特徴的な十字滑走路は工業団地へ

香取航空基地は軍が農地を買収し、1938(昭和13)年から建設が始まりました。開戦後もまだ造成中で、完成は昭和18(1943)年ごろです。航空基地は横風用の滑走路を配した十字状(あるいははX字状)の構造で、滑走路は南東―北西方向、南西―北東方向の二本ありました。航空基地が完成すると香取航空隊が発足し、多くの部隊が配置されていきます。

戦後は農地へと戻りながらも、特徴的な十字滑走路はそのまま残り、昭和40年代から工業団地として分譲されます。平成になると工業団地が形成され、南東―北西方向の滑走路跡地がブレーキテスト場として残存し、南西―北東方向の滑走路跡地は、長細い敷地に工場施設が立ち並びます。

灰色の工場建物あたりが南西―北東方向の滑走路跡地だ。一見すると滑走路跡か分からない。
灰色の工場建物あたりが南西―北東方向の滑走路跡地だ。一見すると滑走路跡か分からない。

香取航空基地と香取航空隊、戦後の処理については、地元に伝わる話やネット上で纏められている方など、ここで紹介するには膨大な量なので割愛します。訓練中の墜落、不時着事故が日常茶飯事であったとか、硫黄島への特攻など、なかなか興味深い歴史を辿っています。興味のある方は是非調べてみてください。

さて、この十字滑走路は現地へ行くと分かるのですが、地上からだと判別しにくいです。ブレーキテスト場となった滑走路部分はフェンスと樹木で覆われており、もう片方の滑走路跡は工場が並んでいます。フェンス越しに空き地っぽいところがあって、滑走路の路面の痕跡が見えるそうですが、訪れたのが草木もよく育つ季節のため、路面の痕跡は確認できませんでした。

南東―北西方向の滑走路跡はブレーキテストコースとなっており、生垣のようにずらっと植樹されている。
南東―北西方向の滑走路跡はブレーキテストコースとなっており、生垣のようにずらっと植樹されている。

こういうときこそ空の目線です。私は本業が空撮なので、ここは上空からの写真を紹介したいところですが、旭市近辺はまだ空撮したことがなく、今回は残念ながらありません。衛星写真と航空写真のリンクを紹介するので、それをご覧になってください。(他力本願)

●GoogleMap
https://goo.gl/maps/7YkHBQH6a7adTDN37

●戦後すぐの米軍撮影航空写真

戦後まもなくして米軍機が空撮した航空写真。十字状というよりX字状の滑走路がよく分かる。滑走路左手は駐機場で、航空隊兵舎などの敷地があった。滑走路の周囲には半円状の小さな物体が点在する。それは掩体壕だ。 ■国土地理院航空写真 昭和23(1948)年3月2日米軍撮影 国土地理院地図・空中写真閲覧サービスより
戦後まもなくして米軍機が空撮した航空写真。十字状というよりX字状の滑走路がよく分かる。滑走路左手は駐機場で、航空隊兵舎などの敷地があった。滑走路の周囲には半円状の小さな物体が点在する。それは掩体壕だ。 ■国土地理院航空写真 昭和23(1948)年3月2日米軍撮影 国土地理院地図・空中写真閲覧サービスより

それでは、地上を訪れたときのものを紹介します。ブレーキテスト場となっている滑走路西側に、旭緑地公園という小さな公園があります。ここには基地の慰霊碑があって向かい合うようにして、海上自衛隊の練習機であった星型レシプロエンジンの「SNJ型航空機」が展示されています。

星型エンジンはほとんど見られなくなったのでイメージしにくいですよね。プロペラの後ろにあるエンジンのシリンダー部分が放射状になっていて、全体的に丸い形状となっています。すごい乱暴な言い方をすると、トウモロコシを切った時の断面に似ているというか……。まぁそんな形をしていて、第二次世界大戦の戦闘機、爆撃機、輸送機(例えば零戦、B-29、DC-3)の主流エンジンでした。

<星型エンジンの例>手前の3つのエンジンが星型。シリンダーが放射状になっているのが分かる。この写真は英国のエアショーで撮影したもので、航空機エンジン愛好家がひたすらエンジンを回してワイワイする小イベント。
<星型エンジンの例>手前の3つのエンジンが星型。シリンダーが放射状になっているのが分かる。この写真は英国のエアショーで撮影したもので、航空機エンジン愛好家がひたすらエンジンを回してワイワイする小イベント。
<星型エンジンの例>星型エンジンはほとんどが空冷で、ご覧のようにシリンダー部分が外気に触れる。旅客機も星型エンジンが多く、これは英国のエアショーで飛行した、ルフトハンザのユンカースJu52旅客機の動態保存機。
<星型エンジンの例>星型エンジンはほとんどが空冷で、ご覧のようにシリンダー部分が外気に触れる。旅客機も星型エンジンが多く、これは英国のエアショーで飛行した、ルフトハンザのユンカースJu52旅客機の動態保存機。

