷は田舎モンでも大衆にまぎれこめる安心感があったけど、目白は「あなだはだれ?」と問いかけられる感じ。
その違和感は、学習院や歴史ある高級住宅地のハイソなイメージから来るものだったかも知れない。山手線各駅のメジャー感や自己主張感に比べ、目白駅には一歩引いた奥ゆかしさを感じたのだ。
改札を出て、目白通りを東へ行くと学習院だけれど、今回はまず西へ。通り両脇の目白銀座商店会は個人商店が健在で、一部アーケードも残る。「オープンレジデンシア目白avenue」があるのも、商店街沿いだ。
「全住戸角部屋の造りで独立性・採光性に優れています。ここは高台で南側は高田馬場方面に下り斜面になり、かつ、第一種低層住居専用地域で高い建物が無いので、中層階以上の住戸の南方面は眺望も素晴しいんですよ」と石川さん。
目白通りから北へ一本入った小路が、通称・目白骨董通り。古美術店が点在することから、その名が付いた。
「この辺はお屋敷街で、昔は各お宅に伺うと骨董品のいい掘り出し物がたくさんありました」とは骨董歴半世紀の『日吉丸』店主・中村𠮷晴さん。骨董通りのすぐ北には、尾張徳川家の屋敷跡に作られた高級住宅地、徳川ビレッジも!
近衛家と将軍家にゆかりある贅沢立地
今度は目白通りから南へ入ると、こちらも落ち着いた雰囲気の住宅地。パタゴニアがぽつんと一軒あるのも、なんだかニクイ。その住宅地にあるのが、『アダチ版画研究所』だ。
ここは、浮世絵制作の技術を継承した彫師(ほりし)・摺師(すりし)を抱える、世界で唯一の版元! 代表の中山周さんいわく「もともとは商業印刷から始まった浮世絵は、1枚の絵に使う版木は通常5枚程度。日本ならではの省略美、制約のなかでいかに美しく表現するかが浮世絵の魅力ですね」。
『アダチ版画研究所』から5分ほど歩くと、3度首相を務めた近衛文麿の邸宅跡に建つマンション「パークコート目白近衛町」が見えてくる。一帯は、通称・目白近衛町と呼ばれ、由緒ある高級住宅地だ。マンション前の道のド真ん中には、大きなケヤキが!
「この木は“近衛のけやき”と呼ばれ、かつて近衛家邸宅の玄関先に立っていました。戦後は伐採されそうになりましたが、地域住民の願いで保存されることになりました。マンション目の前の道路にロータリー状に残っているのが珍しく、これがまるでシンボルツリーのように重厚な建物を彩っています」と石川さん。
一方、将軍家の狩猟場だったおとめ山公園に隣接するのが、「グランドヒルズ目白御留山」。園内は目白通りの賑わいがウソのように、静かな林が広がっている。
「分譲当時は、マンションと公園の間にもう1つ建物がありました。その後、公園が拡張されたことで、まるでプライベートの前庭のようにマンションと公園が隣接するようになったんです」。
急坂のご褒美に新進気鋭のブルワリーが待つ
いったん離れた山手線と再び近づくころ、線路の上の方に『切手の博物館』の文字が見えてくる。国内外の切手を約35万種も所蔵するミュージアムだ。「あらゆるものが描かれている切手を見れば、お国柄や発行時の世界情勢を知ることが出来る」と教えてくれたのは学芸員の田辺龍太さん。
「ここに当館ができたのは偶然ですが、いま思えば文化的な薫りのする目白にあって良かった、と思っています」
切手の博物館のはす向かいには、「目白ガーデンヒルズA~C棟」が建つ。こちらのコンセプトは、学習院の自然林と一体になる“目白の杜”。開発敷地のうち約4000平方メートルを緑地化し、学習院の杜との連続性を保っているのだ。
さらに西へ歩くと、高層棟の「目白プレイスタワー」と中層棟の「目白プレイスレジデンス」からなる、「目白プレイスタワー」が。
「目白エリア初のタワーレジデンスです。ゼネコンである鹿島建設が設計・施工だけでなく自ら分譲までしている珍しい案件で、建物のスペックの高さに自信がうかがえます」。
最後は急登ののぞき坂を上って、再び目白通りへ。2021年にオープンしたばかりの『INKHORN BREWING』でクラフトビールを飲めば、坂でにじんだ汗もすっと引く。
「正面の窓を開けっぱなしにすること、中で飲んでる人、タップ、醸造タンクが通り沿いから見える。『ビールを主役』とした店内設計にこだわりました」と代表の中出駿さん。
目白駅に戻ったら、目白を反時計回りでぐるりと歩いた散策も大団円。個人商店や小さなミュージアムなど目白の魅力にふれたせいか、「あなたはだれ?」の声はもう聞こえない。ひょっとしたら、『INKHORN BREWING』で杯を重ねすぎたせいかも知れないけれど――。