「狭い所で申し訳ないです」と涌井友子(ともこ)さんがにこやかに迎えてくれたのは西武新宿線野方駅の住宅地にある一軒家。涌井家の居間で作られる『週刊とうきょう』は、10日と25日の月2回発行のタブロイド判2頁で、購読者へ郵送で届けられる。中野区の地域新聞がなぜこの名前?

「週刊の東京ローカル紙にするのが父の夢でした。病気でとてもとても無理でしたけど」と次女・久美子さん。

涌井友子さんと娘・久美子さん。居間のテーブルが仕事机だ。
涌井友子さんと娘・久美子さん。居間のテーブルが仕事机だ。

1974年、涌井啓権(ひろのり)さんにより創刊された『週刊とうきょう』。妻である友子さんも4人の娘を育てながら支えたが、8年後に啓権さんは逝去。友子さんは覚悟を決め一人で引き継いだ。周囲の人からはその頑張りを応援され、いつしか「かあちゃん記者」と親しまれ今に至る。その背中を見て育った久美子さんは、学生時代に集金や取材も手伝い、20年以上前から右腕に。

そんな二人が手掛ける新聞は、「ちょっと普通の情報紙とは違う」と久美子さん。「お店の紹介などはなく、取り上げるのは町会、商店会、有志の会などや行政関連の外郭団体などの活動報告が中心なんです」。

取材は、依頼を受けた所に赴くのが基本。「せっかくお声がけいただいた以上は、可能な限り現場に行って取材し、街のために行われる活動を皆さんに知ってもらうことが重要」という友子さんの思いに沿って、取材したものはすべて取り上げるのがポリシー。記事に書き手の主張は入れず、公平に淡々と事実だけ伝えることに徹するという。

半分以上はネットにない情報

昨今はインターネットで何でも見られる時代。が、「多分、うちの情報はネットで調べても半分以上分からないでしょうね」と久美子さん。ネットに出るような派手な出来事ではなく、その陰に隠れた身近でニッチな区内の動きを知ることができる。それは街に関わる会や団体、企業などさまざまな人たちにとって貴重な情報なのだ。

創刊前には区内に7紙もあったという地域新聞は姿を消し、今や唯一の『週刊とうきょう』。「私にとってこれは生きる目的。子供がいたから頑張れました」と話す友子さんは現在95歳。80代後半までは自転車で走り回っていたが、骨折や聴力の衰えにより取材の9割がたを久美子さんにバトンタッチ。

友子さんが書いた原稿と、昭和61年のバックナンバーなど。
友子さんが書いた原稿と、昭和61年のバックナンバーなど。

「メモを取る手も追っつかないし、パソコンもできない。娘がいなきゃもう新聞を出していかれない」と友子さんが苦笑すれば、久美子さんも「でも母は原稿を書くのが速い! 私は文章が苦手で締め切りギリギリにならないとダメ」と笑い合う。「どこまで生き残れるか分からないけど、とにかく地道にまじめに作っていくだけ」と、二人は持ちつ持たれつ今日も奔走する。

週刊とうきょう

購読希望・問い合わせは、[email protected]まで(『散歩の達人』8月号を見たことを要明記)。
購読料1年間6600円。

取材・文=下里康子 撮影=オカダタカオ
『散歩の達人』2026年8月号より

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