そう考えると、富士山はやっぱりスゴい。私やあなたより先に富士山がお亡くなりになる可能性はまずないし、ロックが嫌いでも、Macなんてどーでもよくても、別に富士山が好きじゃなくても、生富士が見えるとなんか嬉しくなる人がほどんどだ。間近で拝まなくても、遥か遠くにちょっと見えても嬉しいし、むしろ遠ければ遠いほど嬉しい。

昼間に見えても嬉しいが、夜中に遠くから富士山が見えるともっと嬉しい。遠い山でも天気がよければ夕暮れまではよく見えるが、夜の帳が降りると闇に埋もれてしまう。だが、白い雪をまとった富士山は、月明かり、星明かりや街明かりを雪がよく反射するので、よーく見ると夜中でも結構見えるのだ。

心が美しくないと見えない?

私が夜富士の魅力に目覚めたのは14年前の1月、富士山から53km少々離れた小仏城山でだったと思う。夜中の月の出を山頂で拝んで、高度を上げるとともに赤からオレンジへと色を変えていく月にしばらく見とれていたが、思い立って西側の山並みの奥をよく見てみると、まるで幻のようにぼーっと、白い富士山が見える!

最初は見えづらかったが、月が高度を上げて月光が強くなっていくと、よく見えてきた。といっても相変わらず幻レベルで、そのときは5人のスタッフが同行したテレビのロケだったが、『プラネットアース』の撮影を担当したという熟練カメラマンさん以外の4人は、いくら場所を教えても富士山が見えないという。だれかが「心が美しくないから見えない」と冗談をいう。たしかにそこに富士山はあるし、肉眼で見えているのだが、限りなく幻に近い。幻覚に近い。おもしろい。

箱根の明星ヶ岳からヒカリフジを望む。富士山が登山者のヘッドランプと山小屋の灯りに縁取られている。
箱根の明星ヶ岳からヒカリフジを望む。富士山が登山者のヘッドランプと山小屋の灯りに縁取られている。

以来、夢と現の境界のギリギリ現実側という感じの遠距離夜富士を、あちこちで愛でている。月夜はもちろん、闇夜でも、たとえば富士山から40km少々離れた冬の犬目丸で、闇富士が見えた。

雪がほとんどないときでも、富士登山シーズンの深夜は、登山者のヘッドランプや山小屋の灯りがあって、遠くからでも富士山がわかる。富士山から55km弱の高尾山でも、闇夜に富士山の灯りがしっかり見えた。

幻のような、亡霊のような

もっと遠くても、条件がよければ夜富士を見られるに違いない。と思っていたら、私の家の近所、川崎市麻生区の王禅寺見晴し公園(鍋ころがし)で、76km以上離れた富士山が深夜に驚くほどよく見えた。満月が1年で最も高く昇る夜(南中高度が80度近く)で、冬で空気が澄んでいて、遠距離夜富士を見るには最高の条件だったからだ。

その翌々日の深夜にまた見に行ったら、満月を過ぎて月光が弱まったため見えづらいが、なんとか富士山が見えている。ほとんど亡霊のようで、気のせいに近い感じだが、少し露出時間をかけて撮影すると、くっきりと富士山が写る。だが、同行した高校生の娘には、まったく富士山が見えなかった。ここからは、月明かりがないと富士山は見えないが、夏の富士山の灯りは条件がよければ拝めるかもしれない(ただし昨夏はコロナ禍で富士登山禁止のため、富士山は光らなかった)。

王禅寺見晴し公園で見る、冬の月夜の遠距離富士。蛭ヶ岳の後ろに白い頭を出している。わかりやすいように露出時間を長くした。
王禅寺見晴し公園で見る、冬の月夜の遠距離富士。蛭ヶ岳の後ろに白い頭を出している。わかりやすいように露出時間を長くした。
王禅寺見晴し公園で見る遠距離夜富士は、肉眼では実際、こんな感じに見える。ほとんど幻のよう。
王禅寺見晴し公園で見る遠距離夜富士は、肉眼では実際、こんな感じに見える。ほとんど幻のよう。

以前、富士山から157kmほど離れた成田空港のそばで、春の日の入りのころに富士山を見た。そのときの感じだと、冬の満月の夜にそこで富士山が見えてもおかしくない。

クサクサした心も晴れる、夜富士観察

1月28日深夜の満月は、年末の満月より南中高度がやや下がるが、それでも東京では76.4度ある(ちなみに夏至のころの満月の南中高度は30度以下)。自宅の近くに富士見スポットのある人は、ぜひ夜富士観望にチャレンジしよう。見えたら絶対テンションが上がる。コロナ禍でクサクサした心がちょっと晴れる。2月以降も富士山の雪は長く残るから、満月の高度が下がって空気が霞むものの、条件がよければ遠距離夜富士を眺められるだろう。富士山が見えない土地なら、ほかの山でもいい。遠くの名山を夜中に拝もう。

ちなみに、王禅寺見晴し公園からの富士山は、丹沢山地の最高峰、蛭ヶ岳(ひるがたけ)が完全にカブって、頭しか見えない残念富士だ。でも逆に、年末のまだ雪化粧をしていない蛭ヶ岳が、白い富士山をバックに目立っていて、夜の蛭ヶ岳(よるがたけ)を愛でるには最高の背景だった。

富士バックといえば、箱根のミッドナイトハイクを楽しんだあと、山を下りて朝の小田急線で帰るときなどに、栢山駅・開成駅間で、足柄山地の矢倉岳が富士山に完全に包まれる瞬間が大好きだ。

矢倉岳と富士山がだんだん近づいてそしてピタッと重なるその瞬間、そこはかとなくゴルゴ13的な気持ちになり、なにかしら撃ちたくなる。

矢倉岳を完全に包む富士山。小田急線の車窓から撮影。富士山頂から38km弱の地点。
矢倉岳を完全に包む富士山。小田急線の車窓から撮影。富士山頂から38km弱の地点。

ではまた。闇の中で逢いましょう。

取材・文・撮影=中野 純

私たち哺乳類はもともと夜行性だった。今こそ哺乳類の初心に帰って、ご近所闇と宅闇をいろいろ楽しみまくろう。全然知らなかった世界が近くに数多あることに、きっと驚く。ご近所は意外に広大だということを思い知る!
小泉八雲の「雪女」を含む『怪談』が出版されたのは明治37年。平成になって、この話が東京都青梅市の伝説に拠っていることが明らかになった。さらに驚くべきことに、この話の季節は春だというのである。雪女の出現地をめぐって夜の青梅を歩いた。
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