コーヒーの街は一日にしてならず
2015年2月、カリフォルニア州オークランド発の『ブルーボトルコーヒー』が日本1号店を開店し、清澄白河はコーヒーの街となった。サードウェーブコーヒーという名の新しい波が海外から文字通り押し寄せてきたというわけだ。もともと広大な倉庫街で大きい焙煎器が置けること、都心に比べて家賃が安く大規模店舗を構えられることが理由と言われているが、実はこの話には前段がある。『ブルーボトルコーヒー』の関係者は東京への出店先を決める際、『ARiSE COFFEE ROASTERS(アライズ・コーヒー・ロースターズ)』の噂を聞いて清澄白河に立ち寄り、それがきっかけでここに開店したらしい。また、このアライズの代表・林大樹さんは、もともとこの地のロースタリ―・カフェの先駆けである『The Cream of the Crop Coffee』の創立メンバーの一人。ブルーボトルの1年前にニュージーランド発の『オールプレス エスプレッソ 東京ロースタリー&カフェ』が上陸、それ以後も『iki ESPRESSO』『TOKAKU coffee』などが次々と開店。清澄白河のコーヒームーブメントはとどまるところを知らない状態だが、ムーブメントは一日してならずということは知っておきたい。
いわゆるロースタリーカフェではないが、旧東京市営店舗向住宅をリノベーションした『cafe清澄』や理科の実験器具のような装置で水出しコーヒーを落とす『理科室蒸留所』なども面白い。
アートの街、雑貨の街
東京都現代美術館が木場公園に開設されたのは1995年。以来この街にギャラリーが増え、現代アートの風が吹いているわけだが、2000年代以降はこだわりの雑貨を扱う店が増えてきた。先駆けとなったのは2002年開店の『onnellinnen(オンネリネン)』あたりだろうか。自然素材を中心に、実用と美しさを備えた素敵な雑貨たちが魅了する。ヨーガン・レールが立ち上げた『Babaghuri(ババグーリ)』は広くゆったりとしたスペースに一生ものが並び、質感の良さを体感できる。解体寸前の古アパート「深田荘」をリノベーションして2012年にオープンした『fukadaso(フカダソウ)』は、カフェや雑貨屋、ボディケアなど多彩なテナントが入る複合施設。なかでも『リカシツ』はユニーク。創業80年の老舗理化学ガラスメーカー関谷ガラスのアンテナショップで、ビーカーや試験管などの実験器具をインテリアとして使う提案が素晴らしい。プロダクトデザイン会社が経営する『ALL(オール)』、店長柴田裕子さんが全国から買い付ける和食器の店『青葉堂』も覗いておこう。
今、本も熱い
そして近年にわかに熱いのが「本」だ。駅前という立地にありながら良質な選書の『BOOKSりんご屋』、全方位的な古書店『しまブックス』、ビジュアル本を中心とした『smokebooks(スモークブックス)』など、もともとユニーク書店はあったが、近年またあらたなブックスポットが次々と誕生ししている。マンションの一室に作られた私設図書館『眺花亭』、ミリタリーやSF、オカルトとピンポイントなコレクションが痛快なカフェ併設書店『Books&Cafeドレッドノート』、そして注目の『古書しいのき堂』。2016年、店主・山口敏文さんが会社勤めから転身し蔵書を中心に並べて始めた古書店だが、その選書眼は見事としか言いようがない、書店以外にも、製本所『キョーダイ社』でオリジナル御朱印帖が買えたり、『マエダ特殊印刷』で昆虫や水中生物のシールが買えたり、活版印刷の『リズムアンドベタープレス』が立ち飲み屋やカレー兼コーヒースタンドに変身したりと、紙や印刷関係の会社がやりたい放題。
2021年秋には本という記憶媒体を軸に風土と向きあう「本と川と街」なるイベントの開催が予定されている。
この街ならではグルメと酒場
名酒場として必ず名前が挙がる森下の『山利喜』。バゲットが付いてくるフレンチ風煮込みは、他では食べられない濃厚な味わい。ビールはもちろんワインと合わせる人も多い。森下のらくろードの家族経営酒場『三徳』や資料館通り『だるま』も肩肘張らない雰囲気でおすすめだ。
