大小27の名前付き街路が集まる「通り密集地帯」
浅草の核心は、東は馬道通り、西は国際通り、南は雷門通り、北は言問通りに囲まれた浅草1・2丁目のエリア。この比較的小さなエリアに名前の付いた通りが27本も集まる「通り密集地帯」だ。
浅草寺の参道でもある仲見世通りは日本最古の商店街ともいわれる超ド級の観光スポット。平行して走る比較的大きな通りだけで「メトロ通り、観音通り」「浅草中央通り」「オレンジ通り」「すしや通り、六区ブロードウェイ、ひさご通り」。仲見世通りを東西に横ぎるのは「新仲見世通り」「公会堂東通り」「仲見世柳通り、伝法院通り、ロックフラワー通り」と、とにかく歩くたびに名前の付いた街路に行き当たる。
それぞれの個性も強く、人形焼きと土産物屋が立ち並ぶ「仲見世通り」、レトロな意匠が施された「伝法院通り」、高いアーケードの「新仲見世通り」、昼飲み・外飲みで有名になりホッピー通りとも呼ばれる「公園本通り」、花やしきのコースターから悲鳴が響く「花やしき通り」など、アーチやシンボルの意匠もバラバラ。まさにカオス。浅草界隈の散歩は上や下もきょろきょろしながら歩くと楽しさが倍増する。
江戸時代からの文化の先端地点
古来より隅田川の港町・浅草寺の門前町として栄えた地域だが、江戸時代初期に吉原遊郭が移転してくると、遊興地としてますます栄え、江戸で遊ぶといえば先ずは浅草だったようだ。江戸後期になると文化の発信地としてさらに発展をとげ、吉原で豪遊する町人たちが独自の美学「粋」を競うようになった。町人たちのうち特に傑出した人々は「通人」と呼ばれ、現在の「ツウ」の語源となっている。あらゆる遊びに精通するだけでなく、人情を深く知って初めて「通」であり、人情を解さないものは「半可通(はんかつう)」もっとひどいと「野暮」と呼ばれた。明治期になっても文化の発信地としての地位は変わらず、演芸場や劇場が立ち並び、関東大震災後は映画館の街として最先端であり続けた。
中心街の南側には東京メトロ浅草駅〔1927(昭和2)年開業 東洋初の地下鉄駅〕があり、西側には東武鉄道の浅草駅〔1931(昭和6)年開業 当時は浅草雷門駅〕があり、当時から東京随一の遊びの目的地だったことがうかがい知れる。1960年代になるとテレビの台頭を受けて映画館が減少。この頃松下幸之助が浅草寺の山門(雷門:正式名称は風雷神門)を再建し、それ以来大提灯を奉納し続けているのが面白いところだ。2012年に最後の映画館が閉館し、現在浅草に映画館はない。
江戸期から続く三社祭や隅田川花火大会のほか、浅草サンバカーニバル、おいらん道中など華やかで活気あふれる大規模な祭り・イベントも多く、世界的にも最もよく知られる日本の街のひとつとなっている。同じく文化の中心地であった銀座と比べると日本らしい風景が残されているのが外国人にも人気のようだ。仲見世商店街界隈を歩けば着物を着た様々な国出身の人々と出会うだろう。
洋食・和食・高級・庶民派なんでもござれの食の都
『ヨシカミ』『モンブラン』『グリル佐久良』『神谷バー』『リスボン』など枚挙にいとまがないほど洋食の老舗が多い地域だが、どじょう鍋の『駒形どぜう本店』、うなぎの『色川』、寿司の『弁天山美家古寿司』、すき焼きの『ちんや』、そば処『尾張屋』などなど、日本伝統の料理も名店がひしめく。地元の人も集う大衆食堂『水口食堂』や1954(昭和29)年からのおにぎり専門店『宿六』、お好み焼きの『染太郎』、1923(大正12)年創業で名物はカレー南蛮という『翁そば』など、懐にやさしくてお腹も心もいっぱいになる庶民派グルメにも事欠かない。なにか旨いものが食べたいと思ったら、とりあえず浅草に行ってしまうのもアリだ。
