『三好弥』の長谷部鉐利さんは独立した当初、修業先と同じく中華や丼を出し、出前もしたが、やがて洋食一本に。そして、プレスハムからロースハム、生ハムへと 「時代とともに進化しました」 と笑う。開業地は兄弟子などの伝手で決め、「荒川区だけで8軒もあ ったので」 と、出前がかち合わぬように境界線も設けたという。のれん会の会合は、各店の定休日が異なり、いつしかなくなったが、「遠い親戚のような感覚」 と懐かしむ。
「創業家が作った商標を守りながら、今も年に4回、集まって勉強会をしていますよ」と話すのは、『マルジュー大山本店』の2代目、伊東正浩さんだ。修業先によって微妙に作り方は変わるが、「同じ志をもつ仲間ですから」と、日本独自のパン食が生き残る道を研究している。
対して『加賀屋』は全体で60軒以上とのれん分けが活発だ。御徒町駅前店の曽根敏さんは「うちの会派(共栄会)だけでも20軒超え。今も月一会合で情報交換しています」と、結束の固さを見せる。基本5年の修業を旨とし、名物料理の質の伝授に余念がないが、「店ごとにいろいろ工夫しているんですよ」と、胸を張る。
同じ名前でも千差万別ののれん分けの世界。全店制覇するのも楽しいぞ。
三好弥
愛知県三河地方出身の長谷川好弥氏が明治末期に上京。洋食修業後、大正8年(1919)開業。親類縁者の伝手で雇った人をのれん分けし、分店からも枝分かれ。「実用洋食」の看板を掲げ、『七福』などの亜流も誕生した。昭和半ばに130軒以上、現在20軒ほど残る。
「創業者のルーツ」……ルーツを感じる料理があることも。『三好弥』には三河名物みそかつが!
下町の小さなレストラン 三好弥
愛知県高浜市出身の長谷部鉐利さんは芝大門店で修業。肉天やメンチなどの盛り合わせを引き継ぐBランチ1000円、弟弟子と研究したみそかつも看板。Qランチ1180円で賞味あれ。
丸十パン
米国帰りの田辺玄平氏が研究の末、日本初ドライイーストを開発。大正2年(1913)年、玄米食パン専門店を上野黒門町で創業した。パン屋支援としてノウハウを伝 授してのれん分けし、昭和50年代、150軒に拡大。現在29軒が「全日本丸十パン商工業協同組合」に加盟。
「商標」……組合を作り、屋号を守り継ぐところも。「丸十」は甲府の創業家家紋に由来。
マルジュー 大山本店
1951年、巣鴨店修業の伊東正二氏が板橋区仲宿で独立。玄米食パン340円や元祖コッペパン(ダブルピーナッツ)145円の他、進化したパンの焼きたてが人気。イートインも あり。
加賀屋
石川県出身の木村忠夫氏が1965年、板橋駅東口(滝野川口)で開業。相次ぐ再開発で現在本店は本郷に構える。全店のれん分けだが、意見の違いで「旧会」と、やっこだこを掲げる「共栄会」に分裂。旧会からのれん分けすると「加賀廣」、共栄会の店だが、店主が他の会員に変わると「ニュー加賀屋」を名乗る。
「微妙に異なる看板」……色や字体は似ていても店独自。○○店と記していることも少なくない。
加賀屋 本郷本店
やっこだこが目印の『加賀屋』総本山。名物の特製煮込み490円、串焼き盛り合わせおまかせ5本700円はホッピー 390円で。鮮度抜群の魚も自慢で、刺し身六点盛り1580円はお値打ち。
文=佐藤さゆり 撮影=オカダタカオ
『散歩の達人』2020年7月号より