今やサザンオールスターズが街の象徴の茅ケ崎。サザン以外にも加山雄三からSuchmosまで街に関わりの深いミュージシャンは非常に多い。茅ケ崎在住の音楽評論家にそのワケを聞いた。
石原裕次郎は「狂った果実」以外にもハワイアンの曲を数多く歌った。加山雄三や尾崎紀世彦も愛したハワイアンは湘南らしい音楽だ。
石原裕次郎は「狂った果実」以外にもハワイアンの曲を数多く歌った。加山雄三や尾崎紀世彦も愛したハワイアンは湘南らしい音楽だ。

たとえば大滝詠一が「湘南サウンド」の起源としているのは1956年の石原裕次郎の主演映画『狂った果実』。同作では裕次郎がウクレレを弾き語る場面があり、舞台は逗子や鎌倉だった。そして「湘南」の代表的バンドとして扱われがちなTUBEも、メンバーの出身地はほぼ神奈川県北(厚木市、座間市、町田市)。一時「湘南発」のキャッチコピーも付いたSuchmosも、メンバーの多くは横浜市出身だ。

つまりメンバーの出身地が湘南から多少ズレていても、その音楽に「海」「夏」「ヨット」「リゾート」「オシャレ」「サーフィン」的なイメージがあり、葉山〜大磯エリアの海辺に関連を見いだせそうな音楽が、「湘南サウンド」と呼ばれてきたのだ。

アルバム『湘南』をはじめ、夏、海、湘南をテーマとした作品を多くヒットさせているTUBE。バンド名もサーフィン用語が由来だ。
アルバム『湘南』をはじめ、夏、海、湘南をテーマとした作品を多くヒットさせているTUBE。バンド名もサーフィン用語が由来だ。

バブル前夜の音楽は「湘南」っぽかった?

角松敏生は東京都出身だが、1981年のデビュー作『Sea Breeze』のジャケは葉山で撮影。初ライブも葉山。夏、海のイメージも強かった。
角松敏生は東京都出身だが、1981年のデビュー作『Sea Breeze』のジャケは葉山で撮影。初ライブも葉山。夏、海のイメージも強かった。

なお「湘南サウンド」という言葉が広く使われるようになったのは1970年代後半〜80年代前半。その時代は大瀧詠一の『A LONG VACATION』(81年)や山下達郎の『FOR YOU』(82年)などのリゾート色の強いシティポップが人気となり、松任谷由実もライブ『SURF & SNOW in Zushi Marina』を始めた時期(83年)。また杉山清貴&オメガトライブが人気で(湘南エリアが歌詞に登場する曲もあり)、角松敏生もデビューアルバムの撮影場所が葉山。バブル前夜の当時は、リゾートっぽい=湘南っぽい音楽が全盛期だったともいえるのだ。

キマグレンの2人は逗子育ちで、海の家ライブハウスを一緒に立ち上げる過程で結成。「湘南」つながりで加山雄三との共演経験もある。
キマグレンの2人は逗子育ちで、海の家ライブハウスを一緒に立ち上げる過程で結成。「湘南」つながりで加山雄三との共演経験もある。

なお近年は「湘南サウンド」という言葉を聞く機会は少なめ。グループ名に「湘南」が付く湘南乃風が「湘南サウンド」に括(くく)られることもない。湘南サウンドとは地域性 ・ 時代性 ・音楽性が複雑に絡み合ったもので、今なお明確な定義が難しいものなのだ。

横浜で結成されたASIAN KUNG-FU GENERATION。全曲名に江ノ電の駅名を冠したアルバム『サーフ ブンガク カマクラ』もある。
横浜で結成されたASIAN KUNG-FU GENERATION。全曲名に江ノ電の駅名を冠したアルバム『サーフ ブンガク カマクラ』もある。

