手元に長く置きたい本を、一冊一冊手渡していく『葉々社』[梅屋敷]
梅屋敷駅から続く商店街から脇道に入り、緑ののれんが目印。
店内の棚には、人文・社会科学の本が多く並ぶ。奥には小上がりがあり、古本や貸し棚のほか、壁面が展示スペースになっている。店主の小谷輝之さんは「小上がりがある物件を探してました。子供たちが安心安全に集える場所を作りたいのと、自分がくつろぐ空間もほしくて」と話す。仕入れる本は、SNSの情報を参考にしたり、大きな書店に行き、4〜5時間かけて探すことも。
「人文科学は、あとがき、まえがき、目次を見て、本の難易度を確認します。私の頭で理解できるかどうかはチェックしたいので」
開店して2年4カ月が経った。不特定多数の人ではなく、特定少数の人を思い浮かべながら商売をしているという。
「やりとりしてるうちに、お客さん一人一人の傾向がだいぶ分かってきたんです。その人たちの顔を思い浮かべながら、具体的な誰かのために店をやってます」
前職は編集者で出版も手がけた。
「こんな本を出したい、という思いはあまりなくて、日々の活動のなかでの出合いを大事にしています」
店主:小谷輝之さんのこれまで
1996年 龍谷大学卒業。上京して、東京ニュース通信社入社。
2005年 退社、インプレス入社。
2022年 インプレス退社。
2022年4月 『葉々社』開店。
葉々社から出版した本
『ねこと一緒に、今日もいい日。』(関 由香/葉々社)
『日常の言葉たち 似ているようで違うわたしたちの物語の幕を開ける16の単語』(キム・ウォニョン、キム・ソヨン、イギル・ボラ チェ・テギュ 著/牧野美加 訳/葉々社)
〈店主を育てた本〉
『ライカでグッドバイ カメラマン沢田教一が撃たれた日』(青木冨貴子/ちくま文庫)
ベトナム戦争に従軍、ピューリッツァー賞を受賞したカメラマン・沢田教一を描いたノンフィクション。
「社会人1年目のときに読んで、信念をもって、自分のやりたいことに突き進んでいく生き方に感銘を受けました」。
『葉々社』店舗詳細
青森と熊本をきっかけに自分のふるさとを思う『青熊書店』[自由が丘]
店主の岡村フサ子さんは熊本県出身。青森県出身の夫と二人、それぞれのふるさとにまつわる本を選んで、隣り合わせの棚に並べている。その土地の出身、暮らした人物の著作、風土や食についての本、旅行記など、土地柄が浮かび上がってくるラインアップだ。
「2つの県を一緒に並べることで、気づくことがありました。たとえば青森は太宰治、寺山修司、棟方志功など物語を紡ぎ表現する人が多く、熊本は石牟礼道子、夏目漱石、坂口恭平など文学の源流となる思想的なところから発信する人が多いと感じます。人も、誰かと一緒に過ごしたり、対話することで自分の個性に気づくのと同じ感覚です」
岡村さんは神保町の共同書店で棚主となって経験を積み、2024年1月、東京都のチャレンジショップ「創の実」の若手・女性リーダー応援プログラムを利用して開店した。店の空間が広がり、新刊と古書、ブックカバーなどの雑貨やご当地飲料もあわせて置くことで「読書という時間を提供したい」と話す。
「東京はふるさとを持つ人が集まる土地。本自体が誰かのふるさとになるのではと思うんです。来る方が、いろいろな縁のある土地を感じられるような書店を目指しています」
店主:岡村フサ子さんのこれまで
2022年3月 神保町の共同書店『PASSAGE by ALL REVIEWS』の棚主に。
2023年 勤務していた編集プロダクションを退社。神保町の古書店やカフェで修業。
2024年1月 『青熊書店』を開店。
〈店主を育てた本〉
『幸田文 対話』(幸田文/岩波書店)
各界の著名人との対話集。
「(著者が)父露伴から受け継いだ、“ロハニズム”の真髄に触れることができます」。
『ドミトリーともきんす』(高野文子/中央公論新社)
科学者のエッセイを独自の視点で漫画化。
「とくに湯川秀樹の『詩と科学』はおすすめ。文系・理系を超えた名作です」。
『青熊書店』店舗詳細
洗練された空間でデザインやアートを体感する『nostos books(ノストスブックス)』[祖師ヶ谷大蔵]