現代のツウは吉原ではなく、“観音うら”に向かう
にぎにぎしい表の顔を抜けて浅草寺裏手の言問通りをまたいで北へ路地を入る。ここから浅草警察署あたりまでの界隈が“観音うら”と呼ばれるエリアで、住宅街のあいまに新旧取り混ぜてこぢんまりとした店を見つけることができる。浅草の花柳界で人気を集めた老舗洋食店『グリルグランド』、孤独のグルメにも登場した純レバ丼の『菜苑』、元芸者置屋で営む釜めしの店『むつみ』など古くからあるような名店もあるが、週末だけ寿司屋になるそば屋『浅草じゅうろく(寿司屋の時は『舎利処じゅうしち』)』、料理はもちろん供される器にもセンスの迸りを感じる『こへると』など、攻めた新店も多い。このあたりを散歩すれば、宝探しのような楽しい気分になれるだろう。「曙湯」という宮造の大変風情のいい銭湯もあるので、風呂上がりで一杯! というのも悪くない。
警察署からさらに北に向かえば吉原地区にたどり着くのだが、色っぽいお店は集まっているものの、「吉原大門」「吉原角町」といった地名が残っているだけで、素人目には歴史的な名残はあまり感じられない。 そこで頼りにしたいのが、日本で唯一の遊郭専門書店『カストリ書房』。遊郭の専門家である店主の渡辺豪さんは時折吉原遊郭の解説ツアーを開催しているので、公式HPから予約すれば解説付きで吉原界隈を歩くことができる。
この混然一体とした街を、なんと説明しよう
お腹いっぱい、胸いっぱいになった帰り道、ホッピー通りを歩きながらふと思った。浅草という街は、この大きな煮込み用の鍋のようなものではないか。鍋の中身は、たとえば正統的観光地=仲見世と雷門、東京最古の寺=浅草寺、庶民のパラダイス=花やしき、娯楽の殿堂=六区ブロードウェイ、スリリングンな無法地帯=ダービー通り+ホッピー通り、祭りに花火、百花繚乱のグルメ、そして人情あふれる下町情緒……ああ、まさにカオス! 「浅草鍋」の具は、およそ数えきれないし、数えたところで意味はない。
浅草でよくみかけるのはこんなひと
華やかで目につくのは国籍もバラバラな和装の女性たち。浅草寺をシンボルとする浅草だけに和装は良く映えるのだが、それだけに週末にもなるとカメラを携えた集団を引き連れて歩いているところに出くわすこともある。
そして、おじさんたちもたくさんいる、というよりも、浅草在住と思しきおじさんたちのスタイルこそ面白い。イカしたジャンパーと野球帽のちょいアメリカンスタイル、三つ揃えでびしっと決めながらもどこか野性の風味が漂うダンディー、藍染で全身決めた気合の火消スタイル、 ダボっとしていて刺繍が主張しているジャージに身を包んだワルなスタイルも……。気風のいいというか、気合が入っているというか……とにかくなんだか元気な雰囲気なのだ。こういったおじさんたちには浅草寺のトイレ裏の喫煙所あたり(そう、石でできたオープンエアーの小便スポットがあるところである)でよく会える気がする。もしかしたら、喫煙率も高いのかもしれない。
とはいえ、ホッピー通りあたりで昼から飲みんでいる人々に目を向ければ、老いも若きも地元民も観光客も完全にごちゃまぜ。
どこから来たかなんて野暮なことは聞かずに受け入れてくれる。浅草によくいる人は浅草の街同様、懐が深いのだろう。
取材・文=星野洋一郎 文責=散歩の達人/さんたつ編集部 イラスト=さとうみゆき