宮治淳一(みやじじゅんいち)
1955年、茅ケ崎市生まれ。音楽評論家、DJ、音楽プロモーター。『宮治淳一のラジオ名盤アワー』(ラジオ日本)、『宮治淳一のアワ・ヒット・パレード』(FM湘南マジックウエイブ)に出演中。著書に『茅ヶ崎音楽物語』(ポプラ社)など。
加山雄三と桑田佳祐を筆頭に、数多くのミュージシャンを生み出し、「湘南サウンド」の核となってきた茅ケ崎。『茅ヶ崎音楽物語』の著書があり、桑田佳祐さんの同級生でサザンの名付け親でもある音楽評論家の宮治淳一さんに、「茅ケ崎と音楽の関係」について話を聞いた。茅ケ崎に関わりの深いミュージシャンの作品はページの下で確認を!
- 宮治
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僕が生まれたのは市制施行(1947年)から8年目で、人口は今の4分の1の6万人くらい。当時は海岸から2㎞離れた僕の家からも防砂林が見えるほど、街に家も少なかったです。
- 宮治
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上原さんは当時の超ビッグネームなので、その頃の茅ケ崎市民にとっては、今の雄三通りは「上原謙通り」なんです。雄三通りと呼ばれはじめたのは、息子の加山さんが若い世代に人気になってからですね。
- 宮治
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ちょうど小学校への通学路にその家があったんです。たぶん加山さんが近所の親戚の喜多嶋兄弟と、ザ・ランチャーズ【1】の練習をしていたんでしょうね。
サザンも歌にしたパシフィックホテル
- 宮治
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あの施設は加山さんの叔父の岩倉具憲(とものり)さん(岩倉具視〈ともみ〉の子孫)が中心となり、「世界に負けないリゾートを」と茅ケ崎の砂山の上に建てたものでした。観葉植物が並び、温水プールからボウリング、ビリヤードまで様々な遊びがある場所で、建物最上階のバーは茅ケ崎市民は入れない上流階級の空間でした。実際に東京の人ばかりが来ていたようですし、周辺の都市計画も追いつかない浮世離れした空間で、加山さん一族の経営は5年で終わってしまいました。
- 宮治
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その家が岩倉具憲さんの屋敷で、庭には25mプールがあったんですよ。その駐車場を改造して作られたカフェも、まあ茅ケ崎のノリとはまったく違う空間で入りづらかったですね。
- 宮治
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南佳孝さんは茅ケ崎に住んでもいましたからね。やはり東京の人からすると、茅ケ崎のあたりは60分で来れる一番近くのリゾートで、東京のプレッシャーから開放されてボーッと過ごせる場所だったんでしょう。
- 宮治
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それはあるでしょうね。裕福な人や都会の人がリゾート的に利用することで、ふつうの田舎よりも多様な文化が流入しやすい状況があったと思います。
- 宮治
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高校3年生のときに僕が学校の文化祭でライブをやって、彼もそこに出演していたので、「こういうライブを大学に入ったらまたやろう」と話して始めたものでした。
加山雄三からサザンへとバトンタッチが行われた
- 宮治
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そうでしたね。当時はまだ彼のバンドに正式な名前がありませんでしたが、『ぴあ』に情報を出すときに何か名前が必要でした。でも桑田からは約束の日まで連絡がなかったので、僕が風呂場で聞いていたファニア・オールスターズと、ニール・ヤングの『サザン・マン』を組み合わせて、「今回はこれでいいや」と付けたものだったんです。まさかそれが40年以上使われるとは思ってなかったですね。
- 宮治
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感じてましたね。以前は茅ケ崎の話をすると「加山雄三さんの街ですよね」と言われていたのが、ある時から「サザンで有名ですよね」 と変わったんです。加山さんからサザンへと、茅ケ崎の音楽が完璧なバトンタッチがなされたんですよね。
外向きで独自の音楽を作りやすい茅ケ崎の土地柄
- 宮治
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それもあるかもしれないな。あとは海辺の開放感のせいで、内向きじゃなく外向きの音楽を作りたくなるんでしょうね。実際に茅ケ崎からは私小説的なフォークのミュージシャンとかはあまり生まれていませんから。
- 宮治
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科学的に証明できない話ですけど、それは実際にあると僕も感じました。茅ケ崎の東海道線より南側は、もともとただの砂山で、加山さんの家も桑田の家も、有史以来はじめて人が住んだ場所。鎌倉から茅ケ崎に移った知人の音楽家が「鎌倉は空気が重かった」 と言ってましたが、茅ケ崎は真逆です。何せ何もない土地だったし、受け継ぐものも何もないので、オリジナルの文化を作るには最高の場所なんだと思います。
【1】ザ・ランチャーズ
加山雄三を中心に結成された後、従弟の喜多嶋瑛、喜多嶋修の兄弟が加入。加山が抜けた後、1967年に「真冬の帰り道」でデビュー。
【2】パシフィックパーク茅ケ崎
1965年竣工。菊竹清訓の設計で本館は11階建てのメタボリズム建築。最先端の高級リゾートだった。廃業と取り壊しを経て、現在は跡地に高級マンションがある。
【3】(ブレッド&バターの)カフェ
若者のコミューンと化していた600坪の邸宅のガレージを改装して1975年に開業。南佳孝や小坂忠らもライブをした。78年に閉業。
【4】別荘地 ・ 療養地
東洋一のサナトリウムと呼ばれた『南湖院』 や小津安二郎も定宿とした『茅ヶ崎館』が明治32年(1899)開業。九代目市川團十郎ら別邸を構えた文化人も多い。
【5】(茅ケ崎の)ミュージシャン
本文で言及できなかった茅ケ崎在住・茅ケ崎に別邸を構えた音楽関係者には添田唖蝉坊(あぜんぼう)、中村八大(はちだい)、平尾昌晃、MOOMINらがいる。
【6】映画 『茅ヶ崎物語』
2017年公開。茅ケ崎と音楽・芸能の関係性を探る探訪記で、宮治さんや人類学者の中沢新一、桑田佳祐、加山雄三も登場。ドラマ部分には神木隆之介らが出演。
〈話を聞いたお店〉『BRANDIN』
1万枚超のレコードが並ぶ、宮治さんのカフェ
宮治さんご夫妻が1999年に開業したミュージック・ライブラリ&カフェ。60~70年代のポップ・ロックを中心とした宮治さん所有のアナログLP約1万枚を自由に聴くことができ、地元の音楽好きの交流場所としても親しまれる。希少なジュークボックスでの再生も可能だ。
/定休日:水・木/アクセス:JR東海道線・相模線茅ケ崎駅から神奈中バス「辻13辻堂駅南口」行き11分の「平和学園前」下車3分。
〈茅ケ崎に関わりの深いミュージシャンの作品〉
加山雄三『恋は紅いバラ ~Exciting Sound Of Yuzo Kayama And The Launchers』
加山雄三「加山雄三通り」
ザ・ワイルドワンズ『ゴールデン☆ベスト ザ・ワイルド・ワンズ』
ブレッド&バター『バーベキュー』
ブレッド&バター『パシフィック』
尾崎紀世彦「また逢う日まで」
荒井由実『14番目の月』
サザンオールスターズ「勝手にシンドバッド」
サザンオールスターズ「HOTEL PACIFIC」
Suchmos『THE BAY』
取材・文=古澤誠一郎 撮影=三浦孝明
『散歩の達人』2021年8月号より