〈茅ケ崎と「湘南サウンド」年表〉

1939年(昭和14年) : 加山雄三の父で俳優の上原謙が茅ケ崎に移住(加山は当時2歳)。以降、その家の前の通りが「上原謙通り」と呼ばれるようになる。
1956年 : 石原裕次郎主演映画『狂った果実』公開。大滝詠一はこの映画や曲を「湘南サウンドの原点」としている。
1960年 : 加山雄三、東宝と専属契約してデビュー。
尾崎紀世彦が「ヒロ・ハワイアンズ」の一員としてセミプロデビュー。
1961年 : 加山雄三、映画「大学の若大将」で若大将シリーズがスタート。「大学の若大将/夜の太陽」で歌手デビュー。以降、「上原謙通り」は徐々に「加山雄三通り」と呼ばれるようになり、アメリカン・ポップスやハワイアンに影響を受けた楽曲は後に「湘南サウンド」と呼ばれるようになる。
1965年 : パシフィックパーク茅ケ崎(パシフィックホテル)開業。
1966年 : ザ・ワイルドワンズが「想い出の渚/ユア・ベイビー」でデビュー。
1967年 : ザ・ランチャーズが「真冬の帰り道」でデビュー。中村八大が「茅ケ崎市歌」を作曲。
1969年 : ブレッド&バターが「傷だらけの軽井沢」でデビュー。
1971年 : 尾崎紀世彦、ソロ2枚目のシングル「また逢う日まで」でレコード大賞獲得。
1975年 : 茅ケ崎にカフェ「ブレッド&バター」開業。
1975年 : 宮治さん・桑田佳祐の「湘南ロックンロールセンター」が第1回のコンサートを開催。
1976年 : 「湘南ロックンロールセンター」第5回コンサートで、桑田佳祐のバンド名が「桑田佳祐とサザンオールスターズ」に。荒井由実がアルバム『14番目の月』リリース。
1978年 : サザンオールスターズが「勝手にシンドバッド」でレコードデビュー。加山雄三がアルバム『雄三通り』をリリース。
1970年代後半~ : この頃から「湘南サウンド」という言葉が使われはじめる。また後にシティ・ポップと呼ばれる楽曲群が数多くリリースされ、その中にもビーチやリゾートをモチーフにした楽曲が多かった。
1981年 : ブレッド&バターがシングル「ホテル・パシフィック」リリース。
1985年 : TUBEが「ベストセラー・サマー」でメジャー・デビュー。
1990年 : 加山雄三がアルバム『湘南に愛をこめて』をリリース。
1999年 : 茅ケ崎海水浴場が「サザンビーチちがさき」に改称。
2000年 : サザンオールスターズが茅ケ崎公園野球場で「茅ケ崎ライブ」を開催。「HOTEL PACIFIC」リリース。サザンビーチまで続く道が「サザン通り」の愛称になり、サザン通りを横切る南口中央商店街もサザン通り商店街に改称。「雄三通り」も正式名称に
2008年 : サザン通り商店街に「茅ケ崎サザン神社」が誕生。
2010年 : 加山雄三が茅ケ崎市民栄誉賞を受賞。
2013年 : 桑田佳祐が茅ケ崎市民栄誉賞を受賞。
2015年 : ボーカルのYONCEが茅ケ崎出身のバンド・SuchmosがCDデビュー。
2020年 : 加山雄三デビュー 60周年モニュメントが設置される。市内で音声合成AIで再現された加山さんの声を流す「茅ケ崎に愛を込めて」プロジェクトがスタート。

今やサザンオールスターズが街の象徴の茅ケ崎。サザン以外にも加山雄三からSuchmosまで街に関わりの深いミュージシャンは非常に多い。茅ケ崎在住の音楽評論家にそのワケを聞いた。

取材・文=古澤誠一郎
『散歩の達人』2021年8月号より

今やサザンオールスターズが街の象徴の茅ケ崎。サザン以外にも加山雄三からSuchmosまで街に関わりの深いミュージシャンは非常に多い。茅ケ崎在住の音楽評論家にそのワケを聞いた。