基地の時代とは関係ない飛行機が保存されている

旭緑地公園に建立された慰霊碑。御供物がされて定期的に手入れされているようだ。
旭緑地公園に建立された慰霊碑。御供物がされて定期的に手入れされているようだ。

SNJ型は1960年代まで運用されていた海自のレシプロ単発練習機で、もともとは戦前に開発された米軍の練習機です。米軍では陸軍仕様がAT-6テキサン、海軍仕様がSNJで、戦後に空自と海自へ供与されました。多くの国で使用された名練習機で、現代でも海外ではエアショーなどで飛行しております。またフォルムが零戦に似ているとのことで、日米合作映画「トラ・トラ・トラ!」などの戦争映画では零戦に変身していました。戦争映画の名脇役でもあります。

屋根で保護されており保管状況は良好。展示屋根が格納庫に見えた。
屋根で保護されており保管状況は良好。展示屋根が格納庫に見えた。

基地とは関係のない海自練習機があるのは謎です。説明板には「MAP供与品」と記載されているくらいです(MAPとは軍事援助計画[Military Assistance Program]のことで、相手国に武器などを無償供与する計画)。零戦にフォルムが似ているから展示したのかなぁなどと思いつつ、細かいことは気にしても仕方ないので、しばし観察します。

AT-6テキサンと同タイプなのでフォルムは同じ。姿が零戦に似ているからと映画で化けたが、なるほど言われてみれば似ているかもしれない。
AT-6テキサンと同タイプなのでフォルムは同じ。姿が零戦に似ているからと映画で化けたが、なるほど言われてみれば似ているかもしれない。

星型エンジンは構造上エンジンオイルが滴ってくるのですが、さすがにもうオイルも枯れ果てているのか、オイル痕もありません。幸いに屋根で守られているため、機体の保存状況は良く、退色もしていないのが嬉しいです。保存されている場所を基地の航空写真と照らし合わせると、駐機場と滑走路の中間地点でした。この飛行機を遠目にみると、背後が滑走路で、なんとなく基地の位置関係を連想できます。なおこの飛行機の西側、すなわち慰霊碑側には学校などがあります。そこは兵舎や指揮所などがありました。

背後から勇姿を。柵越しの撮影なので絞りを開放値にして柵をぼかしてみた。午後の斜光で機体がギラリと輝いていた。
背後から勇姿を。柵越しの撮影なので絞りを開放値にして柵をぼかしてみた。午後の斜光で機体がギラリと輝いていた。

香取航空基地の廃ものは以上です。え、あっけない。正確には、ブレーキテスト場内や各工場敷地に滑走路の痕跡があるそうなのですが、敷地内ゆえに見ることはできません。ぐるっと敷地を周回しながら滑走路跡の痕跡が中心部で交わるのを確認して、たしかに十字滑走路だなぁと納得できます。滑走路の長さは約1500mあったので、ぐるっと外周を一周するだけでも少々骨が折れます。車でないとしんどいかも。

話はちょっと短いですが、今回はここまで。次回は掩体壕編です。ではまた今月の後半に!

北西側の滑走路端。こうして見ると滑走路の雰囲気がある。
北西側の滑走路端。こうして見ると滑走路の雰囲気がある。

取材・文・撮影=吉永陽一

碓氷峠。その名を耳にするとき、JR信越本線横川〜軽井沢間を登り下りするEF63形電気機関車と特急あさま号、おぎのやの駅弁「峠の釜めし」を思い出します。おそらく読者の皆さんのなかにも、碓氷峠のEF63を追いかけたという方がいらっしゃるでしょう。そこで“廃なるもの”碓氷峠編は、じっくりと紹介したく、3回に分けて語ります。来月までかかりますが、しばらくお付き合いください(笑)
全国津々、廃線跡はたくさんあります。道路になった場所もあれば、人を寄せ付けない山中にひっそりと存在する場所もあって、廃線跡と言ってもその形態は千差万別です。私はまだ訪れていない廃線跡も多々ありますが、いままで出会ってきたなかで、これは聖地に値するなというところがあります。川越市にある、西武安比奈線です。今回はボリュームも多めに、二回に分けて紹介します。