世田谷線の松陰神社前から祖師ヶ谷大蔵に移転したのが2021年10月。商店街の一角から、駅から離れた住宅地へと、店周辺の環境は一変した。移転のきっかけは立ち退きだったが、展示やイベントを充実させたい思いもあり、広い物件を探していたという。
店内に入ると、窓側に小上がりがあり、窓と同型の大きな本棚、古道具をリメイクした照明など、本とゆったり対峙(たいじ)できる心地よい空間が広がる。
店主の中野貴志さんいわく「扱う本はアート、デザイン関連のものが多いので見たり読んだりする環境も整えたいと思っています。本の中のものが実際にプロダクトとしても感じられる空間だったら、お客さんにとって何かのヒントになるかもしれないので」。
大判の函(はこ)入りの画集など、手に取るのを躊躇(ちゅうちょ)するものも気軽に広げて見てほしいと、テーブルが用意されているのもうれしい。
「新店舗では本棚に仕切りをつけなかったんです。横軸で、ずっとつながっていくような作りにしたかった。いまはアート、写真、デザインといったジャンルで並べていますが、もう少しミックスしたい」
本だけでなく、本がある空間に身を置くことで、思わぬ刺激を受けられる店である。
店主:中野貴志さんのこれまで
~2000年 美容師業。
2000~2010年 パンク系バンドマンとして活動。
2010年 フリーランスデザイナーとして活動。
2012年 オンラインストアをオープン。
2013年 松陰神社前に実店舗開店。
2021年 祖師ヶ谷大蔵に移転。
〈店主を育てた本〉
『HEAVEN』(HEAVEN EXPRESS)
羽良多平吉がデザインを手がけた『HEAVEN』。
「伝説の自販機本『JAM』を前身とするエロ本/ニューウェイブマガジンで、かつて古本屋で見つけてそのデザインに衝撃を受けました。2024年6月に展示を開催してご本人にもお会いすることもできて、感無量です」。
『nostos books(ノストスブックス)』店舗詳細
謎の秘密基地で文学と戯れる『機械書房』[水道橋]
エレベーターのないビルの3階、店名が記された紙が扉に貼ってある。通りすがりにふらっと立ち寄る人はたぶん皆無。客はこの店を目指してやってくる。店主の岸波龍さんは「真四角の物件を探してました。壁面の棚に古本、中央の平台に新刊を置くイメージがあって。僕は作家活動が先なので本屋も作品だと思ってます」と話す。新刊は詩集がメインで、出版社発行のものとリトルプレスが区別なく並ぶ。
「僕が詩について書いたエッセイ集を自主製作したものが、本屋で一般書籍の横に置いてあってうれしかった」経験から、著者が喜ぶ本屋を目指している。
「自分で作った本を売るより誰かの本を売るほうが面白い。僕は本屋の店主をいちばんリスペクトしてるから本屋をやってるんです」
岸波さんは大学で詩を研究した。
「唯一ちゃんと勉強したのが詩でした。当時は谷川俊太郎や荒川洋治といった有名なところが好きだったんですが、本屋を始める前に中原中也賞の候補作を読んだら面白かった」
そのことが、詩集を売りたい気持ちにつながった。
店を訪れるお客さんは、じっくり時間をかけて本を選ぶ。詩や文学に対する店主の情熱が多くの人を引きつけている。
店主:岸波龍さんのこれまで
2007年 大学卒業。
2011~2023年 縁起熊手の製作・販売。
2018年 本を仕事にしようと決意する。
2020年 詩を紹介するエッセイを出版。
2022年 物件を探し始める。
2023年5月 『機械書房』開店。
岸波龍さんが執筆した本
左:『往復書簡 今夜、緞帳が上がる』(岸波龍・武塙麻衣子/MACHINE BOOKS) 右:『夜にてマフラーを持っていく月が』(多宇加世 詩/岸波龍 絵/双子のライオン堂)
〈店主を育てた本〉
『北入曽』(吉野弘/青土社)
吉野弘による狭山市を題材にした詩集『北入曽』。
「僕の狭山の高校時代は暗黒で、茶畑の風景と重なってます。所収の『茶の花おぼえがき』は、自分には嫌な思い出しかない茶畑を、詩人が読むとこんなに劇的になることに驚きました」。
『機械書房』店舗詳細
心ゆくまで無心になって自分の輪郭を取り戻す『twililight(トワイライライト)』[三軒茶屋]
