未だに“お坊ちゃん”的な甘い考え方なので、基本的に頑張らないのだ。それでも、最近ではダラダラと仕事や問題を片づけつつ、その達成感に浸ることができるようになった。先日も、とある厄介な仕事を終え、これはぜひともごほうびが欲しくなった。

酒飲み中年男のごほうびといったらなんだろうか。答えは“ウマい料理”しかない。それを目指して向かったのが、自由が丘である。

おしゃれな街でごほうび料理をいただくとなると、それなりに先立つものが必要だが……否。あるんですよ、“庶民的”な店が。

自由が丘で唯一かもしれない“庶民的”が、駅からすぐの「自由が丘デパート」で、その昭和レトロな細長い建物の2階にその店があるのだ。

出たっ、『味の一番』だ! なんですか、このおしゃれとは無縁な豚ちゃんの看板は。店名より大きく書かれた文字、「すき焼き とんかつ」こそが、お目当てのごほうびなのだ。

この雰囲気だけですでにごほうびだが、まずは中に入ろう。中に入って、もっと歓喜しよう。

 

「いらっしゃいませ~」

くぅぅぅぅっ、いいですねぇ~! 外観からは想像がつかないほど中は広く、大きなテーブルが数台とリザーブ酒で占領されたカウンターがある。

さらに奥には座敷まで! 本格的な料亭風で“畳テーブル”まである……これは確実に座敷がいい。いや、昔からごほうびは座敷で正座でと決まっている。畳にドッカリと胡坐(あぐら)をかいて、まずは祝杯だ。

この分厚いテーブルに、瓶ビールとグラスがよく画(え)になる。さて、ごほうびを始めましょうか!

ごぐんっ……ごぐんっ……ごぐんっ……、ごごごごごほうびさいこぉぉぉぉっ!! 畳に足をバタバタさせて、歓喜の踊りだ。そしてだよ、これから店先の豚ちゃん看板のアレたちがやってくるのですよ。

 

「前、失礼しますね」

女将さんがやって来てテーブル中央の丸フタを開けると、中からよく磨かれたガスコンロが現れた。

そこにゴツンと重厚な鉄鍋が置かれる。この時点で、もう、何だかいい匂いがしてきた。カチャポンと火を点け、そのまましばらく待つ。うわぁ、緊張してきたかと思うと……やってきました。

 

「こちら、すき焼き2人前です」

「うわっ!」

美しいが過ぎるっ! なんスか、この霜降りのお肉は……なんかもう、自然界にこんな美しい色どりが存在するのかと疑ってしまう。このまま景色のようにずっと眺めていたいものだが、そうはいかない。ありがたいことに、最初だけ女将さんがすき焼きのアテンドをしてくれるようだ。

うっすらと白い煙が鍋から上がると、女将さんは牛脂をトンッと鍋に入れる。ジュワァっという音と共に脂のいい香りが漂い、菜箸でまんべんなく鍋に脂を塗る。

そこからネギ、シメジ、椎茸、しらたきが行儀よく並べられ、

ついに……

いやぁぁぁぁ!と、悲鳴にも似た歓喜。野菜たちを踏み台にするかのごとく、霜降り肉が野菜の上に並べられていく。

それが終わると、ダシが鍋にジョバリと浸されていく。シンジラレナイ、トンデモナイ、いい香りが店の中を充満させていく。

 

「しばらくお待ちください」

女将さんのブレイクで、やっと一呼吸……と思ったのも束の間。本日、2つめのごほうび料理がやってきたのだ。

とっ、とっ、とっ、とんかつだぁぁぁぁぁっ!! 大好物中の大好物、こいつをごほうびに入れないワケがない。衣の立った黄金色のとんかつと、ツンモリとしたキャベツ。すき焼きに火が通るのを待ちながらとんかつをいただけるって……前世にどれだけ良い行いをしたら、こんなごほうびをもらえるのか。

箸先に伝わる衣のカリカリ感、旨脂が滴ってしかたがないとんかつの断面。ソースなんていらない、そのままガブリと食らいつくと──ウマいっ! そんでもって、なんて柔らかいのでしょう。ひと噛みひと噛み、おいしいとんかつジュースが口の中にあふれ、どうしても咀嚼を止めることができない。過去最高にウマいとんかつだ。

 

「コトコト……、グツグツ……」

あっ、あああああ……!!

今しがた、とんかつに魅了されていたと思ったら、追い打ちをかけるように、もうひとつのごほうびが仕上がった。

“完璧”という言葉以外、なんと表現したらいいのか。沸騰したダシの泡……泡がウマそうだなんて、初めて思った。

生卵をチャッチャとかき混ぜる。決して、かき混ぜ過ぎはいけない。軽く、気持ち程度でいい。

赤みが少し残った牛肉を、サッとダメ押しでダシに潜らせ、生卵に潜らせ……いざ!

 

はふっ、ほふっ、あちちっ……

 

う──ん──め──えぇぇぇぇッ!!

口に入れた瞬間、すき焼き全体の香りがグワンと鼻孔を突き抜け、舌の芯まで牛肉の旨味が染みわたり、形は留めずともその存在は強烈に残る。

その旨味をしっかりと受け止めたネギや春菊、椎茸にしらたき、そして豆腐。豆腐……なんだこれは……こんなに、ウマいことがあっていいのか? いや、いいのだ。何度も言おう。ウマい、ただひたすらにウマい……おや?

う・ど・ん、だと!? 具材の乗った皿の下に隠れうどんがあった! ちょっと待ってくれ、まさかこれをウマすぎるダシの中に投入なんてしようもんなら……

そりゃ、こんなんなっちゃうでしょうよ! こんなんなっちゃったところを、ズルッ、ズルルルルッとツユが飛び散るのも気にせずすする。こんな短期間で、こんなにダシを吸って、こんなにもウマくなるものなのか。うん……もうね、これはただの奇跡だ。奇跡の“ウマい”だ。

 

 

圧倒的、圧倒的なウマさに、もはやごほうびどころか罪悪感すら感じる。人生で“ウマい”という言葉を発する回数が決まっているのであれば、間違いなく今日で制限がかかっただろう。

私は、ふと、思い出していた。裕福だった実家の現在は、屋根に大きな穴が空いて雨漏りし放題、トイレもまともに水が流れないほど落ちぶれた状態だ。

明日も頑張ろう、ごほうびのために。決して屋根やトイレの修理費を稼ぐためではない。このすき焼きととんかつというごほうびのために、頑張ろう。

『味の一番』

住所: 東京都目黒区自由が丘1-28-8 自由が丘デパート2F
TEL: 03-3717-4855
営業時間: 11:00 ~21:00
定休日: 水
※文章や写真は著者が取材をした当時の内容ですので、最新の情報とは異なる可能性があります。

取材・文・撮影=味論(酒場ナビ)