自宅兼事務所のガレージからスタート
地下鉄麻布十番駅から徒歩1分、麻布通り沿いに店を構える野菜菓子の店『麻布野菜菓子』。グラフィックデザイナーの花崎年秀さんが、南麻布の自宅兼事務所のガレージで物販を始めたのが2012年。2014年に現在地へ移転し、カフェを併設した。
野菜菓子の店を開いたきっかけは、グラフィックデザイナーとして野菜懐石の店の立ち上げに関わったこと。魚の代わりに野菜を使う野菜寿司の美しさと美味しさにインスピレーションを得て、はじめたという。
「野菜の豊かな味がする和菓子」を思い描くも、グラフィックデザイナーの花崎さんにとってお菓子はいわば未知の世界。南瓜の風味を生かした餡を作りたいと、見よう見まねで試作した自らのレシピを持って餡子職人さんに相談を持ちかけたときに最初の壁に当たった。「南瓜の割合を増やして白餡を減らしてしまうと、煉(ね)る際、焦げ付きやすくなる」と指摘されたのだ。それでも試してほしいとお願いし、完成したのが今も看板商品の野菜餡のどら焼きだ。
職人さんにとっても新しい発見だったという野菜がたっぷり入った野菜の餡。和菓子の伝統的な考え方にとらわれないからこそ、到達できた餡だ。
野菜餡のどら焼きのうち、最初に完成した南瓜餡のどら焼きは、ふんわりとした生地で、北海道産のえびす南瓜と白餡、生クリームを合わせ、ほんのりとシナモンを利かせた滑らかな餡を挟む。南瓜の香りと甘みがしっかり感じられる。
店頭にはこのほか、野菜の羊羹や野菜最中などの和菓子に加え、どら焼き同様、手土産として人気の高い野菜のフィナンシェなど、和洋の垣根にとらわれない野菜の菓子が並ぶ。
スパイシーな香味とミルク感のバランスが絶妙。セロリのかき氷
カフェの夏の人気メニュー、かき氷は黄色いミニトマト、ほうれん草と抹茶、新作のマクワウリとメロン、いちじくなど、野菜に加えて果物を使ったものもある。今回は、花崎さんから「野菜のかき氷の魅力が一番伝わる」と教えてもらったセロリのかき氷を紹介しよう。
ふんわりとした氷にセロリのソースと練乳、クリームチーズソース、それからセロリのコンポートが乗る。砂糖と白ワイン、レモンで煮たセロリのジャムをペーストにしたソースは、セロリの爽快な香りと、花崎さんが「スパイシー」と表現する独特の香味が印象的だ。柔らかい中にも歯応えのあるコンポートの食感は、どこかパイナップルを思わせる。
ミルキーなまろやかさが全体をマイルドにまとめ、後味は優しい。ソースや練乳など、すべてが一体となって、はじめて花崎さんが表現したい味になるという。ソースなどを別添えにすることはなく、黄金比をあらかじめトッピングしてから提供する。
香り豊かなセロリのデザートを家でも楽しみたくて、セロリのジャムをおみやげにした。アイスクリームに少し添えるだけで、特別感が出る。
餡に果実を煉(ね)り込んだフルーティーな大福。
カフェの甘味は全て店舗併設の厨房で作られる。甘味の作り手は、まだお菓子作りの常識に染まっていない、製菓専門学校の新卒者を中心に採用しているそうだ。
厨房から出てきた製造担当の人たちが花崎さんと談笑する姿からは、居心地のよい職場が想像された。尋ねてみると、「いつかは独立したいという夢を持っている人がほとんど」と前置きしつつも、想像通り離職者は少ないそうだ。
かき氷を食べていると、作りたての大福がショーケースへ並んだ。聞けばこのところ、厨房で作る生菓子に力を入れているという。
ブルーベリーが羽衣をまとったかのように見えるブルーベリー大福はインパクト抜群。「フルーツ大福の多くは、果物をそのまま白餡などで包んで餅で巻くだけですが、そうではないものを作りたかった」と花崎さん。
一般的なフルーツ大福と大きく異なるのは、餡に果実を煉(ね)り込んでいるところだ。滑らかな求肥で鮮やかなブルーベリー色の餡を包み、隠し味のクリームチーズを入れて、たっぷりブルーベリーをのせている。餡に風味があるのは楽しいものだ。
生菓子はレジ横のショーケースに並ぶのでお見逃しなく。
野菜菓子のメニューを考案する際、「野菜を使った今までにないもの」を考えるという。ただし、「変わっていればいいというわけではない。」と花崎さん。何よりも大切にしているのは、美味しいものを作ること。それから、身近な素材でここまでできるというところを見せたいからと、日常の食卓に上がるような野菜を使う。
『麻布野菜菓子』が長く支持されてきた理由はここにあるのだろう。いつもの野菜が洗練されたおいしいお菓子になる。ここへ来れば、ワクワクできる。
都会の下町、麻布十番。
最後にこの街の魅力について尋ねると、1つは「都会の下町」だと花崎さん。よく耳にする言葉だが、新小岩に住んでいたからだろうか、私は麻布十番に下町らしさを感じたことはないけれど、それらしさを求めて歩いてみた。
私の中で麻布十番といえば、パティオ十番に建つ赤い靴の女の子のきみちゃん像だ。お店を後にしてきみちゃん像まで歩いたが、雨の中佇むきみちゃんの写真を撮る気にはなれなかった。
それから下町らしさはやはりよく分からなかった。
帰宅後セロリのジャムをかけたアイスクリームを食べながら、もう一度考えてみた。麻布十番には和菓子店が多い。100年を超える老舗和菓子店や煎餅店、豆菓子店などに加えて、新しい和菓子店も続々と店を構えている。
親しみやすい和菓子店が多いところは、たしかに下町らしいかもしれない。
取材・文・撮影=原亜樹子(菓子文化研究家)