「本屋を始めたという意識はないんです」と店主の熊谷充紘さんは話す。
「本とギャラリーとカフェと屋上が一体になった空間があって、そこで過ごす時間を提供してるというイメージです」
コロナ禍の時期は、地元の愛知で暮らしていた。
「部屋に閉じこもっていると自分の輪郭が定まらなくなる感覚があって、誰にも会わないのは良くない、第三者がいる空間が必要だと思いました」
そんな折、知り合いだったカフェ店主から上の物件が空いたと連絡を受け、上京して見に行ったのが現店舗だ。
「窓から入る光、屋上の開放感、すごく気持ちいい空間だった。この場所でみんな無心になって自分を取り戻してもらえたらという直感がありました」
熊谷さんは、コロナ禍のときに本に支えられたという。本を読んでいる時間だけは自分だけの居場所が作られると実感し、本を作ろうと手がけたのが『宇宙の日』(柴崎友香著)。
店を構えてからも、小山田浩子、大崎清夏などの本をISBN付きで7冊出版し、三軒茶屋をテーマにしたZINEも2冊発行している。
「本は過去と未来をつなぐパスポート。本を読んでひと息ついたお客さんが新たな物語へと離陸していく。そんな場所になっていけたら」
店主:熊谷充紘さんのこれまで
2011年3月 リクルート退社。フリーランスで編集、イベント企画。
2014年 地元の愛知に帰る。
2020年5月 『宇宙の日』(柴崎友香著)発行。
2022年1月 愛知から上京。
2022年3月 『twililight』開店。
twililightから出版した本
左から順に、『宇宙の日』(柴崎友香)『トワイライライト』(畑野智美)、『世界に放りこまれた』(安達茉莉子)
〈店主を育てた本〉
『インディアナ、インディアナ』(レアード・ハント 著/柴田元幸 訳)
2006年に出版され、絶版になっていたものを、twililightで復刊。
「喪失の哀しみを切れ切れの回想で連ねた小説で、その哀しみの美しさに思い出すことの希望を感じ、救われました」。
『twililight(トワイライライト)』店舗詳細
日々の暮らしを彩る、街に灯(とも)るあたたかい光『フラヌール書店』[不動前]
店主の久禮(くれ)亮太さんは、新刊書店勤務、各地の書店で選書や陳列を担当するフリーランス書店員を経て、自らがオーナー店主となる書店を開店した。不動前は、自身が住む街だ。
「急行は止まらないし商売的にはちょっと弱いんですが、自分にとって身の丈にあった規模で始められました」
目指すのは「小さくてもオールジャンルが揃う総合書店」。旬の新刊も、各ジャンルの定番ロングセラーもあり、ところどころに他ではあまり見かけないおすすめ本がある。その絶妙なバランスは、これまでの書店員の経験に裏打ちされている。
「自分が住んでいる町ですから、顔見知りの人たちをイメージして、その人が使いやすいかどうかを考えます。品揃えがありきたりすぎても面白くないですし、新鮮味も加えたい」
入り口近くの棚は、絵本や児童書が充実している。著者別ではなく、直感的な分類もユニークで、絵本を選ぶよすがになるだろう。
「お子さんが一人で訪ねてきたり、昼間にベビーカーで立ち寄ってくれたり。そういう人の役に立ちたいと思って」
店内の棚は、久禮さん自身の手によるもの。町の本屋さんならではの、あたたかみのある安心感が心地よい。
店主:久禮亮太さんのこれまで
1996年 「あゆみBOOKS早稲田店」でバイト開始。
2005年 あゆみBOOKSの正社員になる。
2015年 フリーランス書店員になる。
2018年 小石川に『ペブルズ・ブックス』開店(閉店)。
2022年8月 現物件を借りる。
2023年3月 『フラヌール書店』開店。
〈店主を育てた本〉
『エリック・ホッファー自伝』(エリック・ホッファー 著/中本義彦 訳/作品社)
エリック・ホッファーはアメリカの独学の哲学者。
「何歳になっても学び直すのに遅すぎることはない、ということを身をもって示してくれた人です。1冊でエリックを知るにはこの本。大学7年生のときに初めて読みました」。
『フラヌール書店』店舗詳細
取材・文=屋敷直子 撮影=加藤熊三
『散歩の達人』2024年9月号より