深川めしも一度は食べておきたい名物。基本は『割烹 みや古』のような炊き込みご飯かもしれないが、ぶっかけ系の『深川 一穂』や『深川釜匠』もワイルドでいい。
そして最近は都市型ワイナリーの地でもある。『深川ワイナリー東京』は都内3番目のワイナリーとして2016年創業、『清澄白河 フジマル醸造所』は大阪発の都市型ワイナリーとして2015年オープン。
ラーメンも見逃せない。正統派濃厚豚骨醤油スープの『ラーメン吉田屋』、ツナコツを使ったニューヨーク発の『YUJI Ramen TOKYO』など、一日中人影が絶えない。
パンでは、元祖カレーパンの『カトレヤ』、一日中行列の『コトリパン』、こだわりの角型食パンの『Boulangerie Panta Rhei(ブーランジェリー・パンタ・レイ)』が超オススメ。
とまあ美味しい店に事欠かないが、この街らしさということで特におすすめしたいのが『実用洋食 七福』。存在自体が、街の良心のようなお店で、何を食べてもおなか一杯で満足。店主おすすめはハムカツだそうだ。ソースをたっぷりかけて召し上がれ。
この街にいるのはこんな人
休日のこの街で目に付くのはコーヒー店巡りをする男女の姿。誰もかれも、老若男女を問わず、とにかくオシャレである。今、どんな服が流行っているか? それをどう着こなせばいいのか? と言ったことは、休日のこの街に来れば、ひと通りわかる。オシャレの見本市のような街と言えるだろう。また、その色味はおおむね「黒」。全身黒づくめに、ワンポイントでビビッドな色のスニーカーやスマホケースなどを合わせるというのが典型的パターンだ。雑貨屋には自然素材をまとった女性も多い。自然素材の服というより、素材そのものをまとったような、素敵な着こなしが勉強になる。
とはいえ、おしゃれしないと街を歩けないというわけでもない。なにしろ、ここはバリバリの下町なので、おじちゃんおばちゃんが普通にわんさと歩いている脱力系オシャレタウン。
ちなみにこのあたりでは、神田や日本橋のような「うちはここで10代続いておりまして」というような鼻高々な老舗は目にしない。下町といっても、そこにこだわるような人種は皆無。あくまで自然体なのが散歩者にはうれしいところ。
海の上に作られた美しき水の都
2000年に都営大江戸線が開業するまで、「清澄白河」という地名はなかった。この駅名は清澄と白河という地名を二つ合わせたものだが、それまで辺りは総じて「深川」と呼ばれていた。深川とは、森下以南、隅田川と横十間川に挟まれたエリアの総称で、1600年代に徳川の命でこの地を開いた深川八郎右衛門に由来する。ちなみに江戸期以前、この地は海の中にあった。徳川の天下普請で開発、つまり埋め立てられていった土地である。江戸の経済を支えたのは舟運。深川は長らく漁業と河岸(荷揚げ場)、そして木場(貯木場)として栄えてきた。だからこの街の海抜は低く、とにかく水路が多い。現在は随分暗渠化されたが、かつては網の目のように水路が張り巡らされ、美しき水の都・ベネチアのようだったという。
だからこの街を歩くなら、断然夏の夕方がおすすめだ。特に夕方と夜の間、日が暮れる直前のマジックアワー、日本語で言えば逢魔が時(おうまがとき)がいい。赤や紫がにじむような空の下、水の匂い、水の音、水の気配、水の上を渡る風が、ぐぐっと迫ってきて、水の中を歩いているような気分になる。路上でも十分いいが、橋の上や、川の近くだとなお気持ちいい。夕刻、森下、高橋から小名木川、萬年橋、清澄庭園あたりに漂うあの感じは、他の東京の街では絶対感じられないものだと思う。
達人たちの夢のあと
江戸時代、この地に居を構えた”散歩の達人”が二人いる。俳人・松尾芭蕉、測量士・伊能忠敬。芭蕉は36歳での隠遁生活にこの地を選び、やがて奥の細道へと旅立った。忠敬は50歳で佐倉の庄屋から深川黒江町に隠居、そこから何度も測量の旅へ出かけ測量図(日本地図)を作り上げた。
二人がこの地を選んだ理由はわからないが、逢魔が時の美しさは江戸の頃も変わらないだろう。素晴らしい俳句も地図も、この夕刻の美しさ抜きには存在しえなかったと思いたい。
取材・文=武田憲人 文責=さんたつ/散歩の達人編集部
イラスト=さとうみゆき