『徳兵衛』を彩る「でたらめ」なエピソード

散歩の達人編集部があるのは神田の外れ。『兵六』や『赤津加』のような名酒場だって遠くはないのに、僕らの仕事終わりはいつも『徳兵衛』だった。なぜだろう?

東京のど真ん中エリア、神田・神保町。いい酒場が多いのは当たり前。その中でもカウンターの経年変化が美しい老舗中の老舗や、今後多くの酔客が楽しい夜を過ごすだろう新名店を、新旧織り交ぜ飲み歩いた。東京が誇る、美しきほろ酔い空間をご覧あれ。

一つには終業時間が遅いからというのもある。しかし、それにしてもいつも『徳兵衛』すぎたと思う。

いわゆる老舗ではない。そこそこ古いが、テーブルも床もうす汚くて油っぽく、酒も肴も別段うまくはなく、作る側にたいしてこだわりはないだろう。安いといえば確かに安いが、そういう店はほかにもあるだろう。

あえて言えば、「でたらめ」なところが好きだったかもしれない。

たとえばホッピー。中身(焼酎)の量が冗談のように多く、あっという間に酔っぱらう。

だってなみなみジョッキ一杯に中身が来て、それを違うグラスに入れて外で割るのだ。結果、帰り際に階段をすべり落ちたことがある。

ジョッキになみなみと注がれた「中」。この店では、「外」をお代わりするのがデフォルト。

メニュー板にある「焼き鳥」はいつも売り切れで、幻のメニュー的存在だった。一度だけ開店一番乗りして、ありついたことがあるが、味は普通。特に語ることはなかった。だから、いつも頼んでいたのはポテトフライだ。

つまみはいろいろありますが……、
いつも頼むのはポテトフライだった……。

壁の一角をジャズのCDの棚が占めている。「おれジャズ好きだからさ」とマスター。しかし、ケースを開けると空っぽというパターンが多かった。

マイルスやモンクのモノクロのポートレートも飾ってある。

「昔は上向いてるラッパのやつもあったよ」とマスター。

「ガレスピーですか?」

「うーん……忘れちゃった」。

コレクションが渋いジャズのCD棚。
セロニアス・モンクのポートレート。

そもそもこのビルにはそれぞれ違う経営者の「徳兵衛」が3軒も入っていた。でもロゴデザインは全部一緒。だから下からビルの壁を見ると「徳兵衛」「徳兵衛」「徳兵衛」と赤い看板が連なっていて、クラクラするのだった。

いわゆるミロの路地から入る。喫茶「ミロ」も消えて久しいが。

そんなエピソードの数々は、いわゆるネタとして最高。確かに楽しませてもらった。だが、それだけで通っていたわけではない。

僕ら以上に古く、頻繁に通う常連客も多かった。

例えば近所の有名大学に勤める偉い先生がた。特に自己紹介するわけでもないが、顔つきや恰幅に威厳を感じるようなご年配も多かった。

まあ、酔っぱらっちまえばみんな一緒だ。

早川マスターの知らざる半生

その『徳兵衛』がいよいよ閉店すると聞いて、新旧編集部員が集まったのは7月終わりのこと。

この日のマスターはいつもに増して上機嫌だった。「写真撮るんでしょ? どれ、どんな感じ? ちょっと見せてよカメラマン。お、俺が一番かっこいいじゃん。いいよ、これ、これで行こう」

この日、すこしだけマスターの半生を取材した。せっかくなので書いておきたい。早川哲(あきら)、それがマスターの本名だ。御年74歳。御茶ノ水駅前のビルの3階で『徳兵衛』の店長となって30年。

意外にも、以前の職業は美容師だったという。

「昔はすごかったんだよ。渋谷をはじめ、自由が丘、吉祥寺、西荻窪と全部で6店舗もやってたんだから」

当時の写真を見せてもらっておどろいた……か、かっこいい。時の流れの残酷さを思わずにいられない。

若かりし頃のマスター。
今のマスター。

しかし、栄光の日々は長くは続かなかった。「やっぱうまくいく店とそうじゃない店があってね。俺はお金ことはあまりよくわかんないから、適当にやってて、気づいたら1億円の借金かかえちゃってさ。だから、夜逃げよ」

さもありなんという気がした。数年は借金取りから逃げまわる生活が続いたという。

「毎日女房から500円もらって、喫茶店でコーヒー飲んで新聞読んでって生活してたの。で、ある日、そこの『穂高』でコーヒー飲んでたら、“店長募集『徳兵衛』”って新聞広告を見つけてさ。よく見たらすぐ近くじゃない。じゃあダメ元でいっちょ行ってみるか、で即採用」

もともとこのビルの違う階に初代『徳兵衛』があり、まずまずうまくいっていたところに、3階のテナントがあいたので、オーナーはなるはやで新『徳兵衛』を出したいと考え、募集広告を打った。そこにタイミングよくマスターが飛び込んだのだ。

「でも最初は全然客が来なくて、大変だったよ」

でしょうね。だって特に特徴ないもの。どうやって増えてったんです?

「いや、それはもう徐々にだね。すぐには増えない。本当、だんだんと増えていった感じよ。だんだんとね」

わかります、なんとなく。それしかないでしょう。でもコロナでも客足は変わらずですか?

「うん。まあ、あまり変わらない」

それはすごい。

「心配してくれる人は多かったよ」

僕らも陰ながら心配してましたけど。

「常連の一人にえらいお医者さんの先生がいてさ。うちには学生のころから来てるから、別に偉そうにはしないけど」

本当は偉いんですね。

「そう。最近来ないなあと思ってたら、ある日急にやってきて、“しばらくは来れないから、これ”ってさっと分厚い封筒差し出して帰っちゃった。中見たら一万円札がぎっしり!」

それはすごい!

「だから、大丈夫なんだよ。ちょっとやそっとじゃ大丈夫。だてに30年やってきてないんだよ」

おみそれしました。

じゃあなんでやめるの?

でも、ちょっと待って。じゃあ、どうして閉店するの?“大丈夫”ならもっとやればいいじゃないすか?

「実はここ数年、駅前再開発で立ち退きを迫られてさ。でもなんとなく粘ってたの。そしたら『8月中に出て行ったらン千万円』って条件出されて、(親指と人差し指で輪っかを作りニカっと笑いながら)もうこのへんが潮時かなって(笑)」

あはは……そうか。残念だけど仕方ないか。

余人をもって代えがたき人と店

風格や品格はあまりないけれど、いつもニコニコ笑っている。いつも赤ら顔で金勘定にはうといけどお金は大好き。きっとみんな、このマスターの人間的な人柄にひかれてきたのだと思う。

一日の仕事終わりに気合の入った名酒場は必要ない。上着を脱ぎすてて、素の自分に戻れる場所は、これぐらいゆるいほうがいい。

つまり、「ふるさと」のようなものだろうか。僕らは時々帰郷していたのだろうか。それにしてもこれからはどこに帰ればいいのだろう……と一瞬思いを巡らせて、すぐ打ち消した。

今時こんなでたらめな「ふるさと」、他に探し出せるわけないじゃないか!

 

取材・文=武田憲人(編集部)
撮影=大